(6) Peter Ochs, Another Reformation: Postliberal Christianity and the Jews (Grand Rapids, MI: Baker Academic, 2011)
去年の6月に購入して多分1ヶ月くらいかけて読了した。
実は「ディスカウント・プライス」で選んだわけで、手に届くまでは内容は殆ど分からなかった。
タイトルが『アナザー・リフォメーション』とあるので宗教改革500周年も控えているし・・・と思ったのもある。
さて読んでみるとかなりエンゲージング(力が入っている)なものでした。
Contents
1. Introduction: Christian Postliberalism and the Jews
Part 1: American Protestant Postliberalism
2. George Lindbeck and the Church as Israel
3. Robert Jenson: The God of Israel and the Fruits of Trinitarian Theology
4. Arguing for Christ: Stanley Hauerwas's Theopractic Reasoning
5. The Limits of Postliberalism: John Howard Yoder's American Mennonite Church
Part 2: British Postliberalism
6. Finding Christ in World and Polity: Daniel Hardy's Ecclesiological Postliberalism
7. Wisdom's Cry: David Ford's Reparative Pneumatology
8. John Milbank: Supersessionist or Christian Theo-semiotician and Pragmatist?
9. Conclusion: Christian Postliberalism and Christian Nonsupersessionism Are Correlative
(購入した時点では認識に入っていませんでしたが)著者はユダヤ人の方で哲学者です。プラグマティズムという米国の哲学の学統(スクール)がありますが、そのうちの一人チャールズ・サンダース・パースの論理学を特に研究したようです。
ユダヤ人の哲学者がなぜ何人ものキリスト教神学者の著作と取り組むのか。しかも単に概観するのではなく彼らの神学のロジックみたいなものを丹念に分析するわけです。
分析のポイントとしているのは(こちらは今度は自然なことですが)「置換神学(supersessionism)」をこれらの神学者たちがどのように意識し、どの程度「彼らの神学のロジック」で乗り越えているかということです。
しばしば「リペアー(修復)」と云うことが出てきます。「置換神学(supersessionism)」を乗り越えるとは、神学をどのように修復的にやっているかと言う事でもあるようです。
サブタイトルに「ポストリベラキリスト教」とありますが、著者はイェールで博士号を取得したのでそのことも関係あるみたいです。(ポストリベラリズム神学自体が特別に対象とされているわけでもないようです。)
筆者はこれまでそれほど「置換神学」を意識していませんでした。(この辺のことに敏感なのはリフォームド系やディスペン系だと思いますが。)
しかし一番印象に残ったのは「置換神学」が神学的に大きな比重を持っているみたいだ、ということです。
それは単に「キリスト教とユダヤ教関係改善」のために重要と言うだけでなく、「分裂(schism)」と云う問題に痛みを感じその痛みの出所を見極め修復する意思を持つ。そのために対話するという姿勢のゆえに重要だ、ということのようです。
(7)R. Kendall Soulen, The God of Israel and Christian Theology
こちらも「置換神学(supersessionism)」を問題にしています。
というかキリスト教の神学者として深くこの問題を掘り下げています。
200ページに満たない著作ですが、よく議論が練り上げられ、俎上に乗せる神学者も選びぬかれ、論点がはっきりするように書かれています。
最初にソウレンの名前を耳にしたのは、ロバート・ジェンソンのこの動画だったと思います。
しばらくウィッシュ・リストに置いたままにしていましたが、「読書の流れ」が段々とこちらの方向に来るようになったところで購入しました。(今年です。)
個人的に重要だと思った論点は(この本をちゃんと読めていればですが)・・・
「置換神学(supersessionism)」に影響を与えたのは、単に個々の神学者の教理的構築作業にあるのではなく、2世紀の教父たち、殉教者ユスチノスとエイレナイオスの正典聖書観が「標準的」になったことにあるというものです。
つまり、旧約聖書と新約聖書との繋がり方の捉え方が問題の基底にあるということです。
かなり啓発的な本でしたが、まだ把握し切れてない点も多く、再読が必要かと思います。
(8)David Rudolph & Joel Willitts, eds., Introduction to Messianic Judaism
ついにここまで来たか、という感じです。
なんのこっちゃと言われるでしょうが「メシアニック・ジュー」に関してはもう何年も前にジョゼフ・シュラムの「シオンとの架け橋」や、つい最近でもフルクテンバウム等、○○タイムで活躍する○川○一牧師らの「ヘブル的(ユダヤ的)○○」の連発を耳にして「どんなもんかなー」と思っていました。
これまで「面白そうな内容を持っていそうだぞ」という好奇心と、「なんか怪しそうだ、あぶなかしそうだ」との警戒意識と両方あったのですが、後者の方が優っていました。
しかしそんな見方を大きく変えたのがメシアニック・ユダヤ教(Messianic Judaism)の指導的神学者、マーク・S・キンザー(Mark S. Kinzer)でした。まだつい最近のことです。
「メシアニック・ジューとは何か」、今ここでしっかり取り組む必要がある・・・と思って適当な入門書を探していたのですが、これにしました。(キンザーの論文も入っています。)
まだ半分までしか読んでいませんが、勘は当たっていると思います。(置換神学の問題を含めて、キリスト教・ユダヤ教関係と云う大きな問題を理解する鍵を握るのがメシアニック・ジューではないかということ。)
「今後何らかのグループなり読書会なりを立ち上げて勉強したいテーマ」になるのではないか・・・と思っています。
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