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2017年10月17日火曜日

(5)義認論ノート、7

どうやら「義認論ノート」は毎月1回ペースのアップになっています。

何とも時間のかかる連載になっていますが、目標としたところに着地するまでは続けるつもりです。


今回は「義認論」と「教会論」を教会史的に振り返るきっかけを与えてくれた論文を紹介したいと思います。



D. G. Hart, "The Church in Evangelical Theologies, Past and Future" in Mark Husbands & Daniel J. Treier eds. THE COMMUNITY OF THE WORD: TOWARD AN EVANGELICAL ECCLESIOLOGY, 23-40.


著者のダリル・G・ハートに関しては詳しいことはあまり知らないが、改革派のウェストミンスター神学校書店の紹介ページから17冊もの著作が販売されている。

現在のプロフィールとしては「外交政策研究所(F.P.R.I.)」というシンクタンクのアソシエート・スカラーとなっている。
感じとしては「アメリカ宗教史(プロテスタント/福音派)」研究から国防・外交に関わるアメリカの国家アイデンティティーとしてのキリスト教史研究へと多少シフトしているのかもしれない。
ハートの論文のテーゼをざっくり言えば、「(アメリカ)福音主義の教会論は無きに等しい。敢えて言えば「反・教会」論のようなものである。」という感じだ。

ここで言う教会論とは「職制」「聖礼典」を基礎とした制度的教会論のことで、宗教改革者第一世代から伝統として受け継いだものだ。

しかしその後ピューリタンたちが北米に移民して教会を形成して行く過程で、この伝統的教会論は「個人の宗教経験の真正性」を原則とする教会形成に次第にシフトして行き、19世紀の信仰復興運動によってもはやその枠組み自体が見えなくなるほど衰退して行った、と概観している。

かなり長い時間の間のシフトを論証するわけだから、スケッチのような叙述になるわけだが、ハートのテーゼをある意味シンボリックに示すある人物の自伝を通して、この大きなシフトを印象付けている。

その人物とはチャールズ・ホッジ(1797-1878)とほぼ同時代の人物、ジョン・ウィリアムソン・ネヴィン(John Williamson Nevin, 1803-1886)。

ハートの構図では、ネヴインは(保守の代表と目される)ホッジの対極にある、宗教改革者の伝統的教会論を受け継ぐ正統派なのである。

ちょっと長くなるがハートの論文からネヴィンの「生い立ち、信仰訓練背景」について書いているところを引用する。


He had as a boy at Middle Spring Presbyterian Church been reared “according to the Presbyterian faith as it then stood.” For Nevin this meant a form of piety that was covenantal and churchly, begun in baptism, and sustained by catechesis in the broadest sense to include family instruction and public worship, with the end of such nurture being communion in the Lord’s Supper. As Nevin summarized it,“In one word, all proceeded on the theory of sacramental, educational religion, . . . holding the Church in her visible character to be the medium of salvation for her baptized children.”1
This system of churchly devotion received a significant challenge when Nevin went off to Union College in New York. There he encountered a rival piety in which the individual and the pursuit of conversion and holiness had made the church virtually superfluous. According to Nevin, the revivalist-driven faith of New England Puritanism “brought to pass, what amounted for me, to a complete breaking up of all my previous Christian life.” He explained:
I had come to college, a boy of strongly pious dispositions and exemplary religious habits, never doubting but that I was in some way a Christian, though it had not come with me yet (unfortunately) to what is called a public profession of religion. But now one of the first lessons inculcated on me indirectly by this unchurchly system, was that all this must pass for nothing, and that I must learn to look upon myself as an outcast from the family and kingdom of God.2 (様々な強調は筆者)

ネヴィンが育った「伝統的教会論の枠組み(ハイ・チャーチなどとも称される)」と「個人的回心を最優先するリヴァイヴァリズム」、つまり chuchly vs. unchurchly、の対立が彼の中で火花を散らすように受け止められたわけである。
※この二つのシステムの対立に関して、ネヴィンの薫陶を受けた長老教会宣教師が宮城学院の歴史に関係していて、『宮城学院資料室年報』(2015年度)に出村彰氏が「合衆国衆国改革派外国伝道局50年略史」の解題で背景的なことを書いているので参考にしてみてください。(特に41-44ページ辺りのところにネヴィンのことが書かれています。)
ネヴィンは、前回義認論ノート 6で取り上げた「Aタイプのクリスチャン」ということになります。
 (A)(クリスチャン家庭に育ち)気がついたら「クリスチャンかなー、まだかなー」、と実ははっきりした自覚がないまま過ごしてきました。でも洗礼も受けていますし、クリスチャンといえばクリスチャンだと答えています。
ハートの論文では時系列的に、ジョージ・ホィットフィールド、ジョナサン・エドワーズ、チャールズ・フィニー、チャールズ・ホッジ、エドモンド・クラウニーを取り上げて論じます。

