※「緊急事態宣言」中もあり、9月12日の会堂での礼拝を中止します。
2021年9月12日
自宅礼拝ガイド
賛 美 主よわが主よ 567番
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「主よわが主よ(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=WMQ67Vrk_Fo
聖書交読 詩篇66:10-15
使徒信条 (賛美歌の表紙裏)
聖書朗読 ヨハネ第一の手紙 3:16-18
イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。
そのことによって、わたしたちは愛を知りました。
だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、
どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。
子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
(Ⅰヨハネ 3:16-18、新共同訳)
静思祷告
黙 想 「愛のイニシャティブ」
主の祈り (賛美歌の表紙裏)
【解説】
今年は「9.11(米国同時多発テロ)」から20年。米国のアフガン軍事支援も終わり、タリバン政権が成立したようです。
9.11に端を発したテロ征伐は、多様な犠牲を支払ったにもかかわらず、徒労に終わった感があります。
アフガニスタンといえば日本人には中村哲さんのことが思い浮かびます。危険を冒してさまざまな民間支援を繰り広げました。
私たちの人間関係は様々な次元で「贈り物」や「好意」や「配慮」を駆使して良好な関係を築こうとします。
しかしよく見てみるとそれらは自分への「利益誘導」を計算に入れたものではないでしょうか。
打算を排した「無私」の好意は、やはり「自分の利益」を超えたところから出てくるものではないでしょうか。
キリスト教ではそれを「愛」と言い、キリストの犠牲にその具体的姿を見ます。
自己中心になりがちな私たちが、はたして、自分への「利益誘導」を超えた「愛」に生きるなんてことができるのでしょうか。
ヨハネは「できる」というより、そのように「生きるべきだ」と勧めています。
そのカギとなるのは、やはり私たち自身がどれだけ愛されたか、愛されているかを自覚できるかにかかっているのではないでしょうか。
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