現在日本に居住するイラン人はどれくらいいるのだろうか。
2005年の統計では在住許可を所持しているイラン人は五千人を超えるくらいらしい。
バブル経済がはじける前はイラン人は滞在許可(ビザ)なしで、短期間労働者として来日し、その数は五万人を超えていただろうと言う。エンサイクロペディア・イラニカ「日本にいるイラン人」
筆者の「イラン・コネクション」は二つある。
一つは米国留学での最初の地、カンザスの大学での「短期英語集中コース」で仲間となったイラン人たちである。
三十人を超える仲間たちのうちイラン人は四人、日本人も四人であったように記憶している。
クラスは三つに分けられていたが、一番出来るクラスにイラン人たちが数人いた。
彼らは日本人とは対照的にとにかくブロークンでも何でも英語をどんどんしゃべった。
日本人は自分も含めて留学生だとちょっと安心してしゃべるが、アメリカ人だと緊張する風だった。
明らかに英語をしゃべる能力はイラン人学生の方がめきめき上達した。
仲良くなったイラン人の男子学生、ジャバッドとファラハッドは同じイラン人でもこれだけ違うかというほど対照的な性格だった。
ジャバッドは遊び好きで社交的、明るい外向的な性格。
ファラハッドは物静かでいつも瞑想しているような深みを感じる青年だった。
私たち日本人の学生は特にこのファラハッドと仲良しになり、よく一緒にご飯を作ったりして親しくなった。
あの時代はまだイラン革命の前だった。結構裕福な家庭から米国に留学しに来ていたのだろう。
彼らは今どこでどうしているだろうか・・・。
二つ目の「イラン・コネクション」は、筆者が1993年、マニラで開催された世界福音同盟の大会に参加した時に出会った男性、デーヴィッド・イグナザール。
お父さんがサム・イグナザールと言ってイラン人宣教をイギリスから支援している団体の主宰者だった。
筆者は大会の前に持たれた「信教自由委員会」設立のための準備委員会に出席していたが、そこでデーヴィッドに会ったのだった。
とにかく米国以外の外国で暮らしたことはなく、準備委員会で報告される各国でのキリスト者への迫害の様子を聞きながら何か場違いなところに来てしまった、と言う印象が強かった。
その後彼らの宣教団体を個人的に支援することで、今日まで、年に数回機関紙を頂きながら、イランのことを気にかけていた。
今日届いた機関紙で、この団体が二十周年を迎えたことを知らされた。
これまでの歩みを回顧する記事が書かれていたが、大変な歩みであったことを改めて思わされた。
最初の頃は経済的に逼迫し、また本国にいる指導者たちが何人も続けて殉教し、先の見えない数年を過ごしたようだ。
その後は、クリスチャン指導者の養成機関の設立、メディア伝道(聖書の翻訳、トラクト、デジタル・メデイア)の充実、等イラン国内での宣教にもインパクトを与えるようになってきた。
毎回のニュースレターで報告されるのは、如何にイラン国民が霊的に餓え乾いているかということ。福音を受け容れる地であることを知らされる。
キリスト教は遡れば中近東から始まった。
今キリストの福音の種は中近東にも蒔かれている。
イラン宣教の様子を知りたい方、現在のイランの実情も知りたい方、
以下のサイトをご覧ください。
・宣教団体イラム ELAM Ministries
・イラン30 Iran30
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