2010年10月3日日曜日

アメリカの新世代キリスト者①

日本の(特に福音派)プロテスタント教会は北米福音派キリスト教の影響を強く受けていると言って良いと思う。それは単にアメリカの宣教団体からの宣教師によって教会が開拓され、成長して行ったと言う面だけでなく、文化的な面でも多く影響を受けていると言って良いだろう。

そのうちの一つが神学的影響と言うことになるが、狭義の神学(神学専門家同士間の影響)だけでなく、より広義の神学(神学的潮流や論議される神学的話題)でもその傾向は強い。

この言わば「北米一辺倒の構図」が次第に崩れつつあるように思う。

近年で言えば、その端緒となったのが、北米における「保守主義の台頭」と「保守政治(共和党)」の結びつきによる、「教会と政治の同化」現象がある。

日本の福音派は概ね第二次大戦中の教会の戦争協力の反省から、「国家と教会の分離」に敏感である。
しかし北米バイブル・ベルトの教会では、講壇に国旗が掲げられ、「感謝祭礼拝」などでは礼拝プログラムの中に「国旗への忠誠(the pledge of allegiance)」が入り込んでくる。(この習慣はかなり保守的なキリスト教会に限られるかもしれない。少なくとも筆者はその場面に立ち会って大いにそのギャップを感じさせられたものである。)
同じ福音派の立場ながら、北米と日本では「国家と教会の関係」への態度が殆ど逆なのである。

それでも戦後日本の福音派教会が北米宣教団体と友好的な関係を保って来られたのは、このような“政治的問題”が伝道の問題に絡んで来なかったからではなかろうか。
同時に日本の福音派教会は「国家と教会の関係」の問題は、自国の信教自由問題、特に靖国神社問題にだけ集中して、余り広義に考えて来なかった。伝道に集中していれば良かった時代だったのであろう。

しかしこの「捩れ構造」はブッシュ政権の戦争政策によって炙り出されることになった。
ブッシュ政権の支援母体となったキリスト教右派が「ファンダメンタリスト」と呼ばれ、日本のジャーナリズムによって「福音主義」と同一視されるに及んで、日本の福音派はようやく自己の政治的立場が北米福音派のそれとどう違うのかを説明し、弁証する必要に迫られた。

ようやく日本の福音派も北米福音派と政治イデオロギー的に大分違うことを自覚するようになり、一定の距離を置いて考える時代になったと言えよう。

さて、ここまではただの前置きである。

上記で意図したポイントは、これまで日本の福音派はアメリカ福音派をモデルとしてきた。しかし今後はどうかという問題提示である。

筆者のこのポストのテーマである、ポストブッシュ政権時に顕になってきた北米の「新世代キリスト者」たちの現象をどう見るか、と言う問題である。

彼らの問題意識や関心に対して日本の私たちはどんな共感やら違和感やらを持つだろうか、と言う問題である。


今回はこのうち一つの流れ「イマージェント」を紹介しよう。

「イマージェント」と呼ばれる現在二十代から三十代のキリスト者たちは、従来のブッシュ政権を支えたような“広義の”アメリカ福音主義に対して異議申し立てを始めている。その意味で世代間的ギャップと言えるが、その異議申し立ての内容を見ると、どうやら大きな「キリスト教文化」的過度期に来た、と言う観察も成り立ちそうなのである。

「脱・キリスト教国アメリカ」を鋭敏に自覚する、これら若い世代の福音派キリスト者たちの特徴を、一括りで描写するのは難しい。

例えば、彼らはキリスト教会の様々な制度面に対し否定的態度を取る傾向が強い。
スモールグループで、集会や聖書研究を行い、自分たち自身のキリスト教表現に忠実であろうとする傾向が強い。
さらに、「社会正義」「環境問題」など保守的福音派が余り正面から取り組んで来なかった問題に関心が強い。
などである。
彼らの信仰遍歴がどのようなものであるか、その一例を紹介する記事が「ワシントン・ポスト」宗教欄に紹介されている。
The Evolution of a Christian Creationist

このコラムを書いたレイチェル・エバンスは、伝統的な保守的福音主義信仰から一時離脱した後、“違った視点の福音派”キリスト者として再生する。鍵となったのは「古い福音派がアメリカの(思想的・政治的)文化」と一体となっていたことを見切ったことにあるようだ。
At the heart of this change is a shift in allegiance. For so long, evangelical Christianity demanded our allegiance to range of causes--from young earth creationism, to religious nationalism, to Republican politics. Somehow the radical teachings of a first century rabbi got all tangled up with modern political platforms and theological positions that were never essential to Christianity to begin with.
さて、日本の福音主義教会にいるこの年齢層のキリスト者は、どのような問題意識を持っているのだろうか。
キリスト教の文化的背景が大きく違う二国のことであるから簡単な比較は出来ないが、筆者の観では、レイチェル・エバンスが「ドロップ・アウト」したところまでは似ているのではなかろうか。
過去ポスト「1%の壁」でも書いたように、キリスト親派も含めた自称キリスト教人口6%の中に、特にこの年齢層が多いのではなかろうか。
だとすると、彼らがドロップ・アウトするに至った進化論やらの知的問題を含め、様々な文化的違和感の問題に対して、日本の福音派教会はまだまだ問題提起し、論議するプラットフォームを用意できていない状態ではなかろうか。

日本ではまだ「新世代キリスト者」が出現する兆しは筆者には見えてこない。
既にこのあたりの現象、日本の若年層キリスト者の信仰遍歴を知る良い資料があったら教えていただきたいものである。

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