第1章 All Dressed Up and No Place to Go?の部分のディスカッションをほぼ終えました。
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2013年4月30日火曜日
千の風になって
N.T.ライトFB読書会でSurprised By Hopeを読み始めて1週間余経ちました。
第1章 All Dressed Up and No Place to Go?の部分のディスカッションをほぼ終えました。
第1章 All Dressed Up and No Place to Go?の部分のディスカッションをほぼ終えました。
2013年4月27日土曜日
明日の礼拝案内
主日礼拝
4月28日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「主イエスに対する信仰」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(105)
コロサイ・ピレモン(8)
4月28日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「主イエスに対する信仰」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(105)
コロサイ・ピレモン(8)
2013年4月25日木曜日
つけ麺文化
教会のブログとしてはかなり大外れな記事ですね。
とは言え毎月「食の日」でコイノニアの一端を形成している教会としては少しは関係があるかも。(少々こじつけ)
昨日テレビを見ていたらアメリカ発の「つけ麺」が新横浜ラーメン博物館に逆輸入されたとかやっていた。
IKEMEN HOLLYWOODと言う店。
番組によると今では全米で300の「RAMEN」店があるそうだ。
見るからに太そうな麺。
これでまた思った。
日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。
筆者は麺類は子供の頃から何でも好きだった。
たまに上京して(その頃は仙台にいた)ご馳走しに連れて行かれても、注文するのは「もりそば」で「なーんだ、そんなのでいいの」とがっかりさせたものである。
米国に遊学に出て最初の頃は夢で(味噌)ラーメンが食べたくなった。
当時は周りに日本食料品店などなかったので、小麦粉を捏ねてモップの柄を麺棒にして伸ばし、仲間の日本人留学生にふるまったこともある。
さて1984年一時帰国した折、とにかく食べられるだけ食べよう、と言うことで山本益博「東京 味のグランプリ (1984)」をガイドに食べまわった。
特に思い入れが強かったのが「ラーメン」だ。
何軒か食べまわった中で、その後帰国してからも通い続けるようになったのが、東池袋・大勝軒だ。
いつも行列ができていたが、その頃はまだ近くのビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生くらいだった。(待ち時間は大体20分程度と記憶している。)
大勝軒は「元祖つけ麺」となっているが、店内では「特製もりそば」となっており、普通に水にさらしたものの他に、再度熱い湯に潜らせた「あつもり」というのもあった。
大勝軒は当時ではまだ珍しく「自家製麺」だった。
麺の太さは現在主流となった太麺と比較すればかなり細い。
と言うかインスタントラーメン程度の太さ。
この麺が何しろ打ちたて、茹でたてで、シコシコ、チュルチュル、の舌触りでおいしかった。
とにかく客の大半が、ビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生連中だから、麺の量は通常の1.5-2倍程度あっただろう。
ラーメンの場合、食べ終る前に麺が伸びてしまうのである。
それで「もりそば」がメニューとして生まれたのではないか、とひそかに思っている。
さて、その後大勝軒は度々テレビ取材に取り上げられるようになり、客層が増え、行列は異常に長くなり、ついに行かなくなってしまった。
その後地域の再開発で2007年に閉店したが、初代店主の山岸さんから受け継いだ二代目が新・大勝軒を構えている。
先に「日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。」 と書いたが幾つかポイントを挙げて結論としておこう。
①基本は熱い中華そば
どんぶりの中で麺とスープと具のバランスが取れている中華そばがスタンダードだと思う。もりそばは、副のメニューだと思う。大勝軒の麺のように大量で食べ終る前に伸びてしまうようなケースで出てくる工夫だと思う。
②スープはシンプルに
最近のラーメンのスープは出汁の種類がめちゃくちゃ多く、加えて調味料も濃過ぎで、味が何だか分からない位だ。「濃厚」と言えば聞こえはいいが、要するに作ってる方も、食べてる方も、味覚が麻痺してきているか・・・と思うほどだ。スープの味が分からないほど調味料が多かったり、脂その他で味を濃くしていくやり方は本末転倒。
③麺の太さや縮れ加減に懲りすぎるな
特につけ麺に言えるが、太過ぎ!! ぼそぼそした食感の麺が多すぎる。基本は表面に湿り気が残るようなしなやかな麺、がうまい。縮れのあるなしはさほど関係ない。麺がスープとよく絡むのは麺自体の性質よりも、食べる人の食べ方の問題だ。
以上どうでもいいことを書き連ねました。
とは言え毎月「食の日」でコイノニアの一端を形成している教会としては少しは関係があるかも。(少々こじつけ)
