最近たまたま筆者の教会関係者から、「大和郷にある教会」ブログについてご感想を頂いた。
簡単に言えば「難しい!」「くどい!」「長い!」
と言うことで、当ブログを継続して読んでくださっている読者にも、時々訪れてくださる読者にも、「無駄に時間を使わなくてもよい」ように、予め投稿記事に難易度ランキングを表示して、読むかどうかの選択をしやすくしてみたい。
①難易度の範囲
難易度を5段階で表示する。
最も難易度の低いもの(1)から、最も難易度の高いもの(5)、までランキング表示する。
②難易度の説明
(1)それほどの予備知識(キリスト教、聖書、神学、等)がなくても読めるもの。文章が長くないもの。
(2)ある程度上記のような予備知識を必要とするが、それほど混み入った文章や論考ではないもの。
(3)一部特殊な知識や英語情報などを含んだもの。
(4)一部特殊な知識や英語情報を含む上に、トピックについてより深く掘り下げたもの。結果的に文章が長くなったもの。
(5)※別途説明
③最高難度(5)の説明
細かく分類すれば、更に(5)~(10)まで難易度を分けられるが、煩瑣になるのですべて(5)に含める。
なぜ最高難度(5)にランクされるかは、諸々の事情による。
・内容が特殊であり、よっぽど関心のある人でないと読まないような記事。
・論考が複雑になっているもの。
・書いている本人が書きながら模索していて、論述の行方が不確かであり、確かな結論に導くものかどうか定かでないもの。しばしば文章が長くなっている。
・その他色々
④難易度ランクのない記事
「礼拝案内」や「イベント案内」等、お知らせの類のものは難易度ランキングに馴染まないのでノーマークとなる。
⑤難易度ランキングの表示の仕方
難易度ランキング表示、(1)~(5)は記事タイトルの前に表示する。
(例)(4)福音派のパラダイム・シフト④ (※この記事はまだ未出。)
記事名の先頭にランキング表示を持ってくることで、連載記事で用いている丸数字とこんがらないようにする。
以上今後ともよろしくお願いします。
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2013年6月30日日曜日
2013年6月29日土曜日
明日の礼拝案内
主日礼拝
6月30日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「むしろ愛によって」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(109)
コロサイ・ピレモン(12)
6月30日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「むしろ愛によって」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(109)
コロサイ・ピレモン(12)
2013年6月28日金曜日
終末論の意義
英語でimplication(インプリケーション)と言う語がある。通常「含蓄」とか「言外の意」と訳されるらしいが、筆者は大抵「含意」と訳す。
なかなか含みのある語である。(それって洒落か・・・。)
いきなりキリスト教信仰の中核的使信である「十字架」と「復活」を持ち出して説明するのもなんだが、「十字架」にしても「復活」にしても、その出来事を叙述する場合には、Ⅰコリント15章にあるように、「キリストが・・・死んだこと」「また三日目に復活したこと」(新共同訳)と至って簡潔な形もある。
(もっともキリストの死には「私たちの罪のために」と言う意味が付加されているが・・・。)
この使徒的使信(福音)が指示する「ナザレのイエスにおける出来事」のクライマックスである「十字架」と「復活」は新約聖書の中で(様々な文脈の中で)多様なイメージや言語表現を通して提示されている。
つまり出来事としての「単純な意味」の他に、そこから様々なインプリケーション(解釈とも言える)が湧き出ているのである。
例えば、当教会では、毎月1回、ジョン・ストット『キリストの十字架』を用いて学びをしている。
キリスト教神学的には『贖罪論』(救済論のうちキリストの死の意味を考察する分野)と言われる。
ストットはアングリカンの神学的伝統を意識しながら(保守的な態度で)、教会史の中で展開された幾つかの重要な『贖罪論』を紹介する。
(読者の中で、「あれっ、タイトルは『終末論』なのになんで『贖罪論』の話になるの」と訝っている方に説明しておくと、依然として導入となるインプリケーションの話をしているのであって、『贖罪論』はその一例なのだ、と言うことを申し上げておこう。)
『犠牲』やら『血』やら『小羊』やら旧約聖書の祭儀や出エジプトなどを背景としたイメージが、『贖罪』がそれらのイメージが指し示すのは、第一義的には『神の怒りを宥める』のか、それとも『罪を取り除く』、あるいは同時に両方なのか、・・・と議論されるわけである。
