2014年9月25日木曜日

(危)「某キリスト教イベントを短考する」

まだホットな話題で炎上(はまさかないと思うが)を避けるため具体的な名称等は避けて書く。
それで『難易度ランク』も初の「危(険)」 とした。
今回の記事は基本「ユーモア」の部類だと自分では思っている。
それで短い記事を書くつもりなので「短考する」とした。

先日ある催しに行ってきた。

キリスト教の文化祭のような複合的催しで、そのうちの「トーク」イベントに呼ばれた人は暫く前結構顰蹙を買った本を出した人だ。

その方がプロデュースする「アイドル・グループ」が会場で「歌や踊り」をしたそうだ。

(「・・・そうだ」と書く時点で大した事書いてないはずだから、その辺適当に。)

もともとこのイベント、プロデュースする某キリスト教系出版社のアイデアマンが、ジリ貧の日本の教会に花火を仕掛けるような趣があり、何をしても教会内外から風当たりが強い。

もしかしたら思う壺なのかもしれない。


何はともあれ今回一番「ヒハン」を浴びているのは、この「アイドル・グループ」が、教会堂で、十字架を前にして、お祈りみたいな所作をして、etc.と言うところにあるようだ。

※場所が「聖堂」かどうかは多少微妙な点を含むが、基本的には「聖堂」ではなく「ホール」であることに関して十分周知されていず、少し余計な論争になった部分があるのは否めない。

この方本人の弁によれば、「アイドル」を「本気、ガチ」で「宗教=超越体験」として捉え、実験的に取り組んでいるらしい。

これは確かに「論争の種」になるだろうな。

敢えて冒険的に言えば、この方は「新興宗教」に括られる「活動」をやっているのだろう。

大規模な教団になるかどうかを問わずに言えば、この方の「アイドル・グループ」活動は立派に新興宗教に近いものと感じられる。

少なくともこれまでの新興宗教と、この方の「アイドル・グループ」宗教活動と、何が大きく違うかと言えば、『教祖のカリスマ』が前面に出るのではなく、プロデュースする人間の「宗教理解」が推進役を務めている点ではないか。

巨大新興宗教には、もしかしたら、カリスマ教祖の背後に、教祖のカリスマを防御し、教団とのパイプ役となって教団の具体的な動向を操るような黒子の存在がいる場合があるかもしれない。

その場合カリスマ教祖はもっぱら『聖』を演出することに専念し、『俗』には手を出さずに黒子に任す。
そんな役割分担が考えられる。

しかしこの方の「アイドル・グループ」宗教活動の場合、プロデュース役が自らの「宗教理解」を公言しながら、非常に自覚的に「宗教=超越」を実験的に演出し、(恐らく)フィードバックを見ながらやっている。
そこがかなり違うように見える。

このような「宗教」実験が、かなりポストモダン的で、伝統的な『聖』を愚弄されたと感ずる者達の感性を逆なでするのは、無理もない、と愚考している。(筆者も多分についていけてないが。)

1 件のコメント:

  1. (訂正)
    文中「トークイベントに呼ばれた人」は今回のイベントのことではないようです。

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