日曜の午後散歩に出た。
いつもの散歩のつもりだったが、この日はあることを祈るために散歩に出た。
あいにく10分過ぎた位で雨がポツポツと降り始めた。
通常だとこの時点で散歩コースを短かく切り替えて帰ってくるところであったがどうしても祈る必要を覚え続行することにした。
思えば筆者はいわゆる「プレイヤー・ライフ(祈りの生活)」に関してはずぼらな方である。
筆者の育ったキリスト教環境は概して「敬虔主義」の影響が強く、デボーションと呼ばれる聖書と祈りの「個人の密室の時間」を大切にする。
聖書学校や神学校ではこのことを霊的修練として大事にする。
牧師になってある時ふと思ったことがある。
福音書では「イエスが一人祈りに専念している」姿が描かれ、その姿を見た弟子たちがその崇高さに打たれたのかイエスに「祈りを教えて欲しいとやって来たのである。
つまりイエスは召し出した弟子たちを自分のそば近くに置きながら、あえて自分から弟子たちに祈りを教えなかった、と言うことになる。
勿論当時の敬虔なユダヤ人たちは日に三度シェマーを唱えていただろうし、「18の祝福の祈り(The Amidah)」のようなものが既にあってそれを唱えていたのかもしれない。弟子たちは弟子たちなりの「プレイヤー・ライフ」を持っていたはずだ。それなのに師であるイエスに祈りを教えて欲しい、と願ったのである。
イエスの答えが現在の私たちキリスト者も受け継いでいる「主の祈り」である。
さて「プレイヤー・ウォーク」に戻ろう。
祈りの課題は一つであり、集中して祈るために歩いた。
歩きながら幾つかの聖書の場面や言葉が思い浮かんだ。
一つはヨシュアとイスラエルがエリコの町を周回した場面である。
祈りの課題は周回コースに関連していたのだが、一歩一歩踏みしめながらかつて約束の地の一部を確保するために為されたこの一種「プレイヤー・ウォーク」とも言える場面を想像していた。
祈りの言葉は単純であった。
「信じて」「祈って」「歩きます」と繰り返した。
途中また雨が強めに降り出した。
横っ腹も苦しくなったので無理はよして区切りにしようかと一瞬迷った。
しかし祈りの要請が強く最後までコースを歩き通すことにした。
幸い雨は小降りのままで済んだ。
「信じて」と繰り返しながら、なかなか納得がいかなかった。
福音書には汚れた霊に取りつかれた子をイエスのもとに連れてきた父親のエピソードがある。(マルコ9:14-29)
父親の懇願の言葉「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」(マルコ9:24)の場面が思い出された。
今祈りながら歩いている自分もこの父親のようだと感じられた。
父親のことばを繰り返した。
段々コースは終盤に差し掛かって来た。
横っ腹が苦しいままで歩き続けていた。
祈り終えた、と言う感触ではなかったがプレイヤー・ウォークは終点(家)に来た。
70分かかった。
祈りの1ラウンドが終わった感じがした。
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2011年10月30日日曜日
2011年10月29日土曜日
明日の礼拝案内
10月30日 午前10時30分
宗教改革記念礼拝
朗読箇所 Ⅰペテロ 2:1-10
説教箇所 Ⅰペテロ 2:5,9
説 教 題 「万人祭司」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《宗教改革の発端》
1517年10月31日、万聖節前夜、マルティン・ルターはヴィッテンブルグ城教会の門に免罪符を始めとする95箇条の公開質問状を打ちつけました。当時の教会が教える内容について聖書に照らし合わせて疑義を覚え、それを公開の場で議論しようとしたことからこの世界史的出来事は始まりました。
宗教改革記念礼拝
朗読箇所 Ⅰペテロ 2:1-10
説教箇所 Ⅰペテロ 2:5,9
説 教 題 「万人祭司」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《宗教改革の発端》
