2014年6月8日日曜日

(3)牧師の適性

下書きが大分溜まってしまった。

少し書き足りないがストックを減らすために投稿してしまおう。

今日の記事はもう1年以上経っている。
が、別に発酵したわけではない。

  *    *    *

 時折、いやしばしば、「自分は牧師に向いているのか」と自問自答したことがある。
(最近は余りない。かと言って自信持ってやっているわけではないが。)

 牧師の適性と言う問題はあると思う。

 やはり人と人との関係構築に深く関与する仕事だから。

 「人柄」「性格」と言った面で向き不向きがあるとは思う。

 牧師と言う仕事に向けての最初の段階で、沢山の質問事項が用意された「性格診断」みたいなものに書き込んだ記憶がある。

 神学校入りたての時だった。

 これは別に「スクリーニング・テスト」というわけではない。
 将来牧師の仕事に就くため自分の性格を(多分に心理学的な見地からだが)掴んでおこう、と言う狙いであろう。

 自分のスコアシートと評価を受け取ったが、多分ほっと安心した位の結果だったと思う。

 その評価表は卒業してからも取っておいたはずだが(牧師になってから参照するためと考えたのかもしれない)、今は消失してしまってない。


 恐らく牧師に向いている人柄とは「柔和」で「謙遜」あたりを先ず考えるのではないかと思う。
 人によってはリーダーシップに必要な「明るさ」とか、「積極性」とか、「社交性」を考える人もいるかもしれない。

 またプロテスタント教会のように牧師の仕事として説教を重要視する人は「聡明さ」とか「思慮深さ」を考えるかもしれない。

 [、ここからは少しリサーチして書き足した。]

 さて、そう言うわけで、消失した結果表もなくあれこれ言うのも何だから、現在どのような「牧師適正診断」みたいなものがあるか検索してみた。英語での話しだが。

 CAS (Clergy Assessment Service)では「(心理学的にみた)牧師適正度psychological fitness)」 を以下のように定義している。
By psychological fitness, we are referring to the applicant’s potential for developing competencies needed for ministry, to become ready to begin the practice of ministry and to grow into an effective ministry professional.
とあるように、最初から「完成された」牧師像で判断するのではなく、あくまでも「牧師職」を始める段階での神学校での研鑽に相応しい『潜在能力』から始まり、神学校卒業後組織によって教会に任じられる段階での適正や、さらに一定期間を経て達成される牧師専門能力習熟度等が判定されるようだ。

 この文章、と言うかウェブサイトを見ていて思ったのだが、「専門化」が進むと、それに相応しい「適正規準」も細かくなっていくことになる。そうすると神学校の先生や教団の人事を扱う部署等がそれに対応しきれず、評価や判定を一部所謂「コンサルティング業」のような機関に外注することになるのだろうか、と言うこと。

 と言ってもそんな規模で牧師職を「専門家」集団と看做しているのは、限られた国ではなかろうか。少なくとも日本ではまだそこまで考えられてはいないだろう。 
 

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