主日礼拝
2021年2月21日(日)
賛 美 ちからの主を 71番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「ちからの主を(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=D1e9tfrv68k
聖書交読 詩篇55:1-8
使徒信条
聖書朗読 ヨハネの福音書 11:43-44
こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。
顔は覆いで包まれていた。
イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
(ヨハネ 11:43-44、新共同訳)
黙 想 「ラザロよ、出て来なさい。」
静思祷告
主の祈り
【解説】
コロナのおかげでインターネットを介しての「オンライン」とか「リモート」でのコミュニケーションの機会が増えました。「スカイプ」とか「ZOOM」といわれるようなソフトを使って顔が見えるコミュニケーションが距離に関係なくネット上で繋がってできるのです。
「リアル(現実)」に対して「ヴァーチャル(仮想現実)」のコミュニケーションとも言われますが、何世代も前から「電話」でコミュニケーションは出来ていた事実と感覚から言うと、はたしてどこまでが現実でどこからが仮想現実なのかその境界線は曖昧なように思います。
先日ある方とZOOMで会談をしていたのですが、画像は何の支障もなく途切れずに見えるのに音声の方が途切れてしまったりということがありました。あらためてしっかり声が聞こえるということの大切さを思いました。
今日の黙想箇所は「ラザロのよみがえり」のエピソードですが、イエスが死んで墓に葬られたラザロに「ラザロよ、出て来なさい」としっかりはっきり声をかけられていることに驚きます。死んでしまった者にではなく「眠っている者」を呼び起こすような声かけです。
私たちにとって生と死は厳然と区別され乗り越えられない境界線で区切られている「現実」ですが、「わたしはよみがえりです。いのちです。」(11:25)とおっしゃる方にとってはそうではないのです。
私たちが乗り越えられないと思われる様な「現実」の中にいるときも、主イエスは「ラザロよ、出て来なさい。」と声をかけておられるのではないでしょうか。私たちの信仰を問われているのではないでしょうか。
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2021年2月20日土曜日
明日の自宅礼拝ガイド
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