ネヴィンを規準としてみれば、これらすべての説教者・神学者たちは、新大陸でのキリスト教の発展・形成を、ルターやカルヴィンの宗教改革遺産の保持ではなく、個人的・体験的な方向にシフトしたイノベーターということになるわけです。

洗礼と結びつく「義認論」と「教会論」の関係でいうと、ハートの論文が示唆する重要なポイントは、新大陸におけるキリスト教が聖霊による直接的な恵みとして「個人の救いの体験」を強調することによって、(カルヴィンやルターが保持していた)制度的教会がサクラメントによって媒介する神の恵みという視点を弱めたということ。

つまりサクラメントである洗礼の意義がキリスト者の体験において弱められることによって、教会論と義認との繋がりは弱まり、個人の救いを明確化する「救いの順序」救済論との関係が強められるようになった(のではないか)ということです。


※英語で読むのを厭わなければ、ハートの論文はネットにて読めますので一読をお勧めします。

2017年9月20日水曜日

(5)義認論ノート、6

義認論ノート、5で以下のような「アウトライン」的なものを提示しておきました。

    今後の展望
     (1)教会員の資格問題
     (2)(聖礼典、特に)洗礼と教会員資格問題
     (3)教会史の流れ

これから書こうとしていることは筆者にとって「依然としてかなり込み入って見えている」ことがらです。

はたして読者にどれだけ伝えられるのか・・・あまり自信はありません。

しかし、概観的にボンヤリとでも何かが見えてくれば御の字としたいと思います。


(1)最初に押さえておきたいこと

それは、
「義認」と「洗礼」は、一世紀のキリスト教会において《体験》としても《認識》としても、ほぼ同じか密接に繋がっていた
であろうということです。

「パウロがロマ書やガラテヤ書で論じている義認は『救済論』でもあり『教会論』でもある」というN.T.ライトの立場を支持して「義認論」を考えてきた筆者としては「バプテスマ」を「義認」と結びつけることには大きなメリットがあると考えています。

それはバプテスマ(の体験)が、
 (A) 「義認(罪人を無罪と宣言し赦免する=罪の赦しを与える)」という救済論の側面と、
 (B) 「(バプテスマを受けて)教会員となる」という礼典、つまり教会論に関わる側面と
両方を最も自然に繋げてくれるように思うからです。

しかし、「義認」を「洗礼」と繋げて議論するのはそう簡単ではない。というか却って渦中に栗を拾うようなことになりかねない。そのような理由と言うか背景が実はあるのです。(実際このノートが遅々として進まないのは、あっちでこっちでこんがらかった糸をほどくような苦労をしているからです。

筆者は(どこかに書いたと思いますが)教派的には「ウェスレアン・アルミニアン」という流れに属します。ということはプロテスタントの大きな流れでいうと「英国国教会=聖公会」と「改革派」になります。

しかし19世紀末頃日本に伝わってきた「きよめ派」の背景で言えば、リバイバリズムや伝道優先的な体質で、ウェスレーのように礼典を重んじたりする点や、改革派のような信仰告白に基づく教理と神学の伝統も、あまり受け継いでいません。

要するに「義認」にしても「洗礼」にしても掘り下げて論ずるDNAが殆どないのです。つまり最初からハンディキャップがかなり大きかったと言えます。

「義認論」のため様々な資料を読んできましたが、自らの体験と比較照合することが殆ど出来ないばかりか、次々に新しい要素に遭遇してそのたび新規に学習しなければならないことが多々ありました。