さて話は変わって、現在筆者がお世話を手伝っている「N.T.ライトFB読書会」では、Surprised By Hopeと言う本を読んでいる。
まさに終末論に関わる本である。
イエスの復活が、キリスト者の将来の「身体(からだ)の甦(よみがえ)り」の希望を保証するわけである。
しかしキリスト者は地上にある間、ただその時をぼーっと待っているだけなのか。
あるいはその間はひたすら多くの人を出来るだけ天国に入れる伝道することに意義を見出すのか。
それとももっと何か他の役割やら目標があるのか。
そうやって「将来」的視点から「現在」を見つめて、「今、ここで」の意義を見出そうと言うのがSurprised By Hopeの趣旨である。だから「終末」の「現在」へのインプリケーションを探るわけだ。
ところでなぜこんなことを考えているかと言うと、時々遊びで当ブログ名「大和郷にある教会」でググってみるのだが、たまたま今回は「伊那谷牧師の雑考」の『終末を日常のように生きる』 がヒットした。
その記事を書くためのヒントの一つになったのが拙ブログ記事だったと言うわけだ。
その辺の姿勢が筆者のようなぐうたら牧師と違うんだな。
(筆者はせいぜい図書館で借りて読むくらいで、最近FB友となったK牧師などとは真逆である。K牧師の書斎は平積みされた小説などがあちらこちら山積みされているそうな・・・。)
ライトは「終末」への希望から、かなり積極的な現在への関わりを提案するが、O牧師は「たんたんとした日常」と言うインプリケーションを引き出している。
思えば、「来るべき世」に生きていると言うことをエクスタティックに(羽目を外したようなライフスタイル)現したキリスト者たちがいたことをパウロは書簡(Ⅰコリント)で示唆している。
一方では将来のクライマックスまで待つ間を、まるで伸びたゴムのようにのんべんだらりと暮らしていたキリスト者たちもいたようだ。
彼らへのパウロの指示は、
なかなか含みのある語である。(それって洒落か・・・。)
いきなりキリスト教信仰の中核的使信である「十字架」と「復活」を持ち出して説明するのもなんだが、「十字架」にしても「復活」にしても、その出来事を叙述する場合には、Ⅰコリント15章にあるように、「キリストが・・・死んだこと」「また三日目に復活したこと」(新共同訳)と至って簡潔な形もある。
(もっともキリストの死には「私たちの罪のために」と言う意味が付加されているが・・・。)
この使徒的使信(福音)が指示する「ナザレのイエスにおける出来事」のクライマックスである「十字架」と「復活」は新約聖書の中で(様々な文脈の中で)多様なイメージや言語表現を通して提示されている。
つまり出来事としての「単純な意味」の他に、そこから様々なインプリケーション(解釈とも言える)が湧き出ているのである。
例えば、当教会では、毎月1回、ジョン・ストット『キリストの十字架』を用いて学びをしている。
キリスト教神学的には『贖罪論』(救済論のうちキリストの死の意味を考察する分野)と言われる。
ストットはアングリカンの神学的伝統を意識しながら(保守的な態度で)、教会史の中で展開された幾つかの重要な『贖罪論』を紹介する。
(読者の中で、「あれっ、タイトルは『終末論』なのになんで『贖罪論』の話になるの」と訝っている方に説明しておくと、依然として導入となるインプリケーションの話をしているのであって、『贖罪論』はその一例なのだ、と言うことを申し上げておこう。)
『犠牲』やら『血』やら『小羊』やら旧約聖書の祭儀や出エジプトなどを背景としたイメージが、『贖罪』がそれらのイメージが指し示すのは、第一義的には『神の怒りを宥める』のか、それとも『罪を取り除く』、あるいは同時に両方なのか、・・・と議論されるわけである。
さて話は変わって、現在筆者がお世話を手伝っている「N.T.ライトFB読書会」では、Surprised By Hopeと言う本を読んでいる。
まさに終末論に関わる本である。
イエスの復活が、キリスト者の将来の「身体(からだ)の甦(よみがえ)り」の希望を保証するわけである。
しかしキリスト者は地上にある間、ただその時をぼーっと待っているだけなのか。
あるいはその間はひたすら多くの人を出来るだけ天国に入れる伝道することに意義を見出すのか。
それとももっと何か他の役割やら目標があるのか。
そうやって「将来」的視点から「現在」を見つめて、「今、ここで」の意義を見出そうと言うのがSurprised By Hopeの趣旨である。だから「終末」の「現在」へのインプリケーションを探るわけだ。
ところでなぜこんなことを考えているかと言うと、時々遊びで当ブログ名「大和郷にある教会」でググってみるのだが、たまたま今回は「伊那谷牧師の雑考」の『終末を日常のように生きる』 がヒットした。
その記事を書くためのヒントの一つになったのが拙ブログ記事だったと言うわけだ。
