2010年9月15日水曜日

牧師と読書

ようやく涼しくなってきた。
酷暑の間、殆ど読書らしきことができなかった。

手元には読みかけの本が何冊か積んである。

今日再開したのは、
Richard Bauckham, JESUS AND THE EYEWITNESSES (2006)。
普段読んでいても考えることがない(無垢に信頼している)福音書資料の「第一次目撃証言」を精査に検証し、論証している本である。
著者は最近来日もしている。N.T.ライトが教鞭を取る、セント・アンドリュース大学で長く教えていた。

Anthony C. Thiselton, NEW HORIZONS IN HERMENEUTICS: THE THEORY AND PRACTICE OF TRANSFORMING BIBLICAL READING (1992) 
は本文だけで600ページを超える。シュライエルマッハーから、リクール、ガダマー、スピーチ・アクト理論、アーペル、ハーバーマス、デコンストラクション、セミオティックス、などなど解釈学に関連する著者や理論を多数取り込んだ、聖書解釈学の本としてはてんこ盛り状態の内容である。
買ってからしばらく食傷気味で手が出なかったが、読み始めて三分の一を超えた位からようやくついて行けるようになった。9章まで読了中。

Oskar Skarsaune, Reidar Hvalvik 編著、
JEWISH BELIEVERS IN JESUS: THE EARLY CENTURIES (2007)

先に挙げたボーカムも寄稿者の一人。聖書解釈の知識に直接繋がるわけではないが、聖書の著作年代に近い資料(使徒教父)を用いた研究論文集。昨今新約聖書の背景として「第ニ神殿期ユダヤ教」資料が駆使されるようになったが、時期的にその後の資料を用いた、特に初期キリスト教のユダヤ的背景について様々な考察、洞察に導いてくれる非常に興味深い研究論文集である。

まあこんな感じで、お気づきのように三冊とも英書である。
筆者が購入して読む本は殆ど英書なのだが、何と言っても値段が安い。
日本語で書かれたキリスト教書籍は値段が高いし、そもそも訳書が多い。

しばらく前の教会役員会で「コミュニケーション」をテーマにしたセミナーの話が出て、適当な本、著者はないかと話し合った。
そこで改めて思わされたのが、筆者が日本語で書かれた本を殆ど読んでいないため、こういう時にはたと困ると言うこと。
その場で話題に上った、 姜尚中の「悩む力」や、コラムを良く書いている精神科医、香山リカのものなど、図書館で立ち読みしたり、借りてきて読んだりして見た。

先日、加藤周一を当ブログで取り上げたが、宗教、信仰に限らず、日本語の著書で「読ませる」人を探せるといいのだが・・・。

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