2016年2月9日火曜日

(5)ロバート・オルターと聖書翻訳 or バークリーとユダヤ教コミュニティー

※フェイスブックに「カリフォルニアとヘブル語聖書」と題して投稿した記事を加筆して転載

米国遊学で最後に滞在した加州バークリー。

中西部から、東海岸を経てたどり着いた西海岸は「夢のカリフォルニア」とまでは行かなかったが、東海岸の「エスタブリッシュメント」の空気が気に入らなかった私には気持ちのいい場所だった。

それから遡ること17年、バークリーでは『レビ記』註解(アンカー)のジェイコブ・ミルグロム/Jacob Milgrom夫妻(奥さんの方はGTU)を中心にユダヤ教文化センター建設が始まっていた。



ロバート・オルター(Robert Alter)はその2年後、東海岸からバークリーにやってきて彼の「新しい」歴史のページが始まった。


英文学専攻のオルターにとって師となるミルグロム(名前は伏せて少し皮肉っている)のセミナーでの印象や、その後オルター自身が聖書翻と取り組むようになった経緯を綴っている
なかなか興味深い。

※ミルグロムの訃報・追悼記事と合わせて読むとバークリーとユダヤ教コミュニティーの背景がより分かる。
※ミルグロム教授の講義を受講したシェルドン・グリーヴズの回想記事を紹介しているブログ記事
このアラン・ジェイコブスの記事(First Tings、2005年8月号)では、聖書翻訳において「意味を置き換える様な翻訳が結果的に“説明的”になってしまう」翻訳の勘違いを紹介している。 
In criticizing the various “dynamic equivalence” models of translation, I lament what Robert Alter calls “the heresy of explanation””“the use of translation as a vehicle for explaining the Bible rather than representing it in another language, [which] in the most egregious instances . . . amounts to explaining away the Bible.”
このオルターへのインタヴュー記事
では、(旧約)聖書の英語翻訳で「プロテスタント神学概念」で“上塗りされた”テキストの意味を、よりユダヤ的(個物的、詩的等々)な表現を回復することを目指した、と述べている。
But I guess I am, as a translator, what in constitutional law would be called an “originalist.” That is, I want to try to convey in English what I think were the actual values and mind-sets of the ancient Hebrew writers, which is also, in the poetry, inseparable from the concreteness of their language and the compactness and rhythmic force of the poetry they wrote.

Jews as well as Christians have imposed very postbiblical theologies and concepts on the Bible, but these have often been articulated in commentary far more often than in translation, because through the centuries most (not all) communities of Jews were not dependent on translations of the Hebrew. In the English-speaking world, the versions of the Bible we have had have certainly been suffused with Protestant theology, and, as an originalist, I have tried to scrape all that away.
 
この動画はオマケということで・・・。余裕あったらどうぞ。



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