確か「大和郷にある教会」だったと記憶しているのですが、終末論について伊坂幸太郎の『終末のフール』を引き合いに出しながら終末を生きる意味についてブログ主の小嶋牧師が小論を投稿しておりました(注:ございました。「終末」を想像して現在を捉える)。その内容に深く教えられ共感し、僕も『終末のフール』を急いで買って読んだことを思い出しました。何と筆者はネットで入手した書評でこと済ませていたのに対し、O牧師は買って読んだという。
その辺の姿勢が筆者のようなぐうたら牧師と違うんだな。
(筆者はせいぜい図書館で借りて読むくらいで、最近FB友となったK牧師などとは真逆である。K牧師の書斎は平積みされた小説などがあちらこちら山積みされているそうな・・・。)
ライトは「終末」への希望から、かなり積極的な現在への関わりを提案するが、O牧師は「たんたんとした日常」と言うインプリケーションを引き出している。
思えば、「来るべき世」に生きていると言うことをエクスタティックに(羽目を外したようなライフスタイル)現したキリスト者たちがいたことをパウロは書簡(Ⅰコリント)で示唆している。
一方では将来のクライマックスまで待つ間を、まるで伸びたゴムのようにのんべんだらりと暮らしていたキリスト者たちもいたようだ。
彼らへのパウロの指示は、
ところが、聞くところによると、あなた方の中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいると言うことです。そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。(Ⅱテサロニケ3:11-12、新共同訳)さて私たちはどんな将来像を描き、そこから現在へとどんなインプリケーションを引き出すのだろうか。毎日が正念場だ。
2013年6月26日水曜日
福音派のパラダイム・シフト③
引き続き、ゴードン・T・スミスの論文、
The New Conversion: Why We 'Become Christians' Differently Today
から要約・抄訳します。
「回心体験」理解の枠組みの見直し・入れ替え作業を進行させている要因:
(2)宗教経験に関する考察
神学も学際的になってきており、宗教体験(回心経験も当然この中に含まれるわけだが)に関する考察が他の方面からの知見に照らして深められるようになってきた。
哲学者で言うと、
・チャールズ・テイラー
注:スミスの念頭にあるのは多分この本。
なおテイラーの名著「自我の源泉」については拙ブログ記事をご参照あれ。
テイラーの「現代における宗教の多様性」を考察したものでネット入手可能なものとしてはこれがある。当テーマに関連する部分は、「2.『二度生まれ』」となるのだろう。
・ルイ・デュプレ
注:スミスがこのカトリック哲学者に言及している理由は、世俗化の中で「信仰を持つこと」が困難になっている、とデュプレが言う時の前提が「信仰とは世界全体を包括するものである」と言う考えだからだろう。このインタヴュー記事を参照のこと。
行動主義心理学の方面からは
・ルイス・ランボー
注:スミスの関心はリンクにあるランボーの経歴にあるように「回心」を心理学からアプローチしている点にあるのだろう。彼の著書、Understanding Religious Conversionを解説して適用した例がネットで入手できる。これ
発達心理学の方面からは
・ジェームス・ファウラー
・エリク・エリクソン
注:ファウラーに関しては簡単にはこれ。エリクソンは有名だから説明は不要と思うが、一応これ。
文化人類学の方面からは
・ポール・ヒーバート
注:トリニティ神学校の宣教学及び人間学教授であった。この追悼記事が参考になるかもしれない。
さらに、このような考察を「ポストモダン文脈」、「脱キリスト教社会環境の文脈」 から批判的に深めるものとしては以下の二人の業績を参照すると良い。
・ブラッド・J・カレンバーグ
注:プラッドは一時期フラー神学校で非常勤講師をしていたようだ(キャンパス・クルセードのスタッフも)。その時の論文、Conversion Converted: A Postmodern Formulation of the Doctrine of Conversionが参考になるかもしれない。
・ロバート・ウェバー
注:彼のAncient-Future Evangelismの書評記事が参考になるかもしれない。一部を引用する。
ヒンズー教徒やイスラム教徒への伝道が拡大することによって、「イスラム教徒はどう回心するべきか」ではなく、もっとその実際である「イスラム教徒は如何にしてキリスト信者になるのか」が問われるべきだと考えられるようになってきた。
前者の問いは往々にして(西洋の)回心体験のカテゴリーを異文化の回心者に押し付けるものになってしまう。もっと彼ら自身の体験から学ばなければならない。
(次回に続く)
「回心体験」理解の枠組みの見直し・入れ替え作業を進行させている要因:
(2)宗教経験に関する考察
神学も学際的になってきており、宗教体験(回心経験も当然この中に含まれるわけだが)に関する考察が他の方面からの知見に照らして深められるようになってきた。
哲学者で言うと、
・チャールズ・テイラー
注:スミスの念頭にあるのは多分この本。
なおテイラーの名著「自我の源泉」については拙ブログ記事をご参照あれ。
テイラーの「現代における宗教の多様性」を考察したものでネット入手可能なものとしてはこれがある。当テーマに関連する部分は、「2.『二度生まれ』」となるのだろう。
・ルイ・デュプレ
注:スミスがこのカトリック哲学者に言及している理由は、世俗化の中で「信仰を持つこと」が困難になっている、とデュプレが言う時の前提が「信仰とは世界全体を包括するものである」と言う考えだからだろう。このインタヴュー記事を参照のこと。
行動主義心理学の方面からは
・ルイス・ランボー
注:スミスの関心はリンクにあるランボーの経歴にあるように「回心」を心理学からアプローチしている点にあるのだろう。彼の著書、Understanding Religious Conversionを解説して適用した例がネットで入手できる。これ
発達心理学の方面からは
・ジェームス・ファウラー
・エリク・エリクソン
注:ファウラーに関しては簡単にはこれ。エリクソンは有名だから説明は不要と思うが、一応これ。
文化人類学の方面からは
・ポール・ヒーバート
注:トリニティ神学校の宣教学及び人間学教授であった。この追悼記事が参考になるかもしれない。
さらに、このような考察を「ポストモダン文脈」、「脱キリスト教社会環境の文脈」 から批判的に深めるものとしては以下の二人の業績を参照すると良い。
・ブラッド・J・カレンバーグ
注:プラッドは一時期フラー神学校で非常勤講師をしていたようだ(キャンパス・クルセードのスタッフも)。その時の論文、Conversion Converted: A Postmodern Formulation of the Doctrine of Conversionが参考になるかもしれない。
・ロバート・ウェバー
注:彼のAncient-Future Evangelismの書評記事が参考になるかもしれない。一部を引用する。
The assumption which underlies his entire work is that the distinction between evangelism and discipleship constitutes a false dichotomy. Therefore he argues for a kind of “holistic” approach to evangelism which assumes evangelism and discipleship are concurrent processes which are only truly effective when united.
ヒンズー教徒やイスラム教徒への伝道が拡大することによって、「イスラム教徒はどう回心するべきか」ではなく、もっとその実際である「イスラム教徒は如何にしてキリスト信者になるのか」が問われるべきだと考えられるようになってきた。
前者の問いは往々にして(西洋の)回心体験のカテゴリーを異文化の回心者に押し付けるものになってしまう。もっと彼ら自身の体験から学ばなければならない。
(次回に続く)
2013年6月25日火曜日
英語圏ブログ紹介⑩
このシリーズ始めて何回目になるのか・・・、もう自分でも分からなくなっていました。
先ずは整理と言うことで以下にこれまでの紹介を順にまとめました。
① Chuck De Groat・・・ブログの新アドレスはこちら
② Rachel Held Evans
③ Tim Gombis
④ Larry Hurtado
⑤ Andy Rowell
⑥ Michael Gorman・・・現在リンクが切れております。(事情は不明)
⑦ Jason Goroncy
⑧ Andrew・・・ブログの新アドレスはこちら
⑨ Chris Tilling
こうして見ると結構常連しているブログがカバーされていないことを発見。
まだこのシリーズは続けられる。ネタ元が見つかって助かった。
さて今回登場していただくのは、Nijay K Gupta(大体、ニジェイ・グプタと発音するみたいです。)さんのCrux Solaです。
現在一番充実している新約聖書学ブログのひとつと言っていいと思います。
ですから専門研究者向けの情報が多いです。
さてニジェイさんとは実際にはお会いしたことはありませんが(上記の誰とも会ったことないのは皆同じだからわざわざ断る必要はないのですが)、 先月18日と25日に持たれたEcclesia and Ethicsと言うオンライン神学会義に参加し、ニジェイさんの発表を聞くことが出来ました。