1517年10月31日、万聖節前夜、マルティン・ルターはヴィッテンブルグ城教会の門に免罪符を始めとする95箇条の公開質問状を打ちつけました。当時の教会が教える内容について聖書に照らし合わせて疑義を覚え、それを公開の場で議論しようとしたことからこの世界史的出来事は始まりました。
2011年10月28日金曜日
英語圏ブログ紹介⑥
「市民宗教」と言う言葉をご存知だろうか。
もともとは啓蒙主義期フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーが「社会契約論」で発案した概念だ。
この概念をベトナム戦争で揺れていたアメリカ共和政治思想に適用しようとして導入したのがカリフォルニア大学バークレー校社会学教授のロバート・ベラーだ。
「アメリカ市民宗教」と題して学術雑誌に発表されたこの論文はその後大論争を巻き起こし数奇な運命を辿る。
日本にもこの概念が導入され、主に神道派の社会学者に適用されたりした。
長い話を省略し、現在一般的にも使用されることとなった「市民宗教」は批判的な方々からは「特定宗教と国家との癒着」や「ナショナリズムに迎合する特定宗教」として理解されることが多い。
政教分離原則を掲げる近代世俗主義からは否定的に取られる現象のことである。
さて今日紹介するブログは米国福音派の中堅新約聖書学者として以前本の紹介で名前を出したことがある、マイケル・ゴーマンの
Cross Talk - crux probat omnia: Life through the lens of the cross / Biblical and theological reflections by Michael Gorman
その副題からして「聖書と神学」を話題にするブログとして始まったのだろうが、最近はアメリカの「市民宗教」現象に対して警鐘を鳴らすウォッチドッグ的記事を多く掲載している。
最近の記事Take me out to the civil religion affair at the ballgameでも大リーグ・ベースボールの試合中に起こったことを取り上げている。
それは7回の時に国内・国外で国のために戦っている兵士たちへの尊敬を込めて国家を歌う、と言うものであった。
ゴーマンは最近は余り試合を見に行く機会は減ったと言っているが、試合開始セレモニーにつき物の国歌斉唱の時はお便所に行ったりして避けていると言う。
そんな具合だから、この試合途中の国歌斉唱にいたく疑問を抱いた、と言う次第である。
記事ではこの場合の「神」はアメリカの民族神のようなもので、キリスト教の神ではない、と疑問を呈し批判している。
ゴーマンのような人はアメリカでは少数派と言っていいだろう。
そのくらい民族(民俗)的市民宗教はアメリカ市民に余り自覚もなく受け入れられている。
イラク戦争の時ブッシュ大統領を支持した多くのキリスト者たちの振る舞いに見られたように、彼らの意識の中では「聖書の神」は「アメリカの神」なのである。
筆者もその現象を最初に目撃した時は面食らったものだ。
アメリカでの一年目、聖書学校での学びを始めて間もなく、「収穫祭礼拝」がチャペルであった。
そもそもチャペルに国旗が飾ってあること自体異様な風景だったが、その時の礼拝の最中に「国旗への誓い(Pledge of Allegiance)」と言う儀式がなされたのである。
礼拝後学生たちにその時の違和感を口にしたら、殆んどの学生が「何がおかしい」とばかりに筆者を見つめた。
まだ足りない英会話力で何とかこのような儀式が教会でなされることの不適切さを議論しようとしたことを思い出す。
もともとは啓蒙主義期フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーが「社会契約論」で発案した概念だ。
この概念をベトナム戦争で揺れていたアメリカ共和政治思想に適用しようとして導入したのがカリフォルニア大学バークレー校社会学教授のロバート・ベラーだ。
「アメリカ市民宗教」と題して学術雑誌に発表されたこの論文はその後大論争を巻き起こし数奇な運命を辿る。
日本にもこの概念が導入され、主に神道派の社会学者に適用されたりした。
