主日礼拝
2021年3月7日(日)
賛 美 あなうれしわが身も 510番(※)
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「あなうれしわが身も(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=pu_NvgECh0Q
聖書交読 詩篇55:16-23
使徒信条
聖書朗読 Ⅰテモテ 2:1-4
そこで、まず第一に勧めます。
願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
王たちやすべての高官のためにもささげなさい。
わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
(Ⅰテモテ 2:1-2、新共同訳)
黙 想 「すべての人のために祈る」
静思祷告
主の祈り
【解説】
「ガバナンス」は「コンプライアンス」とともに「企業経営」に必要な概念としてよく使われるようになりました。企業に限らず、ある一定数の人が目的を共有して組織を作り運営していく時に生ずる不平不満/問題課題を乗り越えて行くには、「統治機構」を整え改善し時には変革していかなければなりません。
ガバナンス=統治の概念を聖書から見ると、その根本は創世記1章28節「被造世界を統治するよう造られた人間」に遡るように思います。
「私たち人間は、神に似た資質や能力が与えられているので、喜んでそれを磨きます。……しかもそれは、他者のためです。神を愛し、人を愛し、私たちを取り巻く被造世界を愛するので、与えられた資質や能力を喜んで使います。」(「聖書を読む会」編『神のご計画』5ページ)残念ながら神さまに喜んでいただけるガバナンス・統治がどれだけ行われているかと考えると、いたるところで失望の声が聞こえます。
さて使徒パウロはテモテへの手紙で、この「統治を担っている人々」のために祈れと勧めています。それは「(すべての人が)常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るため」だと言っています。
つまりキリスト者は被造世界にあって「統治者として専門に働く」ことがない場合でも、「祈る人(祭司)」として神のみこころを反映するのです。これは「統治する」ことと同じかあるいはそれ以上に大切な役割ではないでしょうか。また私たちの身近な範囲で「平穏で落ち着いた生活」のために貢献することも大事ではないでしょうか。
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