主日礼拝
9月1日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ヨハネの福音書 14:15-31
説 教 題 「起こる前に話しました」
説 教 者 小嶋崇 牧師
※聖餐式があります。
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2013年8月31日土曜日
2013年8月29日木曜日
(4)若松英輔『イエス伝』
最近のアクセスを見るとちょっと意外に感じるのだが、佐藤優「キリスト教概論」へのページ・ヴューが依然として多い。
これは「ふしぎなキリスト教」などに対する関心と通底するような、「教養としてのキリスト教」を求めている兆候なのだろうか。
ところでこのブログでも何回か紹介したリチャード・ボウカム「イエス入門」出版と時期的に相前後して、最近よく名前を聞くようになった「批評家・若松英輔」の『イエス伝』が中央公論から連載開始した。
一応連載①「一章」(中央公論、2013年5月号掲載)から読んでいるのだが、今回はその④を取上げたい。
第四章 洗礼ーーイエスは洗礼を授けたのか
先ず全体的な印象から。
これは連載全体に通じるのだが、若松氏の考究(瞑想?も含む想像を活かした読み・・・のような取り組み)は、新約聖書学(主に福音書に限定されるが)の最近の研究や動向にも目を配りながら、しかしその枠組みには縛られない、むしろその殻を破ろうとする試論のように思う。
若松氏は「史的イエス」にも関心があるが、むしろ「内村鑑三」に言及したり、また背景には「井筒俊彦」もあり(若松英輔ウィキ)、「宗教間対話」のような狙いがあるのではなかろうか、と筆者には感じられるのだ。
「霊性」の次元で時代や文化の異なる「宗教家・宗教運動」を横断的に捉える視野を探っているような雰囲気と言おうか・・・。
今回の文章は「イエスの幼年期」について書いているが、福音書資料は大変限られており、ルカ福音書の「幼児期物語(infant narrative)」についての解説が主になっている。
かなり内容を省略するが、「イエスが12歳」の時のエルサレム行エピソードでの少年イエスの「父の家」発言に対する両親の驚愕の背後にルドルフ・オットーが用いた「ヌミノーゼ」体験のようなものがあるのではないかと若松氏は指摘する。
さて福音書記述ではこの「イエス12歳のエピソード」より前に来るのだが、「洗礼者ヨハネ」の母エリサベツと、「イエス」の母マリヤの邂逅場面で、エリサベツが「最初」にイエスを「主」と認めたことの経験が、「福音書は具体的には伝えていない」が、洗礼者ヨハネを形成する重要な要素となったであろうと若松氏は想像している。
さて標題の「洗礼」に関し、洗礼者ヨハネの「洗礼」と、イエスの「洗礼」とを福音書の記述に照らして比較するところでも、若松氏は何の前触れもなく「内村鑑三」を登場させる。
この辺りでも若松氏の考究は一定の問題意識によってテキストを選択していくことになる。
洗礼者ヨハネの「水の洗礼」に対し、イエスの「聖霊と火の洗礼」の意味を明らかにしようとする時も、若松氏は依然として「儀礼的・外形的」洗礼に対して、「目に見えないところで成就する出来事」であるところに、『聖霊』による洗礼の意義を見ようとする。
そしていよいよパウロ書簡に進んで行く。
ただ下線で指摘した部分で、若松氏は「割礼」と「洗礼」とを混同し、パウロにとって「洗礼」と「割礼」とはあたかも区別がなく、ともに宗教儀礼上のことのように扱ってしまった。
これはかなり大きなミスである。
パウロの真正の手紙と認められている『ガラテヤの信徒への手紙』では、
若松氏が嘆く「洗礼」を巡る問題はさておき、パウロに関して言えば、「洗礼」は単なる宗教儀礼上のものではなく、そのエッセンスは「キリストに結ばれる」ことをあらわすものであり、「キリストの死と復活に与る」(ローマの信徒への手紙6章4節)決定的意味を持ったものであることは明白です。
故に原始キリスト教団において、洗礼とは「イエス・キリストの名によって」「古い人・古い世」から切り離され、「終末の神の民」の一員となる(聖霊はその確たる証し)ことをあらわすものとして実践され(使徒言行録2章38節)、「ヨハネの洗礼」を受けただけの「弟子たち」も「聖霊の有無」を確認されて「主イエスの名による洗礼」を受けたわけです(使徒言行録19章1-7節)。
ただ若松氏の「洗礼」に対する問題意識は根拠がないか、と言うと決してそうではない。
ご指摘のように「洗礼」が多分に宗教儀礼上のものに過ぎないような扱いをされている現状は様々あると思われる。
しかし「洗礼」が持っている意味を新約聖書にさかのぼって見る時には、その意義は甚だ大であることは認めざるを得ないのではないか。
そしてむしろ新約聖書から、現在の「洗礼」を巡る混乱に対するアプローチを考えるのも有効なのではないか、と筆者は思う。
これは「ふしぎなキリスト教」などに対する関心と通底するような、「教養としてのキリスト教」を求めている兆候なのだろうか。