スカイプでの通信を想像して頂くと(なんて自分ではスカイプやっていませんが)その親近感・臨場感を分かって頂けるかもしれません。
さてニジェイさんをどう紹介したらばいいかというと、やはりN.T.ライトを引っ張ってきた方がいいかな。
現在N.T.ライトの影響を受けて(主に)新約聖書・初期キリスト教を研究している方々は大変多いですが、その中でブログをやっている方に絞って紹介すると、少し弟分的な同僚クラスで言えば、ベン・ウィザリントン(未紹介)、スコット・マクナイト(未紹介)、マイケル・ゴーマンなどがいます。少し間が開きますが、もっとブロガー世代の研究者たちの中に、マイク・バード(未紹介)やJ・ダニエル・カーク(未紹介)、そしてティム・ゴンビス、クリス・ティリングなどがいます。
それより下の世代で、博士号を取り少し神学校等で教え始めた若手研究者の中の一人が、ニジェイさんです。
(なんかこの辺のことはNTライト読書会ブログねただね。)
さてニジェイさんのブログの最新記事から以下紹介します。
10 Lessons Learned About Publishing As An Editor
ニジェイさんがマイク・バードさんと共同編集している学術雑誌、Journal for the Study of Paul and His Letters (Eisenbrauns)の実務経験から、もし自分の書いた学術論文が雑誌の編集者に読まれ、且つ掲載されるようになるにはこの辺のことを注意した方がいいよ、というご親切な忠告「10項目」です。
この中の特に第7項目、Interact internationally (and beyond English-language literature only)が目に留まりました。
おや果たしてどの程度ニジェイのレーダーはカバーしているのだろうか、と。
そうすると主要英語文献を別にすると、次はドイツ語の主要文献、それから英語文献でも二次的なものを広く渉猟せよ、と言うわけです。
例えば、南アフリカ、オーストラリア、スカンジナビア(特にスェーデン)・・・と言うわけです。
あーやはりアジアも(当然日本も)、アフリカも、南米もレーダーの外なんだなー、と思いました。
ニジェイは北米ですが、マイク・バードはオーストラリアです。日本の研究者ももっと頑張ってトライして欲しいな・・・と思いました。
やはり発信力がまだないのだなと思いました。
でも先ほどのEcclesia and Ethicsではメインスピーカー以外に大学院生や博士課程の学生がたくさん論文を投稿していました。(時間的余裕がないので彼らの発表までは手が回らないのですが・・・。)
その中には何人か韓国人の名前があったように思います。
もしこのブログの読者の中に聖書学を研究している方がいたら、日本の学会だけでなく、英語の学術雑誌にも掲載されるようチャレンジして欲しいなと思います。
誰か一人でも日本での研究を紹介すれば、少しはレーダーの中に入れてもらえるのではないかと・・・。
その時にはこの忠告「10項目」を是非参照してみてください。
(※さっきN.T.ライトFB読書会に入会したての方から、筆者のブログを読んではいるのだが「難しい」と評されました。今回のもそっちの方だな、こりゃ。)
先ずは整理と言うことで以下にこれまでの紹介を順にまとめました。
① Chuck De Groat・・・ブログの新アドレスはこちら
② Rachel Held Evans
③ Tim Gombis
④ Larry Hurtado
⑤ Andy Rowell
⑥ Michael Gorman・・・現在リンクが切れております。(事情は不明)
⑦ Jason Goroncy
⑧ Andrew・・・ブログの新アドレスはこちら
⑨ Chris Tilling
こうして見ると結構常連しているブログがカバーされていないことを発見。
まだこのシリーズは続けられる。ネタ元が見つかって助かった。
さて今回登場していただくのは、Nijay K Gupta(大体、ニジェイ・グプタと発音するみたいです。)さんのCrux Solaです。
現在一番充実している新約聖書学ブログのひとつと言っていいと思います。
ですから専門研究者向けの情報が多いです。
さてニジェイさんとは実際にはお会いしたことはありませんが(上記の誰とも会ったことないのは皆同じだからわざわざ断る必要はないのですが)、 先月18日と25日に持たれたEcclesia and Ethicsと言うオンライン神学会義に参加し、ニジェイさんの発表を聞くことが出来ました。
スカイプでの通信を想像して頂くと(なんて自分ではスカイプやっていませんが)その親近感・臨場感を分かって頂けるかもしれません。
さてニジェイさんをどう紹介したらばいいかというと、やはりN.T.ライトを引っ張ってきた方がいいかな。