ですから「知ったような顔で書いている」ように見えても、結構辻褄の合わないことが見つかると思います。そのあたりご寛容のほどよろしくお願いします。

それは簡単に言えば新約聖書の時代と、その後の教会史で「洗礼の意義や役割がかなり変化してしまった」ということです。(そしてそのことは、ライトが指摘したように、義認もまた新約聖書での意味から離れ拡大して運用されるようになったこととも並行しているのではないかと思います。義認論ノート、3参照)

ルターの宗教改革は、カトリック教会に定着した「サクラメント(洗礼はその中の一つ)」が孕んだ問題から出てきた腐敗や行き過ぎに対してあったわけですが、確かにルターは「信仰義認」の原則は打ち立てましたが、その原則で「洗礼」が関わる問題を一挙にクリアーしたわけではありません。

ご存知のようにルター派教会や改革派教会は依然として「幼児洗礼」を維持してきました。(しかし改革派の場合は後述するようにリバイバリズムの影響で礼典を重んずるハイチャーチの伝統はかなり後退します。)

それに対し急進派とされた再洗礼派は「成人洗礼」に徹することで新約聖書時代の教会の洗礼のあり方に戻ろうとしました。

混乱はいまも続いています。(先鋭化して論じられることはなくなったようですが・・・。)



(2) 身近な例を使って

「義認論」の問題を教会論(端的には「洗礼」)の角度から探るために、昨年の日本伝道会議分科会「ライトの義認論」でも使った「設問」をここでも使ってみようと思います。

念頭にあるのは、ライトが指摘した「義認の教理とはつまるところ『救いの確証』のためである」というポイントです。信仰生活、教会生活の背景が異なると「洗礼」と「救いの確証」が対照的な関係になることを示してみたいと思います。
 あなたは以下の二つのうち、どちらのタイプのクリスチャンですか?

 (A)(クリスチャン家庭に育ち)気がついたら「クリスチャンかなー、まだかなー」、と実ははっきりした自覚がないまま過ごしてきました。でも洗礼も受けていますし、クリスチャンといえばクリスチャンだと答えています。
 (B)ある伝道集会みたいなところで(「招き」とか言うのがあって、何となく前に出て行ったらいろいろカウンセリングがあって、最後に「イエスを個人的な救い主と心に受け入れます」と祈りました。その後、どこか教会に繋がる様にと勧められたので、近所の○○教会に通っています。はい、自分はクリスチャンです。
A タイプのクリスチャンとは、教会史的に言えばカトリック教会、そしてプロテスタントの中でも依然として「国家/社会と教会とが同心円的関係」やその名残のある教会です。幼児洗礼がスタンダードでしょうから成人してから「クリスチャン」とは何か???と悩んだり、あるいはただ習慣で教会に通うタイプです。

このタイプの(特に真面目な)クリスチャンは、「救いの確証」問題を抱える比率が高いと考えられます。(ルターやウェスレーが思い浮かびます。)

B タイプのクリスチャンとは、先に挙げた再洗礼派がさきがけといえますが、むしろ現代の福音派教会で伝道を通してクリスチャンになる方により多く見られると思います。

このタイプは「明確な回心」を経て教会に加わることが多いので、逆に洗礼とか教会とかは「後付のもの」に感じられる比率が高いと考えられます。

この「設問」のポイントは「洗礼」と「キリスト者の自覚」とが離れていることです。

A タイプでは自覚の伴わない洗礼(特に幼児洗礼)が大きな要因と考えます。

B タイプでは「回心主義」の福音派教会に典型的ですが、「個人の信仰(の決断)」が重要視され、先ず「回心=救いの体験」があって後「洗礼」がいわば「外面的なしるし」として追加的になされる傾向があります。これらの教会は「非典礼的」な傾向が強く、押しなべて教会論が弱体化しています。


以上がうまく「今後の展開」のイントロとなってくれるといいのですが・・・。

もしピンと来ることが少なかった場合は、このブログで書いた「福音のパラダイムシフト」を読むようオススメします。

高い比率で問題意識が共有されていますし、「洗礼」と「回心体験」とを近接させる必要を指摘しています。(特に、福音派のパラダイム・シフト②)

また説明が足りていないですが、回心主義福音派で「洗礼」が「罪人の祈り」に典礼的側面を乗っ取られてしまったと テルフォード・ワークが Evangelical Sacraments: Supporting Cast for the Sinner's Prayerでズバリ指摘しています。

