このブログで筆者が読んでいる本とか、読んだ本とかを紹介したことはありましたが、今日は「是非買って下さい」と言う推薦も付いた紹介です。
ポール・マーシャル「わが故郷天にあらず」
原題は、Paul Marshall, HEAVEN IS NOT MY HOME
内容の紹介については、訳者の島先克臣さんのサイト「キリスト教世界観ネットワーク」の方をどうぞ。
今回のご紹介は、訳者から直接購入するディスカウントについて。
重版(正価税込1680円)
価格:一冊1500円。
送料:無料。
とのことです。
注文と支払いに関しては:島先克臣、knshimasaki(アットマーク)gmail.com
までご連絡ください。郵貯口座を教えてくれます。
振込確認後の送付となりますので、その点ご了承くださいとのこと。
(※2013/6/15補記・・・お振込みの時送付先住所記入お忘れなきようご注意ください。在庫少なくなりつつあります。在庫切れの際はご容赦を。)
さて、この本とは筆者も二重の意味で関わっているのでかなり思い入れがあります。
①巣鴨聖泉キリスト教会でこの本をテキストにして「キリスト教世界観セミナー」を実施しました。
2005-2009年の五年にかけて、全17章中、1,2,4,5,6,8,9,10,11,13,14,16の計十二章をカバーしました。一番の問題は“挑戦的な”タイトルです。
今まで何ともなくクリスチャンとして生活してきた方には「天が故郷」と言うのは至極当然、暗黙了解、の事柄のように思えていたはずです。
この本はその様な考えと裏腹になっている「この世からの退避的」姿勢を鋭くあぶり出し、クリスチャンが本来持つべき「この世で仕えるために与えられている賜物・召命」に気付かせます。
人間的なことを「聖俗ニ元論」のめがねで見て、真正面から取り組むことが出来ず、及び腰で捉えてきた「仕事、学問、政治、文化(ファッション・アート・文学)」等について、どのように積極的にアプローチできるか沢山の示唆をくれます。
②筆者はこの本全十七章を、一章ずつ、懇切丁寧に解説する「読書随想」を書きました。
「小嶋崇による『わが故郷天にあらず』の読書随想連載」
読み通してみて、聖書神学的基盤(少々「ネオ・カルヴィニズム」のフィルターがかかっている印象があるが)の上で「諸文化(この世を治める文化命令)」の問題を扱っています。
またN.T.ライトほどの重厚さはありませんが「創造から新創造」の視点でカバーしています。「身体的復活観」もライトに共通します。
(※ある教会では、この本をテキストに、また筆者の読書随想を参考にして、学びをしたそうです。)
・聖書の教えがどれだけ“世俗の問題”に応用可能か、窓を開いてくれる本だと思います。
・一人で読むには大変と言う方には、是非何人かで読みあって感想を言い合いながら読むと良い本です。
・昨日ポストでも書いた、ゲイブ・ライオンズ、The Next Christiansで、次代を担うキリスト者として描写されている「リストアラー(文化の回復者)」にも繋がる内容をカバーしてます。
とまあ色々と書いてきましたが、要するに買って損はしない本だと思います。
最後に著者のマーシャルについて一言。
彼の現在の専門は「政治と宗教」、特に信教自由、宗教迫害の問題について多く本を書いたり、マスメディアで発言したりしています。
・Paul Marshall Profile
小嶋先生、
返信削除質問があります。10年くらい前、「キリスト教再建主義」を提唱して、ラッシュドゥーニーなどの翻訳をなさっている牧師さんと知り合いになったことがありました。当時の私は、普通に(?)プレミレを教えられてきたので、変わった人だな、くらいに思ってそれっきりでした。
その後いろいろあって、NTライトのSurprised by Hopeを読むなどして、私の中でも考え方が変わってきたのですが、
ライトや、先生ご紹介のこの本は、「キリスト教再建主義」とはどう違うのでしょうか?
私も「再建主義」や「ラシュドゥーニー」の名前を知っていますし、娘婿のゲーリー・ノースの経済に関する本を少し読んだことがあります。大分昔ですが。
返信削除少なくともライトと比較するには余りにも離れすぎていて並列に論ずるのはサーカスをやるようなものです。
一つだけポイントを挙げるとすれば、ライトの「創造から新創造」の中心に位置するのは「イエスの復活」であり「神の国」の成就、そして教会の宣教がこの事実に不可分に結びつくことです。ちょうどSBHをお読みなので、207,230,255,264-5辺りを読んで見てください。
キリスト教再建主義は「500年近く前」の神学的世界観(とその子孫である新カルヴィニズムなど)を20世紀アメリカの現実に適用した一特殊事例です。
旧新約聖書の律法をダイレクトに適用可能な「法」として捉える等かなり特異な主張が多いです。全体として"wide of the mark"と言わざるを得ないでしょう。
ライトは「キリスト教の根本的福音」を、歴史家・神学者・文学批評家として聖書を徹底的に「ユダヤ及びグレコローマン歴史文脈の意味地平」から再解釈、再構成しようとした人です。その落差はあまりに大きい。
推薦した本は指摘したように新カルヴィン主義のめがねの影響が感じられますが(彼は聖書学者ではありません)、コチコチに教理的解釈することはありません。ライトほど重厚な「クリスチャン・ホープ」的視野に根ざした構成ではありませんが、全体としてはよりライトに近いと言えると思います。
はちこさん、初コメントでしたね。ありがとうございます。
返信削除とにかく挨拶もなしにいきなり回答、失礼しました。はちこさんと違ってコメンターに手厚い返答とマナーが伴わずブログ主としてはまだまだですね。
長いコメントだとエラーメッセージが出てしまうので潜在的にはしょってしまうのでしょうか・・・。
実は補足させていただくと「プレ・ミレ」及び「ディスペンセーション」タイプの詳細な神学論議には殆ど無知、と言うか無関心な態度できました。
ライトを通過して「終末論」を見ると、これらの神学論議は多分に「フラット」な聖書預言解釈に起因する神学的整合努力に思えてしまいます。(こんなこと言うと真剣に論議している人たちから非難浴びてしまいそうですが・・・。)
と言うわけでお詫びかたがた。
小嶋先生、お返事ありがとうございます。
返信削除>旧新約聖書の律法をダイレクトに適用可能な「法」として捉える等かなり特異な主張が多い
そうですよね、こういうところ、変だなぁと思っていました。
教えていただいたSBHの箇所、もう一度読んでみようと思います。
私はもともとアッセンブリーオブゴッド教団の出身なので、プレミレ、アミレ、ポストミレなどあっても、福音主義ならプレミレがふつうなのだろうと、勝手に思い込んでいたので、ライトがrapture信仰をmythだとはっきり言っているのを聞いたときは、びっくりしました。ヨハネ福音書の「わたしの父の家には部屋がたくさんある」の部屋も、「temporary lodging」という意味だという話にも衝撃でした。
これからもまた、いろいろ質問させていただくかもしれませんが、よろしくご指導お願いいたします。