ところでこのブログでも何回か紹介したリチャード・ボウカム「イエス入門」出版と時期的に相前後して、最近よく名前を聞くようになった「批評家・若松英輔」の『イエス伝』が中央公論から連載開始した。
一応連載①「一章」(中央公論、2013年5月号掲載)から読んでいるのだが、今回はその④を取上げたい。
第四章 洗礼ーーイエスは洗礼を授けたのか
先ず全体的な印象から。
これは連載全体に通じるのだが、若松氏の考究(瞑想?も含む想像を活かした読み・・・のような取り組み)は、新約聖書学(主に福音書に限定されるが)の最近の研究や動向にも目を配りながら、しかしその枠組みには縛られない、むしろその殻を破ろうとする試論のように思う。
若松氏は「史的イエス」にも関心があるが、むしろ「内村鑑三」に言及したり、また背景には「井筒俊彦」もあり(若松英輔ウィキ)、「宗教間対話」のような狙いがあるのではなかろうか、と筆者には感じられるのだ。
「霊性」の次元で時代や文化の異なる「宗教家・宗教運動」を横断的に捉える視野を探っているような雰囲気と言おうか・・・。
今回の文章は「イエスの幼年期」について書いているが、福音書資料は大変限られており、ルカ福音書の「幼児期物語(infant narrative)」についての解説が主になっている。
かなり内容を省略するが、「イエスが12歳」の時のエルサレム行エピソードでの少年イエスの「父の家」発言に対する両親の驚愕の背後にルドルフ・オットーが用いた「ヌミノーゼ」体験のようなものがあるのではないかと若松氏は指摘する。
このとき、マリアとヨセフを、名状し難い、しかし烈しい戦慄が貫いたのではなかったか。日々、子供が育っていくのは悦ばしい。だが、その一方で、幼き魂がかいまみせた叡智と霊性の次元が、自分たちとはほとんど隔絶されていることを認識せざるをえない。若松氏の関心はここでも新約聖書学者が通常『釈義』と呼ぶ、「著者(福音書記者)の意図した意味」を文脈から取り出してくることよりも、その背後にある「霊性」に繋がる「何か」へ意識を向け、その「何か」を浮き立たせることに関心があるようだ。
彼らは恐れと畏れが入り混じった、霊的な慄きとも言うべき経験に投げ込まれている。福音書で何もふれられないことによって現出するコトバには、宗教学者ルドルフ・オットーが、超越的体験の原型として論じた「ヌミノーゼ」の事実を見る思いがする。(下線は筆者)
さて福音書記述ではこの「イエス12歳のエピソード」より前に来るのだが、「洗礼者ヨハネ」の母エリサベツと、「イエス」の母マリヤの邂逅場面で、エリサベツが「最初」にイエスを「主」と認めたことの経験が、「福音書は具体的には伝えていない」が、洗礼者ヨハネを形成する重要な要素となったであろうと若松氏は想像している。
さて標題の「洗礼」に関し、洗礼者ヨハネの「洗礼」と、イエスの「洗礼」とを福音書の記述に照らして比較するところでも、若松氏は何の前触れもなく「内村鑑三」を登場させる。
キリスト教に入信するときには洗礼を受けなければならない、とされている。だが、その根拠は必ずしも明確ではない。仮に、イエスを神の子キリストであると信じる者、と「キリスト者」を定義するなら、すべてのキリスト者が洗礼を受けているわけではないからだ。と前置きのようにしながら、「洗礼」が「キリスト者」の条件とはならないことを見ていくことになる。(若松氏は、特にヨハネ福音書4章2節の挿入的解説に注目する)。
たとえば近代日本を見るだけでも、内村鑑三によって始められた無教会に連なった人々のように、洗礼だけではなく、宗教的儀礼を信仰上の必須の条件であるとは考えなかった一群の人々がいる。新約聖書を読む限り、彼らの信仰を誤りと断ずることはできない。
この辺りでも若松氏の考究は一定の問題意識によってテキストを選択していくことになる。
洗礼者ヨハネの「水の洗礼」に対し、イエスの「聖霊と火の洗礼」の意味を明らかにしようとする時も、若松氏は依然として「儀礼的・外形的」洗礼に対して、「目に見えないところで成就する出来事」であるところに、『聖霊』による洗礼の意義を見ようとする。
そしていよいよパウロ書簡に進んで行く。
洗礼が無意味だといったのではないにしろ、イエスは、洗礼を救いの条件にはしなかった。原始キリスト教団が信じたイエス像も同様ではなかったろうか。パウロがユダヤ教の割礼の儀式にふれて言った言葉は、キリスト者の洗礼を考えるときにも見過ごすことはできない。若松氏の問題意識は明確である。
あなた方は古い人とその行いを脱ぎ捨て、深い知識へ進むようにと、創造主の姿にかたどって絶えず新しくされる新しい人を身にまとっているのです。そこにはもはやギリシア人もユダヤ人も、割礼を受けた者も受けていない者もなく、未開人とスキタイ人、奴隷と自由の身の区別もありません。キリストこそがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。(「コロサイの人々への手紙」)洗礼に意味がないのではない。パウロも回心のあと、アナニアという人物から洗礼を受けている。洗礼は、今日も秘蹟であり続けている。しかし、パウロが割礼において明言しているように、洗礼の有無は、救済とは関係がない。もし、ここに固執するならば、大多数の洗礼を受けていない人々が救われないことをよしとすることになる。自分は救われ、ほかの人々が業火にさらされているのをだまってみていることが、果たしてイエスの生涯に続く者がとるべき態度だと言えるだろうか。