長い話を省略し、現在一般的にも使用されることとなった「市民宗教」は批判的な方々からは「特定宗教と国家との癒着」や「ナショナリズムに迎合する特定宗教」として理解されることが多い。
政教分離原則を掲げる近代世俗主義からは否定的に取られる現象のことである。
さて今日紹介するブログは米国福音派の中堅新約聖書学者として以前本の紹介で名前を出したことがある、マイケル・ゴーマンの
Cross Talk - crux probat omnia: Life through the lens of the cross / Biblical and theological reflections by Michael Gorman
その副題からして「聖書と神学」を話題にするブログとして始まったのだろうが、最近はアメリカの「市民宗教」現象に対して警鐘を鳴らすウォッチドッグ的記事を多く掲載している。
最近の記事Take me out to the civil religion affair at the ballgameでも大リーグ・ベースボールの試合中に起こったことを取り上げている。
それは7回の時に国内・国外で国のために戦っている兵士たちへの尊敬を込めて国家を歌う、と言うものであった。
ゴーマンは最近は余り試合を見に行く機会は減ったと言っているが、試合開始セレモニーにつき物の国歌斉唱の時はお便所に行ったりして避けていると言う。
そんな具合だから、この試合途中の国歌斉唱にいたく疑問を抱いた、と言う次第である。
記事ではこの場合の「神」はアメリカの民族神のようなもので、キリスト教の神ではない、と疑問を呈し批判している。
ゴーマンのような人はアメリカでは少数派と言っていいだろう。
そのくらい民族(民俗)的市民宗教はアメリカ市民に余り自覚もなく受け入れられている。
イラク戦争の時ブッシュ大統領を支持した多くのキリスト者たちの振る舞いに見られたように、彼らの意識の中では「聖書の神」は「アメリカの神」なのである。
筆者もその現象を最初に目撃した時は面食らったものだ。
アメリカでの一年目、聖書学校での学びを始めて間もなく、「収穫祭礼拝」がチャペルであった。
そもそもチャペルに国旗が飾ってあること自体異様な風景だったが、その時の礼拝の最中に「国旗への誓い(Pledge of Allegiance)」と言う儀式がなされたのである。
礼拝後学生たちにその時の違和感を口にしたら、殆んどの学生が「何がおかしい」とばかりに筆者を見つめた。
まだ足りない英会話力で何とかこのような儀式が教会でなされることの不適切さを議論しようとしたことを思い出す。
2011年10月26日水曜日
ベースボールとキリスト教
「野球とキリスト教」と言う題を書きかけてすぐ書き改めた。
現在ワールド・シリーズたけなわの米大リーグの「ベースボール」と日本の「野球」はルールは同じでもかなり違う、とよく言われる。
プレーのスタイルや、球場、観客の雰囲気、そして応援の仕方やチームと地域の繋がり方など、挙げだしたら色々あるだろう。
筆者は別にプロ野球のファンでも、米大リーグにお気に入りのチームがあるわけではない。
球場に足を運んだことは記憶にあるだけでも後楽園に一回、留学中にシンシナッチ・レッズの試合を一回見に行っただけである。
さて今年のワールド・シリーズはセントルイス・カージナルスとテキサス・レンジャーズとの対戦で、目下レンジャーズの方が3勝2敗と王手をかけている。
レンジャーズの主砲ジョシュ・ハミルトン選手が今日の記事の主役である。
これはクリスチャニティー・トゥデー誌に掲載されたSuper Natural: Josh Hamilton's Comebackを読んでの感想みたいなものである。
なるほど大したカムバックである。
記事は、ハミルトンが選手として駆け出しの頃酒とクラック(覚せい剤)に溺れ怪我や何かで選手生命を棒に振っていたが、ある時を境に立ち直り現在の活躍までを綴っている。
その立ち直りの要因の中に少なからず信仰も関わっている。(自伝の中でそのことが綴られているらしい。)
さてハミルトンがドラフト一位指名でそのままスターに上り詰めていたら、変な言い方だが普通の「アメリカン・ドリーム」の話で終わるわけだろう。