昨日テレビを見ていたらアメリカ発の「つけ麺」が新横浜ラーメン博物館に逆輸入されたとかやっていた。
IKEMEN HOLLYWOODと言う店。
番組によると今では全米で300の「RAMEN」店があるそうだ。
見るからに太そうな麺。
これでまた思った。
日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。
筆者は麺類は子供の頃から何でも好きだった。
たまに上京して(その頃は仙台にいた)ご馳走しに連れて行かれても、注文するのは「もりそば」で「なーんだ、そんなのでいいの」とがっかりさせたものである。
米国に遊学に出て最初の頃は夢で(味噌)ラーメンが食べたくなった。
当時は周りに日本食料品店などなかったので、小麦粉を捏ねてモップの柄を麺棒にして伸ばし、仲間の日本人留学生にふるまったこともある。
さて1984年一時帰国した折、とにかく食べられるだけ食べよう、と言うことで山本益博「東京 味のグランプリ (1984)」をガイドに食べまわった。
特に思い入れが強かったのが「ラーメン」だ。
何軒か食べまわった中で、その後帰国してからも通い続けるようになったのが、東池袋・大勝軒だ。
いつも行列ができていたが、その頃はまだ近くのビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生くらいだった。(待ち時間は大体20分程度と記憶している。)
大勝軒は「元祖つけ麺」となっているが、店内では「特製もりそば」となっており、普通に水にさらしたものの他に、再度熱い湯に潜らせた「あつもり」というのもあった。
大勝軒は当時ではまだ珍しく「自家製麺」だった。
麺の太さは現在主流となった太麺と比較すればかなり細い。
と言うかインスタントラーメン程度の太さ。
この麺が何しろ打ちたて、茹でたてで、シコシコ、チュルチュル、の舌触りでおいしかった。
とにかく客の大半が、ビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生連中だから、麺の量は通常の1.5-2倍程度あっただろう。
ラーメンの場合、食べ終る前に麺が伸びてしまうのである。
それで「もりそば」がメニューとして生まれたのではないか、とひそかに思っている。
さて、その後大勝軒は度々テレビ取材に取り上げられるようになり、客層が増え、行列は異常に長くなり、ついに行かなくなってしまった。
その後地域の再開発で2007年に閉店したが、初代店主の山岸さんから受け継いだ二代目が新・大勝軒を構えている。
先に「日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。」 と書いたが幾つかポイントを挙げて結論としておこう。
①基本は熱い中華そば
どんぶりの中で麺とスープと具のバランスが取れている中華そばがスタンダードだと思う。もりそばは、副のメニューだと思う。大勝軒の麺のように大量で食べ終る前に伸びてしまうようなケースで出てくる工夫だと思う。
②スープはシンプルに
最近のラーメンのスープは出汁の種類がめちゃくちゃ多く、加えて調味料も濃過ぎで、味が何だか分からない位だ。「濃厚」と言えば聞こえはいいが、要するに作ってる方も、食べてる方も、味覚が麻痺してきているか・・・と思うほどだ。スープの味が分からないほど調味料が多かったり、脂その他で味を濃くしていくやり方は本末転倒。
③麺の太さや縮れ加減に懲りすぎるな
特につけ麺に言えるが、太過ぎ!! ぼそぼそした食感の麺が多すぎる。基本は表面に湿り気が残るようなしなやかな麺、がうまい。縮れのあるなしはさほど関係ない。麺がスープとよく絡むのは麺自体の性質よりも、食べる人の食べ方の問題だ。
以上どうでもいいことを書き連ねました。
2013年4月23日火曜日
N.T.ライト読書会ブログ始めました
このブログでも大分今迄お世話になりましたが、この度「N.T.ライト読書会」は独自のブログを開始しました。
普通のウェッブサイトは構築が少し複雑で面倒なため余り頻繁に更新して来ませんでした。
これを機会により情報を頻繁にきめ細かくして行きたいと思っています。
N.T.ライト読書会ブログ
をよろしくお願いします。
普通のウェッブサイトは構築が少し複雑で面倒なため余り頻繁に更新して来ませんでした。
これを機会により情報を頻繁にきめ細かくして行きたいと思っています。
N.T.ライト読書会ブログ
をよろしくお願いします。
2013年4月21日日曜日
神学遍歴⑦
前回まで「アズベリー神学校時代」のことを何度か書いた。
今回はいよいよアズベリーを卒業して「プリンストン神学校」時代のことに移ろう。
アズベリー卒業時点で滞米4年が経過していた。
牧師となるのであればそのまま帰国するのが普通だろうが、周りの意見などもあり勉学を続けることになった。
と言うことは「博士課程」と言うことになるが、ハーバードPh.Dのクーン教授に(まあ言ってみれば)師事していたこともあり、言われるままに4校に入学申請した。
キリスト教倫理の領域と言うことで4校に絞ったのであるが、クーン教授から提案されたのは、
① Harvard Divinity School
② Princeton Theological Seminary
③ Candler School of Theology (Emory University)
④ The University of Iowa (the Department of Religious Studies)
であった。