ただ下線で指摘した部分で、若松氏は「割礼」と「洗礼」とを混同し、パウロにとって「洗礼」と「割礼」とはあたかも区別がなく、ともに宗教儀礼上のことのように扱ってしまった。
これはかなり大きなミスである。
パウロの真正の手紙と認められている『ガラテヤの信徒への手紙』では、
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。(ガラテヤ3章26-27節、新共同訳)と言明しているように、洗礼とは「キリスト者」となる体験が、「キリストと一体化」される体験であることを示唆しているものです。
若松氏が嘆く「洗礼」を巡る問題はさておき、パウロに関して言えば、「洗礼」は単なる宗教儀礼上のものではなく、そのエッセンスは「キリストに結ばれる」ことをあらわすものであり、「キリストの死と復活に与る」(ローマの信徒への手紙6章4節)決定的意味を持ったものであることは明白です。
故に原始キリスト教団において、洗礼とは「イエス・キリストの名によって」「古い人・古い世」から切り離され、「終末の神の民」の一員となる(聖霊はその確たる証し)ことをあらわすものとして実践され(使徒言行録2章38節)、「ヨハネの洗礼」を受けただけの「弟子たち」も「聖霊の有無」を確認されて「主イエスの名による洗礼」を受けたわけです(使徒言行録19章1-7節)。
ただ若松氏の「洗礼」に対する問題意識は根拠がないか、と言うと決してそうではない。
ご指摘のように「洗礼」が多分に宗教儀礼上のものに過ぎないような扱いをされている現状は様々あると思われる。
しかし「洗礼」が持っている意味を新約聖書にさかのぼって見る時には、その意義は甚だ大であることは認めざるを得ないのではないか。
そしてむしろ新約聖書から、現在の「洗礼」を巡る混乱に対するアプローチを考えるのも有効なのではないか、と筆者は思う。
2013年8月27日火曜日
(4)主に神学ブログ⑤
このシリーズ前回④、「のらくら者の日記」を紹介したのが4月8日だから大分経ってしまった。
これは今後は更に難しくなって行くことを予感している。
かてて加えて、他にも幾つかブログを抱えていたり、第2回N.T.ライト・セミナーの準備等で、このブログの更新がままならなくなってきている。
それに加えて2、3ヶ月前、午前3-4時頃に目が覚めていたのが(それで大分ブログ記事を書いたりする時間が出来ていたのだが)、ここに来て起床時間が遅くなり、具合悪いことに(主に)午前中であったり、午後であったり何の気なしに少し目をつぶっていたりすると、そのまま「一眠り」って言うことが増えてきた。
まっ言い訳はそれ位にして本題に入る。
今回取上げるブログは自然神学・環境・経済と言う大変視野の広いものです。
当然筆者の今回の主な関心は『自然神学』にあるわけですが、今回このブログを取上げようと思った直接の記事は、パネンベルグからクレイトンへです。
最近は余り読んでいないのですが、神学の中での筆者の関心領域の一つは「自然神学」です。
殆んどエントリーはありませんが、このブログを始めた頃、有神論的世界観と『被造世界』の科学的解明、などと言う大それたタイトルの記事を書きました。
その頃はこの記事が「人気の投稿」のトップを独走していました。(あーあ懐かしい。)
この記事では筆者はパネンバーグと英語読みしていますが、「自然神学・環境・経済」ではパネンベルクと多分ドイツ語読みなのでしょうね。
興味深いのは、筆者にとっては少し古い方との印象のあるパネンバーグの他に、ナンシー・マーフィーの名が挙がっています。
彼女についてはまだブログで取り上げたことはありませんが、
Nancey Murphy, Beyond Liberalism & Fundamentalism
は自然神学の領域ではありませんが、「リベラリズムと根本主義の二項対立の図式」を科学哲学的素養から分析している好著ではないかと思っています。(書評のレベルにも至らない多分に印象的なコメントであることをお断りしておきます。)
そしてフィリップ・クレイトン。
個人的には彼の著作は一つも読んだことはないが、METANEXUSを購読してきた者には聞きなれた名前だ。プロフィール
さて「自然神学・環境・経済」ブログだが、欧米の研究動向を知る一つのアンテナとして有用なサイトかと思う。(何て偉そうに聞こえる言い方は慎むべきだろうが・・・。)
このエントリーを書いたおかげで、筆者がこの方面も関心があることを再確認し、いつの日かまた「自然神学」分野の本にチャレンジしよう・・・と言う動機付けになったらいいなー。
