(牧師) Today is Friday.
(会衆) But Sunday is coming!
(牧師) Today is Friday.
(会衆) But Sunday is coming!
(牧師) Today is Friday.
(会衆) But Sunday is coming!
これっ何?
(いえ、今日は英語のポストではありません。)
ケンタッキー州はアズベリー神学校時代、ゲスト・スピーカーとして来た、トニー・カンポロが紹介してくれたエピソードの一部です。
黒人教会の礼拝で、日々の重荷や困難に直面している人々を励ますメッセージが、こう言う形での表現となって結晶したのですね。
Friday、とはイエスが十字架にかかった苦難の日。
Sunday、とはイエスが死から復活した勝利の日。
今苦難の直中にあっても、勝利の日が、解放の日がやってくる、と言う希望を会衆が一体となって告白する。繰り返すごとに、テンションが上がり、最後はシャウトになるのだろう。
黒人教会と言えば「アーバン・ミッション」の実地授業で、シカゴのスキッド・ロー(貧民街のような場所)へ行った時のことを思い出す。
その時、ダウンタウンの黒人教会の礼拝に出席したが、最初の印象は「礼拝が長い」こと。
ちょうど中間位のところで、様々な報告などが延々30分くらい続いたのには驚いた。
会衆は至ってのんびり構えている。いつものパターンなのであろう、寛いだ感じで時間が過ぎるのをゆっくり待っている風であった。
牧師の説教は同じフレーズが度々繰り返され、その間に挿話やエピソードが入る。
途中で歌を歌うようになってくる時もある。
「人柄」と言う言葉があるが、「教会柄」が違うという感じであった。
カトリックの礼拝とプロテスタントの礼拝は大分印象が違うだろう。
勿論礼拝の構成も違う。
また同じプロテスタントでも、ルーテル派や改革派でもやはり少しは違うだろう。
ペンテコステ系となると、またがらりと雰囲気が変わる。
当教会が使用している賛美歌には「リヴァイヴァル」系のものがかなり入っている。
救われた個人がその体験を歌にした賛美歌で、非常にメロディーが賑やかである。
実際、自派の歴史を遡ると、リヴァイヴアルを経験した時も通ったので、賛美歌の歌い方でも、会衆全員が大声で祈るのも、一つの伝統として結構続いたようである。
筆者の子供時代はまだそんな空気が残っていた。
現在は、大分おとなしくなった。
プログラムに「静思黙祷」の時間を置くようになってしばらく経つが、字の通り、各自声を出さずに静かに祈る時間である。
はたして当教会で牧師が Today is Friday. と言ったら、
会衆は But Sunday is coming! と返ってくるだろうか。
(勿論日本語での話しだが。)
やはり「教会柄」なかなかそうはならないだろう。
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