その時「検索していて」出遭ったのが、文学批評を専門にしているらしいqfwfqの水に流してというブログ。
そのブログのスタイナーの続き、あるいは由良君美と山口昌男(2012年6月23日)と言う記事に粉河がコメントを寄せている。
・・・スタイナーの加藤批判は、ある意味で岩波・朝日文化人の硬直さを鋭く指摘しており、論争を仕掛けることになった由良さんは、このときばかりは、してやったりという顔そしていました。・・・これに対してブログ主(服部と言う方なのか)はこう切り返す。
・・・やっぱりね、由良君美も人がわるい。スタイナーこそ、いい迷惑でしたね。・・・筆者がR大学で「ひたすら勉強しない」努力を傾けていた時、後に彼方米国遊学中に勉学・研究のため関心を持つことになる加藤周一等「日本の現代知識人」の思想状況を垣間見せる、「スタイナーと加藤周一の口論」構図は以下のように描写されている。
ときは1974年、パリ五月革命後の急速に沈滞してゆく西欧の反体制運動の気運のなかで、コミュニスムの理想はいかに実現可能かをめぐって、ふたりは鋭く対立した。スタイナーのペシミスムにたいする加藤周一のオプティミスム。むろん、加藤周一のオプティミスムは、「英知においてはペシミスト、だが、意志においてはオプティミストたれ」とグラムシのいう「意志としてのオプティミスム」である。先のコメントによると、どうやらこの「口論」を演出したらしい由良君美なる人物に関心をそそられた。
ネット検索して見ると、粉河哲夫ほどではないが、 由良君美も至って「マイナー」な存在に見える。しかしやはり「加藤・スタイナー」が日本で公開討論するのを仕掛けた人物としてもっと知りたい。
と言うことで昨日図書館から借りてきたのが、四方田犬彦「先生とわたし」 だ。先生とはもちろん四方田にとっての先生であった由良君美のこと。
いやー、なかなか面白い。筆者が不勉強を通しているほぼ同時期に、非常な知的興奮を覚えていた人たちがいたのだ。
しかしそれは「東大」であったからではなく、多分にこの東大にあっては異色の「教養人」、由良君美に負っているのが読んでいて伝わってくる。
四方田が研究の進路を「宗教学」(その頃東大では柳川啓一教授が面白かったらしい)の方に取ろうとしていたのを由良は推したのだと言う。
また由良は四方田たち学生にエリアーデを読ませていたらしいし、四方田には個人的に北畠親房の「神皇正統記」を「隠れた」比較神話学のテキストとして紹介したとのこと。
と、ここまで書いてきてタイトルに挙げた「ジョージ・スタイナー」についてはまだ何も書いていないのに気付いた。
スタイナーを最初に耳にしたのは何時だったか。すくなくとも「ちゃんと知った」のは、プリンストン神学校でのダニエル・ジェンキンス教授の「神学と言語」みたいなタイトルの講座だった記憶している。
その講座ではテキストの一つに使われたのが、Gerhard Ebeling, Introduction to a Theological Theory of Language、だったが、副読本に挙げられていたのがGerge Steiner, After Babel: Aspects of Language and Translation、だった。
ジェンキンス教授は英国の親バルト神学者で、この時は客員で教えていたのだ。(ベン・マイヤースのこの記事が少し参考になるか・・・。)
何はともあれ、ペーパーバックの大著に見えたスタイナーの『アフター・バベル』にはかなり気圧された感じで、結局手をつけていない。
しかし「先生とわたし」と入れ替えに返却した『知の○○○○○○○』(ヒント、○はすべてカタカナ)は期待とは逆につまらなかった。
日本の人文系の若手たちが思想史から中世・ルネサンス期を見直す論文を書いているのだが、「パトスがない」、というか一様に「のっぺり」していて気味が悪い感じがした。仕掛け人(らしくある)のH・Hは一体何をどうしたいのだろう・・・と思ったのだった。
[追記]
Daniel Thomas Jenkins (1914–2002)については、Oxford Dictionary of National Biographyの項を参照。 上記「客員」と書いたが正確には「3年間契約」での教授職だったらしい。
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