《追記》
どうやらミーちゃんはーちゃんと知り合いになったのはこの有神論的世界観と『被造世界』の科学的解明という記事からであることを再度確認(コメント・セクション)。
これは今後は更に難しくなって行くことを予感している。
かてて加えて、他にも幾つかブログを抱えていたり、第2回N.T.ライト・セミナーの準備等で、このブログの更新がままならなくなってきている。
それに加えて2、3ヶ月前、午前3-4時頃に目が覚めていたのが(それで大分ブログ記事を書いたりする時間が出来ていたのだが)、ここに来て起床時間が遅くなり、具合悪いことに(主に)午前中であったり、午後であったり何の気なしに少し目をつぶっていたりすると、そのまま「一眠り」って言うことが増えてきた。
まっ言い訳はそれ位にして本題に入る。
今回取上げるブログは自然神学・環境・経済と言う大変視野の広いものです。
当然筆者の今回の主な関心は『自然神学』にあるわけですが、今回このブログを取上げようと思った直接の記事は、パネンベルグからクレイトンへです。
最近は余り読んでいないのですが、神学の中での筆者の関心領域の一つは「自然神学」です。
殆んどエントリーはありませんが、このブログを始めた頃、有神論的世界観と『被造世界』の科学的解明、などと言う大それたタイトルの記事を書きました。
その頃はこの記事が「人気の投稿」のトップを独走していました。(あーあ懐かしい。)
この記事では筆者はパネンバーグと英語読みしていますが、「自然神学・環境・経済」ではパネンベルクと多分ドイツ語読みなのでしょうね。
20世紀、特に1970年代以降は、自然神学再考の動向が顕著になった時代であり、それは現在から未来への広がりを予感させている(本ブログもこの動向の 一端を担っているわけであるが)。その動向の一つの中心を形成しているのが、バルトやブルトマン世代以降のドイツ語圏のプロテスタント神学を牽引した神学者の一人であるパネンベルクである。と紹介されていますが、確かに自然神学が近代の実証科学の飛躍的進歩に対して後れを取ってきていたのを少しでも取り戻そうとしている一人がパネンバーグなのだと思います。
興味深いのは、筆者にとっては少し古い方との印象のあるパネンバーグの他に、ナンシー・マーフィーの名が挙がっています。
彼女についてはまだブログで取り上げたことはありませんが、
Nancey Murphy, Beyond Liberalism & Fundamentalism
は自然神学の領域ではありませんが、「リベラリズムと根本主義の二項対立の図式」を科学哲学的素養から分析している好著ではないかと思っています。(書評のレベルにも至らない多分に印象的なコメントであることをお断りしておきます。)
そしてフィリップ・クレイトン。
個人的には彼の著作は一つも読んだことはないが、METANEXUSを購読してきた者には聞きなれた名前だ。プロフィール
さて「自然神学・環境・経済」ブログだが、欧米の研究動向を知る一つのアンテナとして有用なサイトかと思う。(何て偉そうに聞こえる言い方は慎むべきだろうが・・・。)
このエントリーを書いたおかげで、筆者がこの方面も関心があることを再確認し、いつの日かまた「自然神学」分野の本にチャレンジしよう・・・と言う動機付けになったらいいなー。
《追記》
どうやらミーちゃんはーちゃんと知り合いになったのはこの有神論的世界観と『被造世界』の科学的解明という記事からであることを再度確認(コメント・セクション)。
2013年8月24日土曜日
明日の礼拝案内
主日礼拝
8月25日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「福音の視点から」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(112)
コロサイ・ピレモン(15)
※午後2-4時、福音の再発見ファン感謝デー・東京編
8月25日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「福音の視点から」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(112)
コロサイ・ピレモン(15)
※午後2-4時、福音の再発見ファン感謝デー・東京編
2013年8月21日水曜日
真実と平和を愛しなさい
2013年8月18日(日)の主日礼拝にゲスト・スピーカーとして山口希生兄弟(プロフィール)を招きました。
山口さんのご両親とお姉さまも礼拝に参加され、また聖泉連合・荒川教会のA夫妻も参加され、プラスN.T.ライト読書会関係のMさんも加わり、いつもと大分雰囲気の違った礼拝となりました。
聖書朗読は、ゼカリヤ書7:1-14、8:16-19を司会をする筆者が朗読する。
その後奨励をする山口兄を簡単に紹介して、バトンタッチ。
以下は「真実と平和を愛しなさい」のアウトライン。