しかし挫折を繰り返しどん底まで行って這い上がって現在のスーパースターダムにいることがよりドラマティックな「アメリカン・ドリーム」の達成者としている。
しかし彼は酒やドラッグに逆戻りしないように妻や、コーチや、同僚の選手たちの監視に守られている、と言う曰くつきのスーパースターなのだと言う。
彼の元には教会などから講演依頼が舞い込んでいるらしいが、彼は自分がそのような条件のもとで選手を続けていることを自覚している。自分のカムバックが周りの人たちの守りによることを承知で「証し」しているらしい。
野球に限らずプロスポーツ選手は倫理的に少し高いハードルを課せられていると思う。(彼らは青少年の憧れの的であり、模範的であるべきだ、と言う考えによるものだろう。)
人生に失敗した人間に第二、第三のカムバックの機会を提供できるアメリカ(スポーツ)社会は懐が深いと言うべきなのか。それともいかにドラッグに陥りやすい環境が満ちている社会と言うべきなのか。難しいところだ。
現在ワールド・シリーズたけなわの米大リーグの「ベースボール」と日本の「野球」はルールは同じでもかなり違う、とよく言われる。
プレーのスタイルや、球場、観客の雰囲気、そして応援の仕方やチームと地域の繋がり方など、挙げだしたら色々あるだろう。
筆者は別にプロ野球のファンでも、米大リーグにお気に入りのチームがあるわけではない。
球場に足を運んだことは記憶にあるだけでも後楽園に一回、留学中にシンシナッチ・レッズの試合を一回見に行っただけである。
さて今年のワールド・シリーズはセントルイス・カージナルスとテキサス・レンジャーズとの対戦で、目下レンジャーズの方が3勝2敗と王手をかけている。
レンジャーズの主砲ジョシュ・ハミルトン選手が今日の記事の主役である。
これはクリスチャニティー・トゥデー誌に掲載されたSuper Natural: Josh Hamilton's Comebackを読んでの感想みたいなものである。
なるほど大したカムバックである。
記事は、ハミルトンが選手として駆け出しの頃酒とクラック(覚せい剤)に溺れ怪我や何かで選手生命を棒に振っていたが、ある時を境に立ち直り現在の活躍までを綴っている。
その立ち直りの要因の中に少なからず信仰も関わっている。(自伝の中でそのことが綴られているらしい。)
さてハミルトンがドラフト一位指名でそのままスターに上り詰めていたら、変な言い方だが普通の「アメリカン・ドリーム」の話で終わるわけだろう。
しかし挫折を繰り返しどん底まで行って這い上がって現在のスーパースターダムにいることがよりドラマティックな「アメリカン・ドリーム」の達成者としている。
しかし彼は酒やドラッグに逆戻りしないように妻や、コーチや、同僚の選手たちの監視に守られている、と言う曰くつきのスーパースターなのだと言う。
彼の元には教会などから講演依頼が舞い込んでいるらしいが、彼は自分がそのような条件のもとで選手を続けていることを自覚している。自分のカムバックが周りの人たちの守りによることを承知で「証し」しているらしい。
Hamilton says it's all part of his "platform" for reaching people who deal with their own or loved ones' addictions, and for reaching people with the good news of the gospel.果たして日本でプロ野球選手が麻薬で自滅した後にカムバックできるような環境があるだろうか。多分麻薬常習が発覚した時点で社会的にアウトだろう。
野球に限らずプロスポーツ選手は倫理的に少し高いハードルを課せられていると思う。(彼らは青少年の憧れの的であり、模範的であるべきだ、と言う考えによるものだろう。)
人生に失敗した人間に第二、第三のカムバックの機会を提供できるアメリカ(スポーツ)社会は懐が深いと言うべきなのか。それともいかにドラッグに陥りやすい環境が満ちている社会と言うべきなのか。難しいところだ。
2011年10月24日月曜日
何歳まで生きたい?
