2011年11月11日金曜日

ペットの死

筆者が購読しているメーリングリスト(英語)に最近こういう質問があった。

「飼っていた犬が亡くなって家中悲しんでいる。特に小さい子供たちのことを考えると、何か葬儀と言うか簡単なお祈りでもしてあげた方がいいかなと思うんだけど・・・。何か良いリソースがあったら教えて欲しい。」
と言った内容のものだった。

何人もの人がすぐ同情して色々とアドバイスをしていた。
お祈りの文章を書いてくる人や、同じような体験をした時に自分がしたことや感想を言う人もいた。

その中に『レインボー・ブリッジ』の話をしてあげるのはどうか、と言う提案をした方がいた。
Rainbow Bridge(以下導入部分を引用)
Just this side of heaven is a place called Rainbow Bridge.

When an animal dies that has been especially close to someone here, that pet goes to Rainbow Bridge.
There are meadows and hills for all of our special friends so they can run and play together.
There is plenty of food, water and sunshine, and our friends are warm and comfortable.
これはペットの死に悲しむ人のためのサイト、Pet Loss Grief Siteに収められている「お話」で、大意は天国の手前にあるレインボー橋というところで死んだペットが元気に回復して楽しく暮らしている、というものである。
そして飼い主が天国にやってくる時には走り迎えて一緒に天国に入る、と言う結末である。

このメーリングリストはキリスト教関係で、この話を子どもたちにしてあげるのは信仰的にどうか、と言う意見もあった。

どちらにしても最近気になるのがペットの家族化である。
ひどい場合は家族より溺愛する場合も見受けられる。
当然そのような存在だから、ペットの死も手厚く葬る。

で、(大衆)神学的にはどうか、と言うことがある。
はたして天国は人間だけでなくペットも入れるのか。
では人間以外の動物の中でペットだけが特別なのか。
他の家畜や野生動物はどうなるのか。
彼らの死には何らかの「葬り」のような儀礼が必要なのか。

そんなことを考えていくと、自然と共生していた原始社会の文化に近くなっていくような感じがする。現代人はただ「食べ物」としてしか受け取っていない生き物の命を原始社会の人間は同じ命を共有するもの同士として、狩猟や漁によって得たものの命を頂いて生きているという自覚を持っていた、それ故その命に感謝し敬意を表す儀礼を行っていたように思うのだ。
ただそのような文化を理想化する傾向も現代人にはあるかもしれない。

そんなこと考えなくても、現代人はペットが死ぬと「天国に行った」と簡単に思っている人は多いだろう。
と言うかそのように自分を慰めている。
確かに長年一緒に暮らしてきたペットには「個体」としての性格と言うか「魂」とも思しきものを持ち合わせているように考えても不思議ではない。
最近ではペット用の葬儀やお墓もあるようである。

教会にもペットのための葬儀を依頼してくるような時代は来ているのかもしれない。

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