ちょっと難しいかな???、と思いましたが、礼拝後の感想としては「断食」のこととか「バビロン捕囚」と言う歴史的背景のこととかをまとまって聞くことが出来てよかった。
などという感想でした。
山口さんのご両親とお姉さまも礼拝に参加され、また聖泉連合・荒川教会のA夫妻も参加され、プラスN.T.ライト読書会関係のMさんも加わり、いつもと大分雰囲気の違った礼拝となりました。
聖書朗読は、ゼカリヤ書7:1-14、8:16-19を司会をする筆者が朗読する。
その後奨励をする山口兄を簡単に紹介して、バトンタッチ。
以下は「真実と平和を愛しなさい」のアウトライン。
1.本日の聖句の歴史的背景について
①紀元前587年5月9日・・・『ソロモン神殿』がバビロンの攻撃により破壊され、消失。
②バビロンに捕虜として連行されたユダヤ人たちは、この神殿の消失を嘆き悲しんで、それから70年もの間、毎年5月に断食を行った。
③バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちは、ソロモン神殿に代わる新たな神殿の建設に着手した。その完成が間近に迫った紀元前518年が、本日の聖句の語られた時である。
2.ゼカリヤを通じて、主のイスラエルへの戒め
①神殿の完成が近づいたので、ユダヤの人々に一つの疑問が浮かんだ。
「今まで神殿の喪失を悲しんで断食を行ってきたが、新しい神殿もそろそろ完成するので、こんどはお祝いをすべきではないのか?」
②人々の問いに対する、ゼカリヤを通じての主の言葉は意外なものだった。
「あなたがたは、一体何のために断食をしてきたのか?断食を始めた、そもそもの原因が分かっているのか?」
③主によるイスラエルへの叱責
「あなたがたは、貧しい者、弱い者を顧みなかった。だから、あなたがたが苦難にある時、私もあなたを助けなかった。あなたがたが嘆き悲しむべきなのは、先祖たちが正義と憐れみを怠ったことではないのか?」
④将来のビジョン
「断食を祝宴に変えるために必要なことはこれである。真実と平和を愛しなさい。そうすれば、あなたがたの断食は祝宴の時となる」
3.断食を祝宴に変えた主イエス
①しかし、ゼカリヤを通じて語られた主の輝かしい将来のビジョンは、その後のイスラエルの500年間の歴史を通じて実現しなかった。ユダヤの地は次々と襲いかかる諸外国の植民地となり、民は苦しめられた。そして断食はずっと続けられた。
②しかし、ゼカリヤの時代から550年の後、主イエスはバプテスマのヨハネの時代まで続けられた断食をやめて、祝宴を始められた。そして「真実と平和を愛すること」を教えられた。
③だが、多くのユダヤ人たちは主イエスの平和の教えに従うことを拒んだ。「敵、つまりユダヤの地を支配する外国の帝国であるローマを愛しなさい」という教えを受け入れることができなかった。かえって敵への憎しみから、ローマとの絶望的な戦争に突入し、再び国と神殿とを失ってしまった。
4.わたしたちへの教訓
①主イエスの示された平和への道は、決して安易なものではない。かえって多くの困難や犠牲さえ伴うものである。
②ローマへの戦争に参加することを拒んだユダヤ人のクリスチャンたちは、同国人のユダヤ人から憎まれ、排斥されていった。私たち日本人クリスチャンにも、あるいは同様のことが起きるかもしれない。
③しかし主は、ご自分に忠実に歩まれる民を見捨てることはない。ここに信仰が必要とされる。
ちょっと難しいかな???、と思いましたが、礼拝後の感想としては「断食」のこととか「バビロン捕囚」と言う歴史的背景のこととかをまとまって聞くことが出来てよかった。
などという感想でした。
2013年8月20日火曜日
神戸・小豆島・高松旅行④(完)
今回の旅行もこの日が最後。
2013年8月13日(火)
先ずは旭屋旅館の朝食。
純和風。
取り立てて言うほどの内容ではないが、一応家庭的な味付けで、普通に朝ごはん食べている感覚に近い。
調子に乗ってご飯は三杯、味噌汁もお代わりしました。たくあん以外は完食。
(とにかくこの日は色々足で稼ぐ移動を考えていたのでエネルギー溜め込んでおこうと・・・。)
チェックアウトの時、ありがたいことに凍らせたペットポトル緑茶をタオルに巻いて持たせてくれました。(これが大いに助かりました。)
旅館のすぐ近くのフェリー乗り場から、高松へ(小豆島急行フェリー)
1時間ほどで高松港に到着。
先ずは観光資料をゲットするためにマリンタワーにある観光センターへ。
地図と高松空港行きリムジンの時刻表。
マリンタワー29階から見る高松市。
今回の旅行の目標は「うどんを食す」ことなので時間を見計らって「うどんバカ一代」を目指す。
琴電と呼ばれるかなりローカル風な電車に乗る。始発駅は高松築港(ちっこう)、下車駅は花園。
(築港駅に行く途中に高松城跡の玉藻公園を通過。)
花園は無人駅でしょうがないので近くの(開店前の)八百屋のおばあさんに「うどんバカ一代」までの道順を聞くが、かなりアバウトな説明に「まっ適当に行きゃ分かる」って感じで歩き出したのだが・・・。