2017年7月6日木曜日

(5)義認論ノート、2

去年の今頃は「N.T.ライトの義認論」(第6回日本伝道会議・分科会)の打ち合わせのため、(神学)ディベートの相手となる橋本氏、それから進行役のJEA神学委員の関野氏、佐々木氏とお茶の水で初顔合わせをしていた(7月1日だった)。

夏の間はライト読書会ブログ上で橋本氏と全部で9回、土俵作りと云うか下準備のディベートをやったのだった。

今になって、少しずつ小出しの印象は否めないが、9月の正味45分の(何と短い)討論会を思い返しながら「準備した資料」を点検し整理してアップしようとしている。

それは2017年、宗教改革500周年を迎えて案外タイムリーなことかもしれない。

あらためて、「義認論」の意義は何なのか、と問うこともいいのかもしれない。


さて下記に多少時系列的な「振り返り」となるが、伝道会議・分科会を前にした7月1日の(1回だけとなった)「打ち合わせ会議」のために、筆者が《神学ディベート・分科会》で想定していたというか、「多分現実的な中身はこんなところだろうな・・・」と考えていたことを紹介しておこう。

○○先生

・・・・・・。
僭越ながら、「ライトの義認論」に関し、討論者自身の満足よりも「日本伝道会議で取り上げる『メリット』をいかに多くするか」、と云う視点から少し「討論の枠組み・方向性」を考えてみました。
何はさておき、「討論における(神学議論的)内容」を4人で議論する前に、「全体で90分と云う時間的制約」、そして想定される参加者(信徒も含む)の「ライトの義認論」に対する理解度の問題、いずれも「外的条件・制限」を優先的に考慮せざるを得ない と思われます。さすれば自ずと選択肢は狭まってくる、とそのように考えます。
(1)90分と云う時間的制約
 フロアとの質疑応答に30分取っておくことを考えると、「イントロのような事柄・・・10分」、「討論・・・45分」くらいの時間配分かと予想します。
(2)参加者の「ライトの義認論」に対する理解度
 牧師・伝道師の方々をメインに考えたとしても、やはり「最近取りざたされているNPPとか、ライトとか大丈夫なの?」くらいの関心がスタートラインと想定した方がいいと思います。「義認論」の、つまりロマ書・ガラテヤ書の釈義的問題等に「入る議論」は無理だと思います。基本
 「『義認論』て何なの?」
 「なぜ論争されているの?」
 「それ日本での伝道や牧会に影響あることなの?」

等の質問に概観的な「見取り図」を提供する「一助」、という位置付けでいいのではないかと思っています。
※個人的には恐らく討論のポイントは、「それ日本での伝道や牧会に影響あることなの?」が一番重要ではないかと思いますが。
一応以上の線で考えますと、《討論・・・45分》のポイントは、
(1)宗教改革時の「信仰義認論」と、(NPP)ライトの「義認論」とをどう整理すればいいのか、という課題
(2)以上の課題を日本で「聖書学・神学」に従事したり、関心を持ったりする方々は、どのように取組み、どのように「日本での今後の伝道・牧会」に応用させれば良いのか、という課題
以上の二つの課題を討論ポイントとして扱えばいいのではないかと思います。
以上、私見ですが、今のところの感想まで。
小嶋
さて以上がほぼ一年前考えていたことであった。

