2020年2月7日金曜日

(4)ジョージ・スタイナー(1929-2020) 追記

※当ブログで以前「ジョージ・スタイナーと由良君美」という記事を書いたことがあり、その追記としようと思ったが、少し文字数が多くなりそうだったので(最近更新回数めっきり減ったので気が引けたが)別記事とした。   
『バベルの後に(After Babel)』の著者、ジョージ・スタイナーが亡くなった。

◆訃報・追悼記事(オビチュアリー)
 ・ニューヨーク・タイムス
 ・ニューヨーカー
 ・ワシントン・ポスト

ジョージ・スタイナーと由良君美」では由良君美が仕掛けたという「スタイナーと加藤周一の(激論に沸騰した)対談」について興味を抱き、だらだらといろんなことを書いてしまった。

それにしてもこの訃報を目にするまでスタイナーが生存中の人とは思っていなかったのである意味びっくりした。生年1929年であれば2年前に亡くなった筆者の父より一年遅いわけで、十分存命中であってよかったわけだが…。

さて「追記」にしたかった部分は、ツイッターで目にした例の「山口昭雄氏、1974年スタイナー・加藤対談の回顧録」である。


 
ついでに、と言っては何だがワシントン・ポストの記事にスタイナーの幼児期のことが書いてあった。(出生時の身体的障害で靴紐を結ぶのにえらい苦労したという。それによって困難を克服する不屈の精神を養うことができた。それが転じて「勉学における『早道・早分かり』の類に対する深い疑念」を持った、とのエピソード。)
The future scholar credited his mother with instilling in him the fortitude to overcome a birth defect that made his right arm 9 inches shorter than the left.

“From her came the conviction that if it’s difficult, it must be fun and worth doing,” he told the London Guardian. “Today the rule of benevolent therapy is to buy shoes with zippers. I could have had them. It took 10 months for me to learn to tie a lace; I must have howled with rage and frustration. But one day I could tie my laces. That no one can take from you. I profoundly distrust the pedagogy of ease.

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