とある会話で「何歳まで生きたい」と唐突に聞かれた筆者は答えに詰まった。
先日57歳の誕生日を迎えたが暫く前から、もっと正確に言えば40代後半位から、人生の折り返しに入っていることは漠然と考えるようにはなっていた。
ここ2年ほど体調がすぐれないと言うか、気力が落ちているのを感じているので、どちらかと言うと一日一日、一週間一週間なるべく不具合なく過ごすのが目標みたいにしている。
「何歳まで生きたい」と質問されて、はたと「そんなこと考える余裕のない自分」を発見したような気がした。
でも改めて考えてみると「長生きしたい」とは思っていないようである。
先日元気印の有名老人、日野原重明氏が100歳を迎えたことがニュースになっていた。
その時だったか、その数日後位だったか、何かのテレビ放映で日野原氏が「私はまだ110歳くらいまで生きる気がする」と言っていた。
またご自分スケジュール帳には10年先までの予定が書いてある、みたいなことも言っていた。
全くバイタリティーに溢れた方である。
でも余り羨ましいとは思わないのはなぜなのだろう。
詰まるところ「自分の人生でこれを実現したい」と言うようなはっきりとしたゴールを持っていないからなのだろうな。
これまでもそうであったように大体が行き当たりばったりの人生を歩んできたわけだ。
計画性がないというか・・・。
もともと人より何事もゆっくりペースを好む方だ。
競争は嫌い。
とにかく何かに必死になると言うことが殆んどない。
思い返せば神学校時代、初めて頑張って勉強することを学んだ。
と言ってもせいぜいタームペーパー(小論文)を締切日前に完成させるため半徹夜したことが一回ある程度だ。
だが筆者にとってはそんなに必死になったことはなかったので、無事完成させた時の解放感、達成感は特別なものだった。
要するに普段はいかにして労を惜しむか、つまり省力に頭をひねる方なのだ。
そういう生き方をしてきた人間が「何歳まで生きたいか」と問われても答えに窮するのは無理もないのではないか。
自然体。
流れに任せる。
少しキリスト教的に高尚に言えば「摂理のまにまに」だ。
自分であれこれ画策するのは面倒くさいだけなのだが・・・。
ただ牧師をやっている手前後何年位できるのか、教会の将来をどうしたらいいのか、等の課題は無理にでも考えざるを得ない。
回答は難しくて出そうもないが・・・。
「何歳まで生きたい」
こんな質問時々必要だ。
はたと立ち止まってぼんやりしている自分に活を入れるためにも。
先日57歳の誕生日を迎えたが暫く前から、もっと正確に言えば40代後半位から、人生の折り返しに入っていることは漠然と考えるようにはなっていた。
ここ2年ほど体調がすぐれないと言うか、気力が落ちているのを感じているので、どちらかと言うと一日一日、一週間一週間なるべく不具合なく過ごすのが目標みたいにしている。
「何歳まで生きたい」と質問されて、はたと「そんなこと考える余裕のない自分」を発見したような気がした。
でも改めて考えてみると「長生きしたい」とは思っていないようである。
先日元気印の有名老人、日野原重明氏が100歳を迎えたことがニュースになっていた。
その時だったか、その数日後位だったか、何かのテレビ放映で日野原氏が「私はまだ110歳くらいまで生きる気がする」と言っていた。
またご自分スケジュール帳には10年先までの予定が書いてある、みたいなことも言っていた。
全くバイタリティーに溢れた方である。
でも余り羨ましいとは思わないのはなぜなのだろう。
詰まるところ「自分の人生でこれを実現したい」と言うようなはっきりとしたゴールを持っていないからなのだろうな。
これまでもそうであったように大体が行き当たりばったりの人生を歩んできたわけだ。
計画性がないというか・・・。
もともと人より何事もゆっくりペースを好む方だ。
競争は嫌い。
とにかく何かに必死になると言うことが殆んどない。
思い返せば神学校時代、初めて頑張って勉強することを学んだ。
と言ってもせいぜいタームペーパー(小論文)を締切日前に完成させるため半徹夜したことが一回ある程度だ。
だが筆者にとってはそんなに必死になったことはなかったので、無事完成させた時の解放感、達成感は特別なものだった。
要するに普段はいかにして労を惜しむか、つまり省力に頭をひねる方なのだ。
そういう生き方をしてきた人間が「何歳まで生きたいか」と問われても答えに窮するのは無理もないのではないか。
自然体。
流れに任せる。
少しキリスト教的に高尚に言えば「摂理のまにまに」だ。
自分であれこれ画策するのは面倒くさいだけなのだが・・・。