アウトラインとしては、9月28日の発表内容はこの時すでに固まっていた。

ただ、終わってみて思うのは、「(1)90分と云う時間的制約」には予想以上だった。

というのも、義認論に関するアカデミックな材料を大胆に薄める代わりに、「伝道・牧会」という応用面への展開を濃くしよう、と欲張ってしまったのだ。

それで思いのほか「発表内容」の論理的繋がりがかなり理解するのに難しくなってしまった印象がある。

しかし「フロアーとのQ&A」を30分確保したことで、「理解しきれない」問題のほんの一部は解消されたのではないかと思う。

今改めて一年後に「義認論ノート」として発表するのも、この負い目と言うか不足分をいくらかでも補えたらいいな、との期待からである。


さて、では「発題1」の文章にコメントしてみよう。

後半、つまり「伝道・牧会への応用」部分が以下のようになっている。
 「パウロにとって義認は救済論と教会論の両方を合わせたもの」とのライトの議論が正しければ、プロテスタント諸派、特に「福音派」の神学と実践に大きな 問題を投げかけます。
 それは、従来の福音派においては、「救済」においても「敬虔」においても個人的で主観的な視点が強いため、「福音」を正しく伝承し保守するために不可欠な「聖礼典」「職制」、いわゆる「教会の外的しるし」を中心とする伝統的「教会論」がかなり弱体化していることです。
 伝道が実を結ぶためには、「福音」の明証性ともに、福音の伝承を媒介する制度的教会に対する正しい見識が必要ではないでしょうか。
この部分がまことに残念ながら「欲張りすぎ」たのでした。とても5分ではポイントさえ提示するのも困難であった、と。(実際的な設問で、イメージ的にはかなり伝えられると思ったのですが・・・。)

ここで提起しているのは、「福音派の神学と実践」に対して、「ライトの義認論」は(ある意味)問題を自覚して分析させ、また解いて行く方向付けを与えるのではないか・・・ということです。

「救済論」と「教会論」とを一つに見るもの、という「ライトの義認論」の意義は、神学的整理としてよりよい(かもしれない)というポイントにとどまらず、教会の伝道・牧会という実践面への視座を与えてくれる、というポイントとして(日本の教会に限りませんが)宗教改革系列であるプロテスタントの中の特に福音派に対して大きな意義を持っているのではないか・・・という議論にしようと思ったのです。

今回「義認論ノート 2」は既に長くなってしまったので、今後の解説の大枠を提示しておくと、
 (1)救済論(特に『救いの順序(オルド・サリューティス)』の問題)
 (2)教会論(特に制度的教会論に対するアレルギー的反応というか、その蓄積でいわば福音派教会論が弱体化したという問題)

となります。

そしてこれら二つを繋ぐのが(特に「義認」に関連付けて言えば)「洗礼論」ではないかと睨んでいます。

但しその場合の「洗礼論」は単なる神学上の議論としてではなく、教会の成員を生み育てる入口としてどのように「洗礼」は役割ずけられてきたか、という(主に西洋のキリスト教会の)歴史的実践から来る「洗礼」の神学的位置付けの問題、ということになると思います。


ということで、「次回へ続く」


2016年5月29日日曜日

(3)アリスター・マクグラスのユーモア

本来なら「英語圏神学者」シリーズで取り上げてもいいはずですが、何しろ日本では翻訳書も多いしわざわざ紹介するまでもないと思い、こんなタイトルの記事になりました。

Why Reason Isn't Enough: The "Big Picture" of Faith   (動画)

(1)自身の洗礼について(0分30秒過ぎ辺りから)

  マクグラスが招かれて講演している神学校(※1)がバプテスト派なのを受けて、
「私はアングリカンですが、実は幼児洗礼で浸礼(total immersion)を授けられたのです。それはいわば事故でそうなってしまったのですが、長い話を簡単に言うと、主任司祭の方がパーキンソン氏病で、私を落っことしてしまったんですね。・・・」

(この画像はマクグラス講演とは関係がありません。)


(2)子どもの頃、既に Father Christmas は実在の人ではないと知っていたが・・・(12分30秒過ぎ辺りから)

 無神論者リチャード・ドーキンスが「宗教は幼児時代のもの」という批判に絡めて、
 リチャード・ドーキンスは「歯の妖精(tooth fairy ※2)とか、ファーザー・クリスマスとかそんなものは幼児の頃の信仰で、大人になったらそんなものはもう信じないでしょ。宗教は、神とはそんなものです。」というが・・・。
 ところで私自身のことを語りましょう。私は既に四歳頃にはファーザー・クリスマスなんていないと知っていました。でも親にはそんなこといいませんでした。なぜかって、それには恩典(fringe benefits)が伴っていたからです。


※1 George TRUETT SEMINARY (ベイラー大学)

※2




あっ、もちろんユーモアの部分だけでなく、講演も全部見てくださいね。

2015年1月25日日曜日

(個人対象)講座案内

教会HPにも案内していますが、こちらの方にも少し拡大版案内を。

聖書やキリスト教に、また宗教や信仰に、関心のある個人を対象とした講座を開いています。

曜日、時間、内容等は受講希望者と面談の上決めています。


(講座に使われている会堂隣の活水工房ティールーム)
しかし、大体以下の二つの種類に分けています。
 (1)キリスト教入門講座
 (2)クリスチャン入信講座
 
 
(1)キリスト教入門講座は、 「キリスト教とはどういう宗教なのか」、
 「聖書はどういう風に読めば分かるのか」、
 「教会」とはどんなところなのか、
その他キリスト教にまつわる様々な疑問や質問を扱います。