現在N.T.ライトの影響を受けて(主に)新約聖書・初期キリスト教を研究している方々は大変多いですが、その中でブログをやっている方に絞って紹介すると、少し弟分的な同僚クラスで言えば、ベン・ウィザリントン(未紹介)、スコット・マクナイト(未紹介)、マイケル・ゴーマンなどがいます。少し間が開きますが、もっとブロガー世代の研究者たちの中に、マイク・バード(未紹介)やJ・ダニエル・カーク(未紹介)、そしてティム・ゴンビス、クリス・ティリングなどがいます。
それより下の世代で、博士号を取り少し神学校等で教え始めた若手研究者の中の一人が、ニジェイさんです。
(なんかこの辺のことはNTライト読書会ブログねただね。)
さてニジェイさんのブログの最新記事から以下紹介します。
10 Lessons Learned About Publishing As An Editor
ニジェイさんがマイク・バードさんと共同編集している学術雑誌、Journal for the Study of Paul and His Letters (Eisenbrauns)の実務経験から、もし自分の書いた学術論文が雑誌の編集者に読まれ、且つ掲載されるようになるにはこの辺のことを注意した方がいいよ、というご親切な忠告「10項目」です。
この中の特に第7項目、Interact internationally (and beyond English-language literature only)が目に留まりました。
おや果たしてどの程度ニジェイのレーダーはカバーしているのだろうか、と。
そうすると主要英語文献を別にすると、次はドイツ語の主要文献、それから英語文献でも二次的なものを広く渉猟せよ、と言うわけです。
例えば、南アフリカ、オーストラリア、スカンジナビア(特にスェーデン)・・・と言うわけです。
あーやはりアジアも(当然日本も)、アフリカも、南米もレーダーの外なんだなー、と思いました。
ニジェイは北米ですが、マイク・バードはオーストラリアです。日本の研究者ももっと頑張ってトライして欲しいな・・・と思いました。
やはり発信力がまだないのだなと思いました。
でも先ほどのEcclesia and Ethicsではメインスピーカー以外に大学院生や博士課程の学生がたくさん論文を投稿していました。(時間的余裕がないので彼らの発表までは手が回らないのですが・・・。)
その中には何人か韓国人の名前があったように思います。
もしこのブログの読者の中に聖書学を研究している方がいたら、日本の学会だけでなく、英語の学術雑誌にも掲載されるようチャレンジして欲しいなと思います。
誰か一人でも日本での研究を紹介すれば、少しはレーダーの中に入れてもらえるのではないかと・・・。
その時にはこの忠告「10項目」を是非参照してみてください。
(※さっきN.T.ライトFB読書会に入会したての方から、筆者のブログを読んではいるのだが「難しい」と評されました。今回のもそっちの方だな、こりゃ。)
2013年6月22日土曜日
明日の礼拝案内
主日礼拝
6月23日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「聖徒たちの心が元気づけられる」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(108)
コロサイ・ピレモン(11)
6月23日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ピレモンへの手紙 1-25
説 教 題 「聖徒たちの心が元気づけられる」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(108)
コロサイ・ピレモン(11)
福音の再発見ライブトークの生放送
既にご案内しました、「福音の再発見」出版記念のインストアーライブトーク(御茶ノ水CLC書店)のネット中継(ライブ・・・録画も後ほど公開予定)があるそうです。
お店に来られない方も自宅のPCでご覧になれるそうです。
(技術的なことが良く分からないので自信なさそうに言っています。)
時間は6月23日午後2時~4時です。
リンクは、King-Jesus-Gospel-Japan
です。
また「福音の再発見」のタイトルやキャッチコピーを色々試しながら作成した過程をイメージにしたのがこれです。
どうぞご期待ください。
お店に来られない方も自宅のPCでご覧になれるそうです。
(技術的なことが良く分からないので自信なさそうに言っています。)
時間は6月23日午後2時~4時です。
リンクは、King-Jesus-Gospel-Japan
です。
また「福音の再発見」のタイトルやキャッチコピーを色々試しながら作成した過程をイメージにしたのがこれです。
どうぞご期待ください。
ラベル:
イベント案内,
キング・ジーザス・ゴスペル
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