元となる神社は大塚駅に近い天祖神社。
その周辺に祭礼期間中、天祖神社の祭礼所(と言うのかな?)が臨時に設営される。
巣鴨一丁目の場合、ちょうど当教会の前にある児童遊園。
(ここでは公営の場所が特定宗教施設に利用される問題を問わない。)
笛と太鼓と鉢の音が否応なしに飛び込んでくる。
正直言うとなかなか“うるさい”。
そんなことをつらつらと思っている時に、ふと
「そう言えば当教会も、昔は路傍伝道で町中練り歩いたのだなー。
あの大きな音を聞いて皆さんはどう思っていたのだろー。」
と、思いついた。
大太鼓を先頭にラッパ隊が続く10人余の楽隊が、時に狭い路地まで入って行くわけです。
そして演奏される、歌われるのは決まって「ただ信ぜよ」
十字架にかかりたる すくいぬしをみよや筆者も子供の頃、楽隊の後について家々に入ってチラシ配布をしたものだった。
こはながおかしたる つみのため
ただ信ぜよー ただ信ぜよー
信ずる者はたれも みなすくわれん
あんなこといつ頃まで続けたのだろうか。
今となっては楽隊を率いた路傍伝道をする教会は殆どないだろう。
教会の伝道方法と言えば、特別講師を招いて特別伝道会、そのためのポスター貼りとチラシ配り。
当教会も一生懸命やっていた頃は半径1キロ圏内に300枚のポスター、2万枚のチラシを配っていた。大変な労力だった。
ポスターを貼った場所を記録して終了後回収するのも一仕事。
配るそばから捨てられるチラシを拾うのも一仕事。
そんな「伝道の時代」も大分昔の記憶となってしまった。
人心はもっと複雑になった。
「信ずれば救われる」と言うようなお題目では通じなくなった。
ではどうするか。
当教会が試しているのは、地域に浸透すること。
と言っても、やたらに接点を作ることではない。
試行錯誤しながらいるが、無闇にでしゃばらず、しかし“存在感のある”形を模索している。
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