筆者的には①と②は鼻から無理と思っていたが、クーン教授は「とにかくアプライするだけやった方が良い」と言うことで譲らなかった。要するに両校とも神学教育と言うことで北米一二を争うのだから、トライして損はない、と言うことだった。
③はメソジスト系の大学
④は、当時George Forellが健在であった。
結局入学許可を受けたのは、③と④であった。
③と④どちらかに行くと言う選択肢もあったが、確かクーン教授の方がもう一年待ってプリンストンにアプライしたらどうか、と言うことになった。
それで待っている間、プリンストンのMaster of Theology (Th.M)に入ることにした。
その頃プリンストンのTh.Mは一年間で修士論文も必要なく、ちょっと「はく」をつけるために重宝されていたし、留学生が多かった。
プリンストンで筆者の指導的役割を果たしてくれたのが、社会倫理学を教えていたギブソン・ウィンター教授だった。
彼については既に2度投稿しているので今回は省略する。(こことここ)
その他に印象に残っているのは、チャールズ・C・ウェスト教授。キリスト教倫理の専門で、著書としては
Communism and the Theologians: Study of an Encounter (with major analyses of Barth, Berdyaev, Brunner, Hromdka, Niebuhr, Tillich)
が目立つ位だが。(ここにスキャンしたページが読めるリンクがある。)
「ディートリッヒ・ボンヘッファー」のクラスを取ったが、初めて「チューター」式授業を経験した。
チューターというのはウェスト教授についている博士課程の学生が小グループで課題図書を読み、ディスカッションするのをリードする仕組である。
これだとウェスト教授の講義で咀嚼できない部分も補完したり、クラスに意欲的に取り組む動機付けとなる。
ボンヘッファーの名前は聞いていたが実際に読むのはその時が初めてだった。
Life TogetherやThe Cost of Discipleshipも良かったが、一番身を入れて読んだのはEthicsだった。
課題論文ではMandatesを中心に書いたように記憶している。
また続きを書くことにして、ちょっと最後に興味深いエピソードを一つ加えておこう。
筆者がいた頃のプリンストンTh.Mには沢山の留学生がいたが、その中にスイスから来ている男子学生がいた。彼のガール・フレンドがカール・バルトの孫とかいう話で騒いでいたっけ。
今回はいよいよアズベリーを卒業して「プリンストン神学校」時代のことに移ろう。
アズベリー卒業時点で滞米4年が経過していた。
牧師となるのであればそのまま帰国するのが普通だろうが、周りの意見などもあり勉学を続けることになった。
と言うことは「博士課程」と言うことになるが、ハーバードPh.Dのクーン教授に(まあ言ってみれば)師事していたこともあり、言われるままに4校に入学申請した。
キリスト教倫理の領域と言うことで4校に絞ったのであるが、クーン教授から提案されたのは、
① Harvard Divinity School
② Princeton Theological Seminary
③ Candler School of Theology (Emory University)
④ The University of Iowa (the Department of Religious Studies)
であった。
筆者的には①と②は鼻から無理と思っていたが、クーン教授は「とにかくアプライするだけやった方が良い」と言うことで譲らなかった。要するに両校とも神学教育と言うことで北米一二を争うのだから、トライして損はない、と言うことだった。
③はメソジスト系の大学
④は、当時George Forellが健在であった。
結局入学許可を受けたのは、③と④であった。
③と④どちらかに行くと言う選択肢もあったが、確かクーン教授の方がもう一年待ってプリンストンにアプライしたらどうか、と言うことになった。
それで待っている間、プリンストンのMaster of Theology (Th.M)に入ることにした。
その頃プリンストンのTh.Mは一年間で修士論文も必要なく、ちょっと「はく」をつけるために重宝されていたし、留学生が多かった。
プリンストンで筆者の指導的役割を果たしてくれたのが、社会倫理学を教えていたギブソン・ウィンター教授だった。
彼については既に2度投稿しているので今回は省略する。(こことここ)
その他に印象に残っているのは、チャールズ・C・ウェスト教授。キリスト教倫理の専門で、著書としては
Communism and the Theologians: Study of an Encounter (with major analyses of Barth, Berdyaev, Brunner, Hromdka, Niebuhr, Tillich)
が目立つ位だが。(ここにスキャンしたページが読めるリンクがある。)
「ディートリッヒ・ボンヘッファー」のクラスを取ったが、初めて「チューター」式授業を経験した。
チューターというのはウェスト教授についている博士課程の学生が小グループで課題図書を読み、ディスカッションするのをリードする仕組である。
これだとウェスト教授の講義で咀嚼できない部分も補完したり、クラスに意欲的に取り組む動機付けとなる。
ボンヘッファーの名前は聞いていたが実際に読むのはその時が初めてだった。
Life TogetherやThe Cost of Discipleshipも良かったが、一番身を入れて読んだのはEthicsだった。
