に出席した。パウロ研究に関する新しい視点」から「福音」を問い直す
ほぼ一年前、「福音主義とは何か」をテーマにした同神学会研究会について辛口批評を書いたので、「あー、あれからまだ一年なのか・・・」と言う感慨が先ずある。
去年はその後目白でのリチャード・ボウカム講演会に出席したわけで、個人的にはなかなか充実した時間をすごしたわけだった。
今回のテーマは「『パウロ研究』の新しい視点」。
このブログでも何度か取り上げてきたが、「ニュー・パースペクティブ・オン・パウロ」、略してNPPと呼ばれるつい最近まで盛んに議論されたテーマである。
たまたま研究発表をなさったのは、フェイスブックの方の「N.T.ライト読書会」にも加わっておられる方々だったので、予め同読書会内では少しアドバルーンを揚げたり、予備的議論などをしていた。
昨年も会場が満杯になったことを、そして驚いたことをレポートしたが、今回はさらに賑わった。
事前に会場を大きなホールに変更したが、それでもほぼ一杯の様子であった。(当日の発表では120名を越えていたようだ。)
《第1発表》
「『パウロ研究』を巡る新しい視点:サンダースとダンを中心に」
伊藤明生、東京基督教大学教授
雑駁な感想で済ませてしまうのは失礼なのだが、なるべく早く書き留めておかないと忘れてしまうので、ご寛容のほどを・・・。
先ず時間的には新しいダン(NPPの名付け親)の学術的(特にWCCロマ書注解の出版状況)を巡る話題から入った。どちらかと言うとダンは『露払い』役かな。
講演の本論はE.P.サンダースによる画期的な「Paul and Palestinian Judaism」の紹介だった。『目次』を眺めるだけでも、彼がパウロ研究にもたらした視点の広さが窺い知れる、と言うようなニュアンスだったかもしれない。
それにしてもこの書物の影響を考えると、依然として邦訳されていない状況では「最早NPPはちっとも新しくない」とは言っていられないのではないか。
レジュメには「1世紀のユダヤ教は、パウロの福音を理解する文化脈に他ならない。」とあるが、言ってみればサンダースのような「新しい視点」が、「初期ラビ文献」と言うパウロの背景となる一次資料を丹念に読み込んで形作った故に、「パウロ像」をユダヤ教との連続性と非連続性で比較検討する議論が説得的になるのであろう。
と言うことはやはり一次資料を読まないと話にならないわけだ。
《第2発表》
ローマ人への手紙3:20-22の解釈とパウロ研究に関する新しい視点
岩上敬人(インマヌエル狭山キリスト教会牧師)
これは個別の箇所を釈義することで、「新しい視点」の有効性をある意味弁証しようとした、と言えなくもない。無論「新しい視点」の有益性を主張する。
参加者にとっては「実際にNPPがどう言う違いをもたらすのか」、と言うことに関心があるだろう。その釈義の実際を詳細に紹介するのは無理なので敢えて賛否両論激しく分かれる「信仰義認」に関わるパッセージを選んだのであろう。
(岩上氏は使わなかったが、「古い」と冠される視点で支配的な)『法廷的な枠組み』に対置して、『契約』的な枠組みがパウロの義認理解に対して有効なのではないか、との論旨ではないか、と見た。(当日のレジュメは完全原稿で渡されたが、まだ熟読できていないので「こんな印象」でとどめる。)
該当箇所を「イエス・キリストに対する信仰(目的格属格)」と取るのか、「イエス・キリストの真実(主格属格)」もまた関連する議論として興味深いテーマであるが、個人的な希望としては、広げられた風呂敷をゆっくり展開していきながら、「聖書研究」の裾野をより「分厚く」していきたいものだ。
※以上の2論文は、N.T.ライトFB読書会(非公開グループ)にて提供されています。
補記(1) 、「一世紀ユダヤ教」の文献で重要なものを整理してイントロする仕事が必要だな。
補記(2)、「正典聖書」を超える「一世紀ユダヤ教」を理解するための文献をどう位置づけたらよいのか、もイントロが必要だろうな。特にプロテスタントの方々には「旧約聖書外典偽典」をどのように導入するか、と言う問題。
補記(3)、 パウロを理解するにしても、「文化脈」が重要であることを、解釈学的に理解することを「どう説明するか」と言う問題があるだろうな。
以上、補記(1)、(2)、(3)は特に専門研究するわけではない「一般信徒」も含めた方々を念頭に挙げたものです。
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