結局何回も途中で聞き直して30分くらいかけて要約12時少し前に到着する。
案の定行列だ。
炎天下30分くらい待つ。
とにかく待っている人が多いので、お客は殆んどベルトコンベヤーに乗せられた「順番」並み。
「次の方ーご注文はー」に、余り考える暇もなく、「釜揚げ中」、そして鰯のてんぷら。
グラスと湯のみ二つ取ったが、自動のサーバーはどれがどれだか良く分からず、氷を入れて熱いお茶を注ぐちぐはぐ。
しかしこれがないと大変な位「汁が醤油辛い」のであった。
店を出て近くの公園で一休み。
食べて安心したので、地図とスマホを使って現在位置を確かめようとするが、何か分かりにくい。
次に目指すのは「うどんバカ一代の近くだ」と聞いていた、日本キリスト改革派高松教会。
松田基教(もとのり)牧師とは、ツイッター(@moto_matsu)で何度か行き来があったくらいだが、ご挨拶して行こうかと立ち寄った。
アポなしの突撃訪問だったが、教会の内部(屋上まで)も色々案内してくれた。
こちらが何の脈絡もなくあれこれ質問するのに文句も言わず、1時間ほど相手をしてくれて、松田牧師は次に行く栗東(りっとう)公園の道順を教えてくださり送り出された。
この日の前高松は連日38度越え、と言うことだったらしいが、この日も日中はかなり暑く、歩き回る身に段々疲れが・・・。
それを癒してくれたのがあの凍った緑茶。冷たい緑茶の上手さ、格別。
栗東公園に入って先ず目指したのは休憩所。
誰もいない館内の奥まったところでほぼ1時間、何もせずじっと休憩。
やっと元気が戻ったところで公園の1/4くらいをさーっと周遊してリムジン発着所のあるJR高松駅を徒歩で目指す。
途中で軽い夕食をと思い、名物と聞いていた鳥のモモ焼きを食べようと地元の人に尋ねて見ると、ご親切に有名店の「一鶴」をスマホで色々検索してくれて教えてくれたのだが・・・。
5時前と言うのに既に順番待ち。
バスの時間から逆算すると無理かな、と言うことで方針転換。
とにかく軽い夕食を食べられる場所を探すが結構見つからない。
ジュース屋さんのお兄さんにまたまた親切に教えていただいた喫茶店「皇帝」で焼きサバ定食を。ようやく汗が少し引いて店を出ると、同じビルの1階にうどん屋さんがあるではないか。
軽く、のつもりがお腹一杯になってしまった。
(注文はざる小なのに麺の量たっぷり。一応完食しましたけど。)
この旅行の「うどんを食す」方はこれで完了、と言うことで安心したのか、この後がいけなかった。
店を出て右に行くべきところを勘違いして左に行ってしまった。
行けども行けども駅付近の場所の様子は現れず、むしろ寂れた住宅街の雰囲気が増してきた。
高松は道を聞くと親切な人ばかり・・・と言うことで早めに近くにいた人に聞いたら、案外駅までは遠くなかった。
それでも早歩きで20分位、汗かきかき何とか発着所についてまもなくバスが。
ぎりぎりセーフでした。
バスの車窓からは雲間に落日が。
後はスムース。10時前には帰宅できました。
さて「うどんを食す」の講評を最後に。
あとはそれぞれよいところもあるが、麺が固すぎたり、ツユが辛すぎたり、店員の応対や、いろいろマイナス点がある。
三太郎は行列待ちだったが、一旦店内に入れば、応対はのんびり、注文を急かされるわけでもなく、お店側もマイペースでおいしいうどんを作り、出そうとしていたようだった。
東京(江戸)だと日本そばの名店に行けば、出汁(蕎麦の汁)の味がこくがあって旨い、と言うか深い。
三太郎の出汁の味はそこまでではないが、十分飲み干すほどの味だった。
うどんはと言うと、やはり適当な弾力(固すぎない)とツルンとした麺の表面、食感のコンビネーションがよろしかった。
以上4回に渡った旅行記、完。
2013年8月13日(火)
先ずは旭屋旅館の朝食。
純和風。
取り立てて言うほどの内容ではないが、一応家庭的な味付けで、普通に朝ごはん食べている感覚に近い。
調子に乗ってご飯は三杯、味噌汁もお代わりしました。たくあん以外は完食。
(とにかくこの日は色々足で稼ぐ移動を考えていたのでエネルギー溜め込んでおこうと・・・。)
チェックアウトの時、ありがたいことに凍らせたペットポトル緑茶をタオルに巻いて持たせてくれました。(これが大いに助かりました。)
旅館のすぐ近くのフェリー乗り場から、高松へ(小豆島急行フェリー)
1時間ほどで高松港に到着。
先ずは観光資料をゲットするためにマリンタワーにある観光センターへ。
地図と高松空港行きリムジンの時刻表。
マリンタワー29階から見る高松市。
今回の旅行の目標は「うどんを食す」ことなので時間を見計らって「うどんバカ一代」を目指す。
琴電と呼ばれるかなりローカル風な電車に乗る。始発駅は高松築港(ちっこう)、下車駅は花園。
(築港駅に行く途中に高松城跡の玉藻公園を通過。)
花園は無人駅でしょうがないので近くの(開店前の)八百屋のおばあさんに「うどんバカ一代」までの道順を聞くが、かなりアバウトな説明に「まっ適当に行きゃ分かる」って感じで歩き出したのだが・・・。