しかし、過去の例ですと殆どの講座受講者は「聖書についての学び」を選択しています。

また聖書の中でも殆どの場合が、新約聖書、その中でも福音書、その中でもルカの福音書の学びをしてきました。

上の方に掲げた疑問・質問は、その聖書の学びの中で折に触れ発することが出来ますので、やはり聖書の学びが、キリスト教入門講座の最も基本的なものだと思います。

またこの学びは特にキリスト教という「宗教に入る」ものとは違い、(一般の人が考える)キリスト教という宗教に関心がある方のためのものですので、客観的な学びであり、講座受講者に入信を勧めたり、特定の聖書解釈や教えを推奨したりすることはありません。
※もちろん講座を指導する牧師の個人的な解釈や考えは反映されることになりますが、その場合でも、他の解釈や考えとどのように違うのか、と言う比較の上で紹介いたします。

(2)クリスチャン入信講座は、
 「イエス・キリストとはどういう方か」、
 「クリスチャンになるとはどういうことか」、
など、主に「キリスト教への入信」を考えている方のための講座です。

※この講座を終了後、受講者の希望があれば「洗礼」準備に入ります。


以上ですが、平均して講座1セッションは1時間から1時間30分程度。

また曜日や時間帯は、週日(火・水・木・金)の午前中が多いです。

講座は無料です。(講師となる牧師への謝礼やお礼についての心配は要りません。)

※(以上を読んで)ご関心のある方は以下のアドレスまでメールでお問合せください。
小嶋崇(牧師)、sugamo_seisen@yahoo.co.jp

2014年5月21日水曜日

(4)洗礼後講座

今年のイースター(4月20日)に洗礼を受けたYさん。


教会に出席し始めたのは2012年。

最初は色々あってまばらな出席だったが、昨年からはほぼ毎週出席なさっていた。

昨年12月になって、通い出した時から心には決めていたそうだが、洗礼を申し出られた。

そして《洗礼準備講座》が始まった。

洗礼準備に入る前に、ほぼ毎週のように《入信講座》を取っておられた。

さて、洗礼を受けて一段落となったが、その後も終日午前中の学びを継続したい、と言うことで始めたのが《洗礼後講座》だった。

「テキストに何かいいのないかな」と思って考えていたが、スコット・マクナイト『福音の再発見』がいいかなと思って、
第8章「ペテロの福音」
から学び始めている。

今日は159-161ページをカバーした。

問い:「第一世代の福音説教」(159ページ)とありますが、では「第二世代(以降)」との違いは何だと思いますか?

マクナイトは基本的には新約聖書学者で、この本で『信仰の規準(レギュラ・フィデ)』を「キリスト教史」で扱う時はやはりアマチュアの感じになる。

それでマクナイトが、現在の「西洋大衆キリスト教福音派」が「救い派」になってしまったと言う時、その分析は新約聖書学的知見から出発して、(アマチュアである)教理史・キリスト教史を振り返っているわけだ。

その辺の事情を説明しながら上記の問いを梃子にして、ルカ福音書序文、使徒の働き1章(マッテヤの選出)の記事を読んでみた。
わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに・・・

そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人に・・・
「第一世代」とは、すなわちイエスの弟子たち=使徒たちであり、彼らは「イエスの宣教と受難と復活の証人」であったわけだ。

「第二世代(以降)」とは、イエスの目撃者証人である「第一世代」から福音を「伝承された」者たちである。
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。(Ⅰコリント15章3節)
パウロの場合、「主の復活の証人」と言うことでは「第一世代」になるが、イエスの宣教と受難の伝承に関しては「第二世代」となる特殊なケースだ、と言うことも付言した。


そんな風にして学びを進めている。

2012年7月15日日曜日

加藤周一のカトリック洗礼

今回加藤周一のカトリック洗礼について書くのはたまたまである。

読者の方はお気付きのように最近筆者の関心が集中しているのはオウム真理教についてである。
先ずは安上がりな資料集めとして豊島区の図書館に所蔵してあるオウム真理教関連の書物を探索していた。

