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2014年11月21日金曜日

(2)「収穫感謝礼拝」準備

今年の収穫感謝礼拝を明後日に控えている。

巣鴨聖泉キリスト教会で収穫感謝礼拝が始まったのは、1982年。

筆者の父が牧師として、特に教会学校で子供たちに『主の祈り』を教えることでの思索から出てきたものであった。

「日々の糧」の感謝をささげることに、より自覚的になることを通して、自然環境破壊、エコロジーの問題に繋がっていきました。

その頃父が手にしたのが、イェルク・ツィンク著「美しい大地ー破壊される自然と創造の秩序」(1983年、新教出版社)でした。


これが一つのテキストとなって、その後の収穫感謝礼拝説教は作られていったようです。

収穫感謝礼拝に参加する方には、「収穫の主への感謝としてささげる地の産物」を持参するように頼んでいます。野菜や果物、時に穀物がささげられます。

筆者もなるべく余裕があれば、礼拝前に「地のもの」を求め、自然観察も兼ねて近くの山里を訪ねたりします。

今年も何かいい場所はないかとネットで調べていたのですが、段々時期が迫ってきたので近場に切り替え、最近耳にするグリーン・ツーリズム方面から探すことにしました。

最初思い浮かんだのは八王子付近の農協関連直売所でした。

しかしさらに近場をと、23区内で「野菜」・・・で思い浮かんだのが練馬区。
まっ大根でも有名です。

そして見当を付けたのが、JA東京あおばファーマーズショップこぐれ村。
西武池袋線大泉学園から歩いて20分くらい、と手軽です。

次にお昼ご飯の算段をつけました。

武蔵野、と言えばうどんです。

駅から近い手打ちうどん長谷川にしました。



注文したのは「糧うどん」。

大盛りにしようかほんの一瞬迷いましたが、普通でやめときました。

茹で上がるまで15分くらい待ちました。

使われている二種類の小麦粉は、地元埼玉県のものと合わせ、国産です。

出汁つゆは少し甘めで濃い目のしょうゆ味。

味のついた豚肉の他に鰹節の味も利いていました。

その他小松菜、ごぼう、長ねぎ、しょうが、などが入っていました。

おいしかったです。

点をつけるとすれば、85点くらいかな。

最近時々食べ歩き(主に麺類)しますが、その中では最も満足できる方でしょう。

(同じうどんでは、昨年夏の旅行中に食べた三太郎うどんには及びませんが、その他の讃岐うどんよりおいしいと思います。)

さて御腹ができたので、今度は野菜をゲットしにファーマーズマーケットまで、桜並木のやや落ちてしまった紅葉を眺めながらそぞろ歩き。


お店の建物の中に入ると、商品台は野菜ごとに整然としているのですが、広さに反して品薄感が。


でも大根、キャベツ、白菜、など良い品が安いのには「やっぱり直売所!」と感心してしまいました。


沢山買いたかったのですが、幾つかあきらめて、5品にしました。


右から順に、赤カブ(120円)、キャベツ(80円)、カリフラワー(200円)、白菜(120円)、にんじん(130円)、でした。(ここには写っていませんが、他に葉付き練馬大根200円、青森のにんにく210円。)




もう一つの準備として、映画いのちの食べかたを鑑賞。

2、3年前だったか、当教会関係者が観て話題になったのを覚えていたので。

1時間30分くらい、ひたすら食肉や野菜の工場での大量加工や大規模農場での様子が写し出される。

背景に仕事をしている人たちの会話はあるが、それはストーリーには取り入れられない。

邦題「いのちの食べかた」は、原題の(恐らく)背景である『主の祈り』の「日毎の糧」を回避(無視?)したものだが、人間が食するために大量の生物を殺している過程をより直截に示唆する。

しかしこのドキュメンタリーはある種他の過程や音を減じて、「食料」の機械的生産過程をグロテスクにクローズアップしている向きもある。

やはり一種の編集・誇張。

まっそれが戸惑いやばつの悪い感触・印象を生むのを狙っているのだろう。



さて以上を明後日の礼拝説教のネタにしようと思っているのだが、どうなることやら・・・。

2013年10月16日水曜日

世界食料デー

今日は世界食料デー。

UNEPの Food Waste Factsによると、
①世界中で生産される食料の約1/3が消費されずに消失するか捨てられている。
②豊かな国々で捨てられる食料と、サハラ砂漠以南のアフリカの国々で生産される食料はほぼ同じ。
③食料の消失・廃棄は、水・農地・エネルギー・資本など資源の浪費になるだけでなく、温室効果ガス発生にも寄与している。

などの報告がなされている。

食料の無駄は大問題だと言うことはよく分かるが、なかなかこれを是正するのは大変だろうな、とよく思っている。

自分としてできることは・・・とにかく食べ物を「残さない」ようにしている。

時に外食でこれが大変なことがある。

ある時早稲田の学生街で安いランチの店に入って「メンチカツ定食」を頼んだ。
ところがご飯が丼飯でしかも山盛りなのだ。

もう見ただけで圧倒され、どうやってこんな量食べきれるのだろうとしばらく食べる前に考え込んでしまった。
その時はちょうどある会合に出かける時でそんなにゆっくり食べてもいられなかった。

と言うわけでその食事の目的は「腹ごなし」ではなく、如何に食べきるか・・・であった。


2枚あるメンチカツを食べながら、ご飯の量はそれでも半分強位にしか減らなかった。
味噌汁もなくなり、後は2枚のたくあんで何とかしなければならない。

たくあんもなくなった。
でもご飯はまだなくならない。
時間も経ってきた。

段々あきらめの気持ちがわいてきた。
しかし何とかゴールを達成したい。

その気持ちだけで最後は「ガンバッテ」完食した。

しかしこれは考えてみればおかしな図である。

世界には食べものが足らなくて栄養失調の子供たちが多くいる。
飢餓に苦しむ人々がたくさんいるのに、なんで筆者のような「苦しみ」をしなければならないのか。

経済が下降線で余裕がなくなってきている状況では、「食べ放題」や「山盛り無料」みたいなものに惹かれるのも分からないでもない。

しかし何枚もの皿に沢山盛って、食べきれないで平気で残す人も結構いるのではないかと思う。
こう言うの何とかならんのか・・・。
衣食足りて礼節を知る

と言うが、こと食に関しては「残さないように、無駄にしないように食べる」ことそれ自体が最早富める国に住む者の最低限の礼節にしなければ・・・と思うのは考えすぎであろうか。

てなことを「世界食料デー」にかこつけて思いました。