結局何回も途中で聞き直して30分くらいかけて要約12時少し前に到着する。
案の定行列だ。
炎天下30分くらい待つ。
とにかく待っている人が多いので、お客は殆んどベルトコンベヤーに乗せられた「順番」並み。
「次の方ーご注文はー」に、余り考える暇もなく、「釜揚げ中」、そして鰯のてんぷら。
グラスと湯のみ二つ取ったが、自動のサーバーはどれがどれだか良く分からず、氷を入れて熱いお茶を注ぐちぐはぐ。
しかしこれがないと大変な位「汁が醤油辛い」のであった。
店を出て近くの公園で一休み。
食べて安心したので、地図とスマホを使って現在位置を確かめようとするが、何か分かりにくい。
次に目指すのは「うどんバカ一代の近くだ」と聞いていた、日本キリスト改革派高松教会。
松田基教(もとのり)牧師とは、ツイッター(@moto_matsu)で何度か行き来があったくらいだが、ご挨拶して行こうかと立ち寄った。
アポなしの突撃訪問だったが、教会の内部(屋上まで)も色々案内してくれた。
こちらが何の脈絡もなくあれこれ質問するのに文句も言わず、1時間ほど相手をしてくれて、松田牧師は次に行く栗東(りっとう)公園の道順を教えてくださり送り出された。
この日の前高松は連日38度越え、と言うことだったらしいが、この日も日中はかなり暑く、歩き回る身に段々疲れが・・・。
それを癒してくれたのがあの凍った緑茶。冷たい緑茶の上手さ、格別。
栗東公園に入って先ず目指したのは休憩所。
誰もいない館内の奥まったところでほぼ1時間、何もせずじっと休憩。
やっと元気が戻ったところで公園の1/4くらいをさーっと周遊してリムジン発着所のあるJR高松駅を徒歩で目指す。
途中で軽い夕食をと思い、名物と聞いていた鳥のモモ焼きを食べようと地元の人に尋ねて見ると、ご親切に有名店の「一鶴」をスマホで色々検索してくれて教えてくれたのだが・・・。
5時前と言うのに既に順番待ち。
バスの時間から逆算すると無理かな、と言うことで方針転換。
とにかく軽い夕食を食べられる場所を探すが結構見つからない。
ジュース屋さんのお兄さんにまたまた親切に教えていただいた喫茶店「皇帝」で焼きサバ定食を。ようやく汗が少し引いて店を出ると、同じビルの1階にうどん屋さんがあるではないか。
軽く、のつもりがお腹一杯になってしまった。
(注文はざる小なのに麺の量たっぷり。一応完食しましたけど。)
この旅行の「うどんを食す」方はこれで完了、と言うことで安心したのか、この後がいけなかった。
店を出て右に行くべきところを勘違いして左に行ってしまった。
行けども行けども駅付近の場所の様子は現れず、むしろ寂れた住宅街の雰囲気が増してきた。
高松は道を聞くと親切な人ばかり・・・と言うことで早めに近くにいた人に聞いたら、案外駅までは遠くなかった。
それでも早歩きで20分位、汗かきかき何とか発着所についてまもなくバスが。
ぎりぎりセーフでした。
バスの車窓からは雲間に落日が。
後はスムース。10時前には帰宅できました。
さて「うどんを食す」の講評を最後に。
①丸亀製麺(神戸・三ノ宮付近?)と食したわけだが、②がダントツでうまい。
②三太郎(小豆島・草壁港)
③うどんバカ一代(高松・多賀町)
④こんぴらや兵庫町店(高松)
あとはそれぞれよいところもあるが、麺が固すぎたり、ツユが辛すぎたり、店員の応対や、いろいろマイナス点がある。
三太郎は行列待ちだったが、一旦店内に入れば、応対はのんびり、注文を急かされるわけでもなく、お店側もマイペースでおいしいうどんを作り、出そうとしていたようだった。
東京(江戸)だと日本そばの名店に行けば、出汁(蕎麦の汁)の味がこくがあって旨い、と言うか深い。
三太郎の出汁の味はそこまでではないが、十分飲み干すほどの味だった。
うどんはと言うと、やはり適当な弾力(固すぎない)とツルンとした麺の表面、食感のコンビネーションがよろしかった。
以上4回に渡った旅行記、完。
2013年8月18日日曜日
(4)カトリックと聖書⑤
少し間が開いてしまいました。
『信仰年』ーー聖書を取り戻した公会議 (2013年6月)「聖書を敬遠していた教会」部分の引用が終わったところです。
次の最後の部分は2回に分けたいと思います。
では先ずは引用から。
和田幹男神父による、第2ヴァティカン公会議 概説、に憲章(Constitutio)として出されたものが四つあるそうですが、そのうちの一つが、
和田氏の文章は以下のように続いています。
もちろんプロテスタントの聖書観の方が、「聖書主義(ビブリシズム)」に傾く傾向はある。
聖書解釈の実践においても「理性」や「教理的伝統(信仰告白文書)」の影響に対して概して無自覚である・・・と言えるだろう。
そういう点は留保しても、これだけ「聖書」を教会の自己把握と実践の中心に据える「取り戻し」は画期的との印象を覚える。
