2012年3月2日金曜日

対談ー日本の将来

このブログを暫く読み続けてきた読者は既にお気づきになったことと思うが、牧師である筆者が教会やその他のことを書く時にその知的根拠が殆んど(聖書は除いて)英語圏の知的産物に依拠しているのではないか、と言う疑念をお持ちではないか。
自分でもそのことは自覚しているつもりなのだが、キリスト教、特にプロテスタントが欧米の宣教の結果であり、その中でも北米や英国など英語圏の影響下にあることは否めないことは同意してくれるだろうと思う。

プロテスタントの牧師が訓練される場である神学校でも、日本でもあるいは留学でも、殆んど英語で書かれたテキストを基にして学んできたわけで、牧師になった後の学び(しばしば独学)でも英語の著書あるいはその邦訳書のお世話になっていることも今までのところ致し方ないところではなかろうか。

しかし、である。
このままでいいのか。

特に筆者のように買って読む本が洋書偏重と言うのは、伝道牧会の現場である「日本」に適用するには何とも足りないところがある、と感じている。
だからと言って新聞をよく読めといわれても最近の記事はなかなかすーっと目を通すだけで、じっくり読むまでには至らない。

そんな中ネットに接しブログをやっているおかげで、ネット上の「言論メディア」には少しずつ目を配るようになってきた。
洋書偏重の学びをいくらかでも補完してくれるのではないか、と淡い期待を持ち始めている。

今日たまたまある人のツイートで紹介されて読んだのが
平日開店ミシマガジン

平川克美と中島岳志の対談
「小商いの時代がやってきた」前編 
「小商いの時代がやってきた」後編
だ。

前編と後編に分かれているが、何やらあまり肩肘はらない、時にブレインストーミング的で、殆んど予定調和的な結論に落ち着かない(ここがいい)自由闊達なおしゃべりを繰り広げている。
滑り出しはちょっと「枠」を気にしている風だが、滑り出したあとはどこかカフェでの(周りで聞いている人に気兼ねなく)二人の談論風発調で面白く読めた。

ここに談論の内容はまとめないが、二人が日本の今の現実(人口減少、高齢化社会の政治経済の問題)をどのようにイメージし、将来に向けてどのようにこれと取り組んだらいいのか、リニアで近代合理的ではない、それでもある種の「モデル」を提示しようとしている、その様子が面白いと思った。


最近の記事で、カトリック教会の英神父や晴佐久神父の講演のビデオ・クリップから「色々学ばされた」ことを書いたが、キリスト教界人とはやはり大分違う言論姿勢が印象に残った。
言ってみればより「複雑系の思考」を大事にしている、肩から力が抜けた知的アウトプット、見たいな感じとでも表現しようか。

平川氏は内田樹氏とも大分対論しているらしいが、二人に共通しているのは日本語を何段レベルかで操る能力、と見た。
アカデミックな言語だけ使えるのではなく、もっと柔らかな言葉遣い、複雑系のことを平易な表現で伝達する能力とでも言おうか・・・。

まっ、何にせよ、ネット上でも有益な情報や言論に接することができるのはあり難い事だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