依然としてアズベリー・神学校時代のこと。
三年生の冬、主任教官のクーン博士のクラスのことを話してみよう。
主任教官というのは勝手な命名だが、アズベリーでは前二年にある程度の成績を取った者には三年目の履修クラスをその生徒の希望する分野に集中できる特典を与えていた。
筆者は留学生の先輩に是非そのような成績を取って自分の専門領域を開拓する勉強をした方がいいよと勧められていた。
暢気な性格で余り欲も深くないのだが、この先輩の発破のおかげで一念発起学業を頑張り、何とかそのような成績を取ることができた。
それでキリスト教倫理をある程度自分の専門と考え、クーン博士 (the late Dr. Harold B. Kuhn) のクラスを多く取るようになったのであった。
三年生の秋学期、クーン博士のクラスはキリスト教社会倫理だった。
戦争や貧困など幾つかの問題群の中から一つを選んで課題論文を書くクラスだった。
筆者が選んだのは遺伝子操作技術(リコンビナントDNA)。
科学にはめっぽう弱いのになぜこれを選んだのか、残念ながら殆んど覚えていない。
もしかしたらクーン博士の方から「やってみないか」のような促しがあったのかもしれない。
ところでこの問題を取り上げたことで筆者が知るようになったキリスト教思想家(倫理学者)がジャック・エリュール(ウィキ記事)である。
特に「技術社会」から学ぶことが多かった。
何を学んだか一言で言うのも難しいが、「技術」と言うものをニュートラルなものとしてではなく、自律的で、特に現代にあってはデモニックなまでに人間存在を規定する勢力、として描出しようとしていたように記憶する。
その後はエリュールの著作を色々購入した。
「都市の意味」や「暴力」「プロパカ゜ンダ」などなど。
全部読んだわけではないが一時期「はまっていた」と言えるだろう。
アズベリーのような保守的な学校ではエリュールは前衛的な思想家だといえる。
もちろん当時はそんな思想的背景など分かって読んでいたわけではないが。
とにかく当時の筆者にとってはエリュールは非常に刺激的な思想家だった。
ところで課題論文を仕上げるのに、友達の家でタイプライターを借りながら奮闘していた。
1980年12月8日夜、たまたまテレビを目にしていた時に「ジョン・レノン逝く」のニュースが流れた。
今でもその時の記憶はかなり鮮明に残っている。
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