2016年10月29日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年10月30日(日) 午前10時30分
 
朗読箇所 ルカの福音書 11:1-4
説 教 題 「互いの負い目を赦す」
説 教 者 小嶋崇 牧師

いのり(9)

わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を 皆赦しますから。
                                           (ルカ 11:4a、新共同訳)

2016年10月22日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2016年10月23日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 3:1-17
説 教 題 「日々新たにされて」
説 教 者 小嶋崇 牧師 

コロサイ(33)/パウロ書簡の学び(150)


 「キリストにある」生き方③
  新しい人 (コロサイ3:8-10)

2016年10月16日日曜日

(4)主に神学ブログ⑩

[2016/10/22 追記あり]

最近更新がめっきり減った。

JCE6(第6回日本伝道会議)での「N.T.ライトの義認論」という神学ディベートに準備段階も含めてほぼ半年関わったので、そちらの方のアウトプットで一杯であった。現在は休養中の感じである。

最初に「主に神学ブログ」を久々に更新するにあたっての簡単な説明の前に、更新きっかけとなったツイートから紹介して「イントロっぽく」始めることにする。

「へー(このツイートの主は)誰だろう」から、始まった。

「横レス(横からレスポンス)で聞いてみようか」
「DM(ダイレクト・メッセージ)で聞いてみようか」

・・・としばらく「誰なのか」サーチしてみたら案外早く見つかった。
神谷光信 (かみや・みつのぶ)
関東学院大学キリスト教と文化研究所客員研究員。
1960年、横浜生。修士(学術)。
専攻: 日本近代文学
と以上のプロフィールがあるブログ、
フォントネー研究院 (本のある生活)
が今回紹介する「主に神学ブログ」である。

このシリーズの過去記事①~⑧はこの記事にまとめてある。
最新⑨はこれ。(2015年6月28日)
専門から言って「主に神学」ではないわけだが、『キリスト教』で記事の数を見るとかなり書き溜めたようである。

筆者の興味で幾つか目を通したものを挙げてみる。

1. 信仰にとって、何が本質か

 「・・・洗礼の有無にかかわらず、神は、私を見ておられるであろう。私がキリスト者であるかどうかは、おそらく私が決めることではない。」

 日本の歴史的環境下、隠れキリシタンや無教会の伝統があるので、このような信仰論に類似か関連のある論考はこのブログでも幾つか取り上げた。

 ・「非キリスト者による信仰論
 ・「生きる意味: 柳澤桂子
 ・「若松英輔『イエス伝』
 ・「『霊性』を神学する」シリーズ(1234

2. 加藤圭氏の論文「史的イエスの第三研究、その輪郭と妥当性」

 キリスト教信仰にとって「歴史は(そして史的イエスは)避けられない」こと、むしろ信仰構造的には歴史を避けることはグノーシス化することを指摘している、と云う点に共感なさっておられるようだ。

 加藤氏の論文がどのような研究と対話しているか分からないが、N.T.ライトを「史的イエス第三探求の旗手の一人」と紹介している筆者としては、カトリックの方では「史的イエス研究」に悲観的な岩島忠彦教授に対して好意的な見方を紹介しているものとして読んだ。

3. カトリック知識人の存在感

 戦前の岩下荘一以下、日本でマイノリティーのキリスト教知識人が論客として存在感を示していたのに、現在(2008年)70歳以下くらいで殆どカトリック論客がいないことを嘆いている。


さて神谷さんが加藤周一の「キリスト教信仰」についてどんな論考をするのだろうか・・・。

[2016/10/22 追記]

2016年10月15日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年10月16日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ルカの福音書 9:10-17
説 教 題 「食品ロス問題」
説 教 者 小嶋崇 牧師