ただ牧師をやっている手前後何年位できるのか、教会の将来をどうしたらいいのか、等の課題は無理にでも考えざるを得ない。
回答は難しくて出そうもないが・・・。
「何歳まで生きたい」
こんな質問時々必要だ。
はたと立ち止まってぼんやりしている自分に活を入れるためにも。
2011年10月22日土曜日
明日の礼拝案内
10月23日 午前10時30分
朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 4:8-5:1
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 4:27-31
説 教 題 「自由の女の子ども」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(70)
ガラテヤ人への手紙(58)
・4:21-5:1 自由の子
朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 4:8-5:1
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 4:27-31
説 教 題 「自由の女の子ども」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(70)
ガラテヤ人への手紙(58)
・4:21-5:1 自由の子
2011年10月21日金曜日
英語の強制
今朝の朝日の朝刊、世界政治欄(12ページ)の『特派員メモ』コラムの記事についての感想。
反応は「英語は世界共通語だ」「彼女が英語で話す映像は世界中で放送される」だから少しでも英語でコミュニケートする努力して当然だ、とばかりに猛反発されたそうである。
春日記者はその反応に「自分たちが世界標準と言うおごり」を感じたと記している。
朝日の記者が「失礼」と感じたのは米国人記者がカルマンさんに対して英語で話すように要求したやり方が一方的、と映ったからだろう。通訳が傍にいたのだから自国語で話したとしても問題はないはずだ、と朝日の記者は思ったに違いない。
一方米国人記者たちは、自分たちが大手メディアであることを背景に、ノーベル賞を受賞する人権活動家が英語でアッピールするインパクトを計算して、カルマンさんに片言でもいいから英語で話すことの効果を思う余り「英語でしゃべって。じゃないと放送できない」のような言い方になってしまったのだろう。
米国人記者は「英語を強制」したのだろうか。
その場に居合わせたわけではないので実際のところは分からないが、その後の推移を見ると「強制」とまで感じたのは朝日の記者の方で、カルマンさんではなかったのではないか。
実際カルマンさんは通訳を介してインタヴューに応じた、とある。
その後の実際の報道が通訳部分を介して語ったところをどの程度省略せず報じたか、それはこのコラムからは分からない。
この一件から思い出したことがある。
女子プロ・テニスの伊達公子のことだ。
現在のクルム伊達のことではなく、一時引退する前の世界ランキング上位にいた頃の伊達選手のことだ。
女子プロ・ワールド・ツアーに参加する選手は試合後のインタヴューに対し英語で応対するよう決められていた、と言うことがあり、伊達選手はそれをプレッシャーに感じていた、と言うことを何かで読んだ。
実際何度か彼女の英語のインタヴュー場面を見た覚えがあるが、いかにも苦手な感じでそそくさとした受け答えであったような記憶だ。
もし記憶が間違っていなかったら、伊達選手はある時インタヴューをすっぽかして帰ってしまい協会から注意を受けたようなことがあったらしい。
スポーツ選手のインタヴューとカルマンさんの場合は比較にならないが、少なくともカルマンさんが英語でしゃべるか、それとも母語でしゃべり通訳してもらうかはカルマンさんの訴えたいことをどのように効果的にやるか、と言うことの選択肢であり、この時のカルマンさんは「正確に国内の状況をなるべく詳細に伝えたかった」のだろう。
簡単な英語でキャッチーなコピーを発することも出来ただろうが、彼女はそれを選ばなかった。やはりジャーナリストとしての自覚と意識に基づく選択だったのだろう。
ところでネットで入手できる、タワク・カルマンさんの英語の挨拶とアラビア語のスピーチ
を聞くと、ある程度英語でコミュニケートできることが分かる。ただ内容的に自分が伝えたいことをしっかりと訴えるにはやはり通訳の助けを借りることが賢明であることがこのスピーチを聞くと分かるような気がする。
イエメン国内での人権侵害や報道規制など、アメリカの対テロ政策とイエメン政府との関係の背景などを聞いてみると、やはりその複雑な内容を外部の人たちに伝える時には母語でしゃべらざるをえなかったのだと思う。