その中に鷲巣力編集の「加藤周一自選集第十巻(1999-2008)」(岩波書店、2010年)があり、『オウム真理教遠聞』(1999年)と『「オウム」と科学技術者』(2004年)の二つの短い論考が収められていたのである。

わざわざこれらの二つの文章のために、とも思ったが加藤周一の著作に長らく親しんできた縁もあり借りてくることにした。

ところが巻末に編集の鷲巣力がかなりのページ数を割いて加藤周一のカトリック洗礼に関する経緯と推察を書いているのを読み、改めて加藤がなぜカトリックの洗礼を受けたのか、と言うことを考えてみたいと思ったのである。

筆者は既に「洗礼について」で加藤の洗礼について思い巡らしたことを短く書いた。
こんなことを考えていて、2008年12月に亡くなった加藤周一が、生前死の数ヶ月前にカトリックの洗礼を受けていたことを思い出した。

加藤周一の書いたものからは、およそ想像もつかないことだったが、確かに洗礼を受けたと言う事実から推察するに、老境の思想の変化があったのかも知れない、と考えたりもした。

思想的整合性の点からは、加藤は不可知論で徹底していたのではなかったか。

しかし誰にでも「信仰の飛躍」の機会はいつ訪れるか分からない。
加藤にもそう言う時が訪れたのかもしれない、とも考えてみた。
これを書いた当時はただ想像するだけで推量する資料が殆んどなかった(ちゃんと探したわけではなかった)。

今回鷲巣が書いた文章の中にこういうくだりがある。
2008年8月14日、夜遅くに加藤から私(鷲巣)あてに電話が入り、おおよそ次のようなことを述べた。「宇宙には果てがあり、その先がどうなっているかはだれにも分からない。神はいるかもしれないし、いないかもしれない。私は無宗教者であるが、妥協主義でもあるし、懐疑主義でもあるし、相対主義でもある。母はカトリックだったし、妹もカトリックである。葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。(私が無宗教ではーー引用者補足)妹たちも困るだろうから、カトリックでいいと思う。私はもう「幽霊」なんです。でも化けて出たりはしませんよ。」(488-489ページ)
これをうけて鷲巣は次のように綴る。
加藤は「死」を覚悟した。そしてカトリックに入信する意思とその理由を明らかにした、と私(鷲巣)は受けとめた。上野毛教会に入信の意思を伝え、8月19日に加藤は受洗した。 (489ページ)
ところでなぜ加藤がカトリックの洗礼を受けたのかについての鷲巣の推察は以下のようになっている。
あえて批判を恐れずに述べる。加藤の思考に沿えば、帰依するのは必ずしもカトリックでなくても良かったに違いない。論理的斉合性を持ち、超越性を指向し、「ギャップを埋める」ものであれば、カトリックであろうと、浄土教であろうと、よかったのだ。複数の選択肢からカトリックを選んだ理由は、母も妹もカトリックであると言う条件である。「妹も困るだろう」と妹のことを心配した結果だと思われる。つまりは「家族愛」を考慮したのである。 (492ページ)
さて筆者が感じたことを述べるが、鷲巣のところにかかってきた電話で加藤が述べた内容の要約に従えば、やはりカトリック洗礼の一番の契機は「死期が迫ったこと、即ち葬儀をどうするか」と言うことに尽きるのではないだろうか。

加藤自体の思想にはどうやらさしたる変化は見られない。
不可知論であり、不可知なものに対して、特に宗教に関して基本的にどの宗教も取らない。
無宗教者。
しかしそれゆえ「神の存在」(死期に及んでは死後のいのち)に関しては「妥協主義」の態度も、「懐疑主義」の態度も、「相対主義」の態度も取れる。

鷲巣に対してそのような自己の精神性(の不変)を説明した上で、あえて死(葬儀)への準備として「宗教」の選択を語る。
「葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。妹たちも困るだろうから、カトリックでいい」

カトリックの「選択」は加藤が「様々な宗教の選択肢」を考えたからではないだろう。
葬儀を営む家族(妹)を配慮した結果なのだ。

筆者としては加藤にもう少し積極的な洗礼への契機が、信仰の内在的な動機が、あったらばと思うのだが、どうやら事情は違っていた。

加藤の洗礼の申し出を受け入れたカトリック教会側との間にどんな会話があったかは知らない。
しかし受洗5日前の電話の内容からは、加藤の態度は決まっていた。
受洗にあたってのカテキズム(があったはずだろう)に対して加藤は相対的な姿勢を変えたとは思えない。