世界食糧デーを迎えて

2016年10月14日金曜日

(3)翻訳聖書について考える

 主宰する「ライト読書会」 のうちフェイスブック読書会の方が先ごろ(2016年8月)『クリスチャンであるとは』を読了した。

『結び』の部分に聖書について書いてある。
 最初に考慮すべき本質的なことの一つは、現代の聖書翻訳の良いもを手に入れることである。
 しかしともかくも大切なことは、現代の訳を手にして読み始めることである。
それで以下のような《質問》をした。
 皆さんが(持っているだけでなく)よく用いている(読んでいる)現代訳はどれですか?(リストになければ追加してください。)
一番多かったのは『新改訳』、以下『新共同訳』『口語訳』と続く。結局英訳も含めて10をはるかに越える聖書が挙げられた。

 中には「個人訳」とか「文語訳」とか現代訳の範疇に入るのか疑問符の付くものもあったが・・・。


 そんな折、海の向こうで ESV (The English Standard Version) の出版元であるクロスウェイ社が今後改訂を行わない、と発表した。(つまり不朽訳みたいな?)

 後から説明するが、この方針はまもなく撤回され、大見得切って「不朽訳宣言」したページも削除された模様(クリスチャニティー・トゥデー誌関連記事)である。(「不朽」とは筆者が幾分皮肉を込めた修飾表現ですので誤解なきようお願いします。)

 と云うわけで、この方針にいち早く反応し、抗議したスコット・マクナイトのブログ記事から件の「不朽訳宣言」を転載しておく。
Beginning in the summer of 2016, the text of the ESV Bible will remain unchanged in all future editions printed and published by Crossway—in much the same way that the King James Version (KJV) has remained unchanged ever since the final KJV text was established almost 250 years ago (in 1769). This decision was made unanimously by the Crossway Board of Directors and the ESV Translation Oversight Committee. All future Crossway editions of the ESV, therefore, will contain the Permanent Text of the ESV Bible—unchanged throughout the life of the copyright, in perpetuity.
The creation of the ESV Permanent Text represents the culmination of more than seventeen years of comprehensive work by the Translation Oversight Committee, as authorized and initiated by the Crossway Board in 1998. ... The decision now to create the Permanent Text of the ESV was made with equally great care—so that people who love the ESV Bible can have full confidence in the ESV, knowing that it will continue to be published as is, without being changed, for the rest of their lives, and for generations to come.
 朝令暮改ではないが、この宣言後まもなくクロスウェイ社は「不朽訳」宣言は間違いであったとして方針を撤回(クリスチャニティー・トゥデー、2016年9月28日)した。

 
 あーやれやれである。

 聖書についても、翻訳についても、筆者のような素人はうっかり「微妙なこと」に関して発言することはやめたほうがいいわけだが、ちょうど『クリスチャンであるとは』の結びで取り上げられた現代の聖書翻訳の良いもということの関連でちょっとだけ・・・。

 (1)翻訳の底本となる本文研究でさえまだまだ改訂が止まったわけでもないのに、「不朽訳」はおかしいでしょう。
 (2)(ライトも度々指摘するが)「言葉(language)も変わるし、意味も変わる」から世代が変われば新しい聖書翻訳が必要になる、でしょうね。

 翻訳聖書を「不変の聖書」みたいに勘違いするような扱いはやめたほうがいいと思う。

 現代英訳聖書の一つに過ぎないものに、「全幅の信頼」を寄せるようなことは控えた方がよろしいと思う。(それはいわゆる「聖書信仰」とは別の次元のことだろうと愚考する。)

 蛇足・・・スコットマクナイトの記事に「翻訳問題の背景となる北米のジェンダーに関する『文化戦争』事情」があるらしいことが分かります。

2016年10月8日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年10月9日(日) 午前10時30分

朗読箇所 マルコの福音書 6:30-52
説 教 題 「独りでいるのは良くない」
説 教 者 小嶋崇 牧師

こころ(10)

2016年10月1日土曜日

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主日礼拝
 
2016年10月2日(日) 午前10時30分


朗読箇所 ローマ 8:31-39
説 教 題 「どんな被造物も」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。