世界がどれだけイエメンの国内問題に関心を持っているだろうか。
ノーベル賞受賞と言うきっかけを用いてできる限りイエメンの状況を正確かつ詳細に訴えられるかはカルマンさんにとって優先的課題だったに違いない。
「英語でしゃべって。じゃないと放送できない」この様子を見ていた日本人記者(『特派員メモ』の筆者)、春日芳晃は会見後米国人記者たちに「カルマンさんに対して失礼ではないか」とたずねたそうだ。
18日夕、国連本部前の公園。米大手放送局の記者たちが声を張り上げた。イエメンのサレハ大統領退陣を求める在米イエメン人らのデモに参加した、今年のノーベル平和賞を受賞する人権活動家タワックル・カルマン(32)さんの記者会見のことだ。
「英語は得意ではありません」と当惑するカルマンさんに、米国人記者たちは「片言でいい」と食い下がる。カルマンさんは悩んだ末、「正確に伝えたい」として母語のアラビア語で語り、通訳が一文ずつ英訳した。米国人記者たちからはため息が漏れた。
反応は「英語は世界共通語だ」「彼女が英語で話す映像は世界中で放送される」だから少しでも英語でコミュニケートする努力して当然だ、とばかりに猛反発されたそうである。
春日記者はその反応に「自分たちが世界標準と言うおごり」を感じたと記している。
朝日の記者が「失礼」と感じたのは米国人記者がカルマンさんに対して英語で話すように要求したやり方が一方的、と映ったからだろう。通訳が傍にいたのだから自国語で話したとしても問題はないはずだ、と朝日の記者は思ったに違いない。
一方米国人記者たちは、自分たちが大手メディアであることを背景に、ノーベル賞を受賞する人権活動家が英語でアッピールするインパクトを計算して、カルマンさんに片言でもいいから英語で話すことの効果を思う余り「英語でしゃべって。じゃないと放送できない」のような言い方になってしまったのだろう。
米国人記者は「英語を強制」したのだろうか。
その場に居合わせたわけではないので実際のところは分からないが、その後の推移を見ると「強制」とまで感じたのは朝日の記者の方で、カルマンさんではなかったのではないか。
実際カルマンさんは通訳を介してインタヴューに応じた、とある。
その後の実際の報道が通訳部分を介して語ったところをどの程度省略せず報じたか、それはこのコラムからは分からない。
この一件から思い出したことがある。
女子プロ・テニスの伊達公子のことだ。
現在のクルム伊達のことではなく、一時引退する前の世界ランキング上位にいた頃の伊達選手のことだ。
女子プロ・ワールド・ツアーに参加する選手は試合後のインタヴューに対し英語で応対するよう決められていた、と言うことがあり、伊達選手はそれをプレッシャーに感じていた、と言うことを何かで読んだ。
実際何度か彼女の英語のインタヴュー場面を見た覚えがあるが、いかにも苦手な感じでそそくさとした受け答えであったような記憶だ。
もし記憶が間違っていなかったら、伊達選手はある時インタヴューをすっぽかして帰ってしまい協会から注意を受けたようなことがあったらしい。
スポーツ選手のインタヴューとカルマンさんの場合は比較にならないが、少なくともカルマンさんが英語でしゃべるか、それとも母語でしゃべり通訳してもらうかはカルマンさんの訴えたいことをどのように効果的にやるか、と言うことの選択肢であり、この時のカルマンさんは「正確に国内の状況をなるべく詳細に伝えたかった」のだろう。
簡単な英語でキャッチーなコピーを発することも出来ただろうが、彼女はそれを選ばなかった。やはりジャーナリストとしての自覚と意識に基づく選択だったのだろう。
ところでネットで入手できる、タワク・カルマンさんの英語の挨拶とアラビア語のスピーチ
を聞くと、ある程度英語でコミュニケートできることが分かる。ただ内容的に自分が伝えたいことをしっかりと訴えるにはやはり通訳の助けを借りることが賢明であることがこのスピーチを聞くと分かるような気がする。
イエメン国内での人権侵害や報道規制など、アメリカの対テロ政策とイエメン政府との関係の背景などを聞いてみると、やはりその複雑な内容を外部の人たちに伝える時には母語でしゃべらざるをえなかったのだと思う。
世界がどれだけイエメンの国内問題に関心を持っているだろうか。
ノーベル賞受賞と言うきっかけを用いてできる限りイエメンの状況を正確かつ詳細に訴えられるかはカルマンさんにとって優先的課題だったに違いない。
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