久々の投稿。
(冬眠中なので寝ぼけまなこのボヤキを一席)
父(現在84歳)が説教から引退して数年が経つ。
今も元気でやっている。
毎日散歩を一時間ほど。
何しろ自分のペースを崩さない人。
筆者はずぼらで何でも適当にやってしまうタイプ。
最近は何をやるにも青息吐息な風情。
それで父に「年に1-2回説教どう?」とカムバックを打診してみた。
「頼まれれば、必要ならば(やりますよ)」と言うご返事。
ではご好意に甘えて・・・と思い、
しばらく説教をやっていないので、はたしてどんなキリスト教書を読んでいるのか聞いてみた。
バルトの「教義学要綱」とのこと。
今まで何度も繰り返し読んでいるが飽きることがないらしい。
珍しくそんな質問をされたものだから、自分の部屋からその本を持ってきて見せてくれた。
自分で紙のカバーをかけた小さな本。
かなり変色している。
発行は1946年となっていたようだ。
最初のところを読み始めてみると、難しい漢字が多く、いかにも「昔の本」と言う感じ。
これでは(筆者などは)何度も読まないと分からないだろーな。
それが数日前のこと。
今日ツィッターでフォローしている人のリツイートに
関口 康 説教・神学・日記: カール・バルト『教義学要綱』の序文(超訳)
と言うのがあったので、思わずクリックしてみた。
一読して「これは面白い。バルトがこんな風に読めたら楽でいいのに。」
実はこの方の名前はまるっきり違うことで目にしていた。
その時は硬派なタイプかと思っていた。
関口康:説教・神学・日記
を見るとA.A.ファン・ルーラーという神学者にかなり傾倒している様子。
「なんか神学マニアっぽい?」と言う印象。
でもその前のエントリーを見てもざっくばらんで砕けた内容の文章。
なかなか面白いバランスの牧師さんのようだ。
なになにスカイプで「カール・バルト研究会」をやっているとな。
「バルト主義者にならないこと」を唯一の入会条件・・・だって。
面白そーだなー。
スカイプで神学研究とかキリスト教研究とか、少しずつそんなことを始める人が出ているのだなー。
ふぁー、んなことを書いていたらまた眠くなってきた。
では冬眠に戻りますかな・・・。
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