(※[続]ウサギの日記、と言うカトリックの谷口神父と言う方が「急速にプロテスタント化するカトリック教会」を1~5で連載記事を書いておられる。筆者が注目した「聖書」を回復する動きとは別な視点からのカトリック教会の「プロテスタント化」を書いておられる。筆者の連載とは直接繋がらないが、合わせて読んでも「現在のカトリック教会の置かれた歴史的位置」を知るのに参考になるかもしれない。)
『信仰年』ーー聖書を取り戻した公会議 (2013年6月)「聖書を敬遠していた教会」部分の引用が終わったところです。
次の最後の部分は2回に分けたいと思います。
では先ずは引用から。
神との出会いの場先ず言及されている『啓示憲章』ですが、ちょっと調べてみました。
このような状況に対する危機感は、すでに公会議前からあり、新しい聖書解釈の方法が徐々に取り入れられるなどしていましたが、公会議はもっと明確に、また本格的に、ミサや神学を含む教会の生活や、また信徒一人ひとりの生活の中に聖書を取り戻すことを決めたのです。
公会議は、まさに『神のことば』(邦題『啓示憲章』)と題された文書の中で、聖書が(聖体とともに)神と私たちの出会いの中で中心的な役割を果たしてい ることを確認しています。聖ヒエロニムスを引用して「聖書を知らないことは、キリストを知らないこと」(25項)だとする公会議は、信徒が聖書に近づきやすくなるよう、またそれによって養われるよう、聖書の研究、翻訳、朗読、また祈りとともに読むことなどを奨励しています。
和田幹男神父による、第2ヴァティカン公会議 概説、に憲章(Constitutio)として出されたものが四つあるそうですが、そのうちの一つが、
2) 神の啓示に関する教義憲章(Constitutio Dogmatica de Divina Revelatione Dei Verbum):DV、『デイ・ヴェルブム』、または啓示憲章と略す。だそうです。
和田氏の文章は以下のように続いています。
第2ヴァティカン公会議で、教会は現代の世界の中で何を、 いかに行動すべきかを総合的に見直して、それに適応した体制をとろうとした。 その現代化にこそ、その目標があった。「現代化」と言うことはプロテスタントの筆者もこの会議の持つ意義としては一応弁えているつもりでしたが、次の部分は少し驚きを覚えました。
当時よく用いられたアッジョルナメント (aggiornamento)という言葉がそれを的確に表現している。この現代化は、 その後も常に行われなければならないもので、同公会議は教会をこの現代化の動きの中に送り込んだのだった。 当時よく言われたもうひとつの言葉、「教会はたえず改革されなければならない」 (Ecclesia semper reformanda)が、このことをまた的確に表現している。実際に、これは現在のわれわれの耳にも新鮮に響くではないか。同公会議は、そのためにまず教会とは何なのか、その本質をその源泉に戻って問うた。 その源泉とは教会の創始者イエス・キリストであり、その心にあったものを証しする聖書である。Ecclesia semper reformandaってプロテスタントの原則と同じこと言ってるじゃない。
このように教会が自己を見直して、まとめたのが教会憲章である。この教会の内省を前提として、 教会がその外に向かって、現代の世界に何を、いかに行動すべきかをまとめたのが現代世界憲章である。 ここに示された教会の行動原理は世界各地で実行に移されたが、目標としたものからはほど遠い。 それに当時予測できなかった新しい諸問題が世界のいたるところで起こり、 これとの取り組みが新たな課題となっている。遺伝子操作、臓器移植、 人口の移動と諸民族、諸宗教の共存、兵器と通信手段の革新、 いわゆるグローバル化に伴う経済的、社会的悪弊、それに環境破壊と問題は多様化し、深刻化している。 同公会議は、教会の自己反省と行動のすべてが聖書に基づいているので、あらためてその聖書とは何なのかを問うた。 その聖書は広く神の啓示の中に位置づけられるので、この啓示とは何なのかをあらためて問い直し、 こうしてまとめられたのが啓示憲章である。どこまでプロテスタントの神学的取り組みと並行しているのか、注意深く見る必要はあるが、もし誰が書いた文書か言わずに読まされたら、殆んどプロテスタントでも違和感なく受け入れられるものではないだろうか・・・。
もちろんプロテスタントの聖書観の方が、「聖書主義(ビブリシズム)」に傾く傾向はある。
聖書解釈の実践においても「理性」や「教理的伝統(信仰告白文書)」の影響に対して概して無自覚である・・・と言えるだろう。
そういう点は留保しても、これだけ「聖書」を教会の自己把握と実践の中心に据える「取り戻し」は画期的との印象を覚える。
(※[続]ウサギの日記、と言うカトリックの谷口神父と言う方が「急速にプロテスタント化するカトリック教会」を1~5で連載記事を書いておられる。筆者が注目した「聖書」を回復する動きとは別な視点からのカトリック教会の「プロテスタント化」を書いておられる。筆者の連載とは直接繋がらないが、合わせて読んでも「現在のカトリック教会の置かれた歴史的位置」を知るのに参考になるかもしれない。)
登録:
投稿 (Atom)