8月19日の洗礼に当たっての加藤の「信仰」は少なくとも「回心」ではなかっただろう。

2010年12月27日月曜日

洗礼について

最近立ち寄ったある方のブログに自身の洗礼のことが書いてあった。

救いに関わる「イエス・キリストへの信仰」の故ではなく、自分が携わるキリスト教系組織で仕事をする手段的理由から受けたと言うのだ。
だから受洗の時の「信仰告白」は“嘘をついた”とのこと。

そう言う訳で、洗礼を受けたと言う意味では「クリスチャン」だが、イエス・キリストによる救いの信仰がないと言う意味では「クリスチャン」ではない、と言う二義的な「クリスチャン」であることを自覚しておられる方である。

この方は「内村鑑三」を研究していて、その意味で無教会的意識が影響して、良心の呵責なしに洗礼を受けることができた面もあるのかもしれない。
いやご本人の言によれば、自分の目的を達成する手段として正当化する意識が強かったようだ。

こんなことを考えていて、2008年12月に亡くなった加藤周一が、生前死の数ヶ月前にカトリックの洗礼を受けていたことを思い出した。

加藤周一の書いたものからは、およそ想像もつかないことだったが、確かに洗礼を受けたと言う事実から推察するに、老境の思想の変化があったのかも知れない、と考えたりもした。

思想的整合性の点からは、加藤は不可知論で徹底していたのではなかったか。


しかし誰にでも「信仰の飛躍」の機会はいつ訪れるか分からない。
加藤にもそう言う時が訪れたのかもしれない、とも考えてみた。

これら二つの「洗礼」は、共に“私的”な面・理由を軸に展開した出来事である、らしいことが共通している。

確かに洗礼を受ける、受けないは個人の選択である。その面では大変私的なものである。

しかし一旦新約聖書が教える、あるいは描写する洗礼と言うことから言うと、これは大変に公的なことであり、それ故信仰告白を伴う理由ともなる。

確かに実際に洗礼を受けた者の中には、筆者も含め、それほど十分な神学的理解や自覚を持って洗礼を受ける、と言うことがなかった者も多いことと思う。

洗礼は言ってみれば単純な信仰を持った時点で受ける入門式のようなものでもある。

しかしその神学的深みはパウロをして言わしめたように「メシアと一体となる」ことであり、「メシアと共に死に、メシアと共によみがえる」と言うことを表すものである。

洗礼とは斯くも重大な出来事である。

ただ人間と言うもの、こと洗礼や聖餐と言う聖礼典に限らず、普段の礼拝や祈りにおいても、意識がぼんやりと、ただ習慣的に行っていることがどれほど多いことか。
ことは「組織がやるものだから」と言うのではなく、人間のやることは案外いい加減が多い。

ただいい加減にやっていることでも、それ自体の持っている意味や意義に時々覚醒されて自覚を新たにすることがある。

知性を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、身体を持って生ける神を礼拝する、それが求められていることなのだと思う。

2010年7月5日月曜日

どんなブログになるのかな

巣鴨聖泉キリスト教会は45年の歴史があるけれど、思い出してもこの16,7年受洗者は出ていない。

牧師の私はまだ洗礼式をしたことがない。大変残念に思っている。

それで今肝に銘じていることは受洗者が出現するように教会全体で期待すること。
頭数が増え、会堂が賑わうことが目的ではない。

真性に福音を宣べ伝えている限り、主の体に加わる者が出現するのを期待することは当然であろう。

何が欠けていたのだろうか。
反省しながら主イエス・キリストの宣教に従事する態勢を段階的に整えようとしている。

第一段階は宣べ伝えるべき福音の再確認である。これは徐々に確立しつつある。

第二段階は福音を聞くべき人々をどのように教会にお迎えするのか、である。これが目下の課題。具体的にはそのお膳立てをする「伝道のためのツール」を色々開発中。
・教会パンフレット
・この教会ブログ
・ツイッター
は「伝道のためのツール」に入る。

と言うわけで、このブログは狙いとしてはまだ福音を十分に聞いていない方々のための導入の役割を担うはずである。

よろしくね。