課題論文ではMandatesを中心に書いたように記憶している。
また続きを書くことにして、ちょっと最後に興味深いエピソードを一つ加えておこう。
筆者がいた頃のプリンストンTh.Mには沢山の留学生がいたが、その中にスイスから来ている男子学生がいた。彼のガール・フレンドがカール・バルトの孫とかいう話で騒いでいたっけ。
2013年4月20日土曜日
明日の礼拝案内
主日礼拝
4月21日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「祈りの度に」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(104)
コロサイ・ピレモン(7)
4月21日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「祈りの度に」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(104)
コロサイ・ピレモン(7)
2013年4月18日木曜日
ライトの「キリスト教起源と『神』問題」シリーズ第四巻目
N. T. ライトの「キリスト教起源と『神』問題」シリーズの第四巻目
Paul and the Faithfulness of God
がいよいよ出版に向けて態勢が整いつつあるようだ。
N.T. Wright アップデートでも、「2013年の夏から秋くらい」と紹介しておいたが、さらに確定的な時期が出版社から案内された。
2013年11月1日(詳細はここ)
しかし、またまた「えっ」である。
上記ブログ記事で実は「第4巻目」が、3冊の構成でリリースされると紹介したが、まだ情報自体が行き渡っていなかったため「追記」で説明したように修正削除した。
しかし、「第4巻目」が、3冊の構成でリリースされることはその後LOGOSのPre-orderで周知のことである。
今回の「えっ」は、中心volumeであるPaul and the Faithfulness of God自体が何と2分冊になる、と言うことである。2冊合わせての総ページ数は何と1,700ページ!
お値段も$89.00。
(但しpre-orderだと34%ディスカウントの$59.00)
うーん購入については色々考えてしまう。
ここで整理しておこう。
N. T. ライトの「キリスト教起源と『神』問題」シリーズの第四巻目は、パッケージとしては以下のようになる。
①Paul and the Faithfulness of God (2 vols.)・・・呼び方としてはこれがシリーズの第四巻目。
②Paul and His Recent Interpreters
③Pauline Perspectives: Essays on Paul 1978–2012
②と③が第四巻目の主題である『パウロ』に関する研究の現時点での集大成とするコンパニオン・ボリュームと言えるだろう。
②は384ページ、③は864ページだから、パッケージの総ページ数は3000ページ近い。
ロゴス のpre-orderだとパッケージ全体が$129.95となっている。
はたしてこんな大著、書棚の残りスペースに入れられるだろうか。
やはりエレクトロニック・ボリュームとして購入する方がいいのだろうか・・・。
しばらくよく考えてみよう。
Paul and the Faithfulness of God
がいよいよ出版に向けて態勢が整いつつあるようだ。
N.T. Wright アップデートでも、「2013年の夏から秋くらい」と紹介しておいたが、さらに確定的な時期が出版社から案内された。
2013年11月1日(詳細はここ)
しかし、またまた「えっ」である。
上記ブログ記事で実は「第4巻目」が、3冊の構成でリリースされると紹介したが、まだ情報自体が行き渡っていなかったため「追記」で説明したように修正削除した。
しかし、「第4巻目」が、3冊の構成でリリースされることはその後LOGOSのPre-orderで周知のことである。
今回の「えっ」は、中心volumeであるPaul and the Faithfulness of God自体が何と2分冊になる、と言うことである。2冊合わせての総ページ数は何と1,700ページ!
お値段も$89.00。
(但しpre-orderだと34%ディスカウントの$59.00)
うーん購入については色々考えてしまう。
ここで整理しておこう。
N. T. ライトの「キリスト教起源と『神』問題」シリーズの第四巻目は、パッケージとしては以下のようになる。
①Paul and the Faithfulness of God (2 vols.)・・・呼び方としてはこれがシリーズの第四巻目。
②Paul and His Recent Interpreters
③Pauline Perspectives: Essays on Paul 1978–2012
②と③が第四巻目の主題である『パウロ』に関する研究の現時点での集大成とするコンパニオン・ボリュームと言えるだろう。
②は384ページ、③は864ページだから、パッケージの総ページ数は3000ページ近い。
ロゴス のpre-orderだとパッケージ全体が$129.95となっている。
はたしてこんな大著、書棚の残りスペースに入れられるだろうか。
やはりエレクトロニック・ボリュームとして購入する方がいいのだろうか・・・。
しばらくよく考えてみよう。
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