ハーバード公衆衛生大学院研究員という肩書きを持つ細田満和子さんという方が書いているブログで、専門である「医療社会学、生命倫理、患者運動、医療政策、国際保健」などについて時々レポートをされている。
以前「健康への権利・健康への義務(1)」と言う記事を読んでコメントを書いて以来ツイッターでフォローしている。
もともとはツィッターでフォローしていた東大教授の山脇直司氏のツイートに細田氏のことが書かれていたのに関心を持ったのが始まりだが。
先日大野更紗さんの「困ってるひと」について記事を書いたが、難病を抱えた人が必要な医療や介護補助を受けるために、それこそ死に物狂いで資料を揃えて提出しなければならない、と言う苛酷な状況を大野さんはリポートしていた(右コラムの「マイ・ブログ・リスト」参照)。
制度の狭間に落ち込んで苦しんでいる人は様々いるに違いない。
細田さんはここ数ヶ月の活動を一気に5つの記事にまとめている。
制度と現場のコンフリクトを越えて―さまざまな立場を繋ぐ役割(1)
制度と現場のコンフリクトを越えて―さまざまな立場を繋ぐ役割(2)
医療者と患者の協働で医療を変える ~慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(CFS/ME)~
ポリオの世界の今
筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)への挑戦
標題の「繋ぐ」はこれらのレポートから垣間見れる細田さんのような働き、あるいは細田さんが提案している、実際に疾病を抱えた人、医療従事者、それをサポートする行政や同じ病に苦しむ人たちのサポートグループが連携して「救済」を構築する必要から考えさせられたことである。
10月23日(日)に東大駒場キャンパスで開催された、「ともに挑もう!慢性疲労症候群(CFS)」と題する上映会とシンポジウムも、この病にかかり一人で苦しんでいた篠原さんと言う方が、一念発起して患者の自助グループを立ち上げ、働きかけてきた努力の結果であることが指摘されている。
病を抱えながら泣き寝入りに終わらず、アクションを起こす勇気と粘りに頭が下がります。
また細田さんがその篠原さんの言葉を以下にまとめているように、社会の側が障壁を作っていること自体が「障害の本質」に関わるとは、大野さんのケースにも通じることのように感じられます。
この「繋ぐ」と言う働きを患者自身の自助努力に任せているだけで良いのか、と言うことを考えさせられます。篠原氏は壇上で、終始ストレッチャーに横たわったままでしたが、シンポジウムを締めくくる言葉として、患者一人一人がチャレンジして変化を起こそう、と 強い志の感じられる宣言をしました。機能障害や疾病を有する人々の障害の本質とは、様々な社会への参加を妨げている社会的障壁にほかならず、機能障害や疾病を持つ人々を排除しないようにする義務が社会、公共にあることが確認される必要があります。病気を持つ人々の社会参加を排除して、適切な支援を実施しな い社会の側が障害の原因であるという障害把握の転換を明確化する必要があります。篠原氏はこのことを、身を持って証明してくれているのです。だからこそ、 応援したいと思う人が周りに集まり、メディアも高い関心を寄せているのでしょう。
社会の中に「共に痛む」と言う心がなければならないと思わせられます。
また「繋ぐ」働きをするファシリテーターのような専門的人材も高度高齢者社会に向けてますます必要になってくるでしょう。
でも肝心なのはやはり様々な痛みや困難を抱える人たちに繋がろうとする普通の人々の心ではないかと思うのです。
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