2017年10月17日火曜日

(5)義認論ノート、7

どうやら「義認論ノート」は毎月1回ペースのアップになっています。

何とも時間のかかる連載になっていますが、目標としたところに着地するまでは続けるつもりです。


今回は「義認論」と「教会論」を教会史的に振り返るきっかけを与えてくれた論文を紹介したいと思います。



D. G. Hart, "The Church in Evangelical Theologies, Past and Future" in Mark Husbands & Daniel J. Treier eds. THE COMMUNITY OF THE WORD: TOWARD AN EVANGELICAL ECCLESIOLOGY, 23-40.


著者のダリル・G・ハートに関しては詳しいことはあまり知らないが、改革派のウェストミンスター神学校書店の紹介ページから17冊もの著作が販売されている。

現在のプロフィールとしては「外交政策研究所(F.P.R.I.)」というシンクタンクのアソシエート・スカラーとなっている。
感じとしては「アメリカ宗教史(プロテスタント/福音派)」研究から国防・外交に関わるアメリカの国家アイデンティティーとしてのキリスト教史研究へと多少シフトしているのかもしれない。
ハートの論文のテーゼをざっくり言えば、「(アメリカ)福音主義の教会論は無きに等しい。敢えて言えば「反・教会」論のようなものである。」という感じだ。

ここで言う教会論とは「職制」「聖礼典」を基礎とした制度的教会論のことで、宗教改革者第一世代から伝統として受け継いだものだ。

しかしその後ピューリタンたちが北米に移民して教会を形成して行く過程で、この伝統的教会論は「個人の宗教経験の真正性」を原則とする教会形成に次第にシフトして行き、19世紀の信仰復興運動によってもはやその枠組み自体が見えなくなるほど衰退して行った、と概観している。

かなり長い時間の間のシフトを論証するわけだから、スケッチのような叙述になるわけだが、ハートのテーゼをある意味シンボリックに示すある人物の自伝を通して、この大きなシフトを印象付けている。

その人物とはチャールズ・ホッジ(1797-1878)とほぼ同時代の人物、ジョン・ウィリアムソン・ネヴィン(John Williamson Nevin, 1803-1886)。

ハートの構図では、ネヴインは(保守の代表と目される)ホッジの対極にある、宗教改革者の伝統的教会論を受け継ぐ正統派なのである。

ちょっと長くなるがハートの論文からネヴィンの「生い立ち、信仰訓練背景」について書いているところを引用する。


He had as a boy at Middle Spring Presbyterian Church been reared “according to the Presbyterian faith as it then stood.” For Nevin this meant a form of piety that was covenantal and churchly, begun in baptism, and sustained by catechesis in the broadest sense to include family instruction and public worship, with the end of such nurture being communion in the Lord’s Supper. As Nevin summarized it,“In one word, all proceeded on the theory of sacramental, educational religion, . . . holding the Church in her visible character to be the medium of salvation for her baptized children.”1
This system of churchly devotion received a significant challenge when Nevin went off to Union College in New York. There he encountered a rival piety in which the individual and the pursuit of conversion and holiness had made the church virtually superfluous. According to Nevin, the revivalist-driven faith of New England Puritanism “brought to pass, what amounted for me, to a complete breaking up of all my previous Christian life.” He explained:
I had come to college, a boy of strongly pious dispositions and exemplary religious habits, never doubting but that I was in some way a Christian, though it had not come with me yet (unfortunately) to what is called a public profession of religion. But now one of the first lessons inculcated on me indirectly by this unchurchly system, was that all this must pass for nothing, and that I must learn to look upon myself as an outcast from the family and kingdom of God.2 (様々な強調は筆者)

ネヴィンが育った「伝統的教会論の枠組み(ハイ・チャーチなどとも称される)」と「個人的回心を最優先するリヴァイヴァリズム」、つまり chuchly vs. unchurchly、の対立が彼の中で火花を散らすように受け止められたわけである。
※この二つのシステムの対立に関して、ネヴィンの薫陶を受けた長老教会宣教師が宮城学院の歴史に関係していて、『宮城学院資料室年報』(2015年度)に出村彰氏が「合衆国衆国改革派外国伝道局50年略史」の解題で背景的なことを書いているので参考にしてみてください。(特に41-44ページ辺りのところにネヴィンのことが書かれています。)
ネヴィンは、前回義認論ノート 6で取り上げた「Aタイプのクリスチャン」ということになります。
 (A)(クリスチャン家庭に育ち)気がついたら「クリスチャンかなー、まだかなー」、と実ははっきりした自覚がないまま過ごしてきました。でも洗礼も受けていますし、クリスチャンといえばクリスチャンだと答えています。
ハートの論文では時系列的に、ジョージ・ホィットフィールド、ジョナサン・エドワーズ、チャールズ・フィニー、チャールズ・ホッジ、エドモンド・クラウニーを取り上げて論じます。

ネヴィンを規準としてみれば、これらすべての説教者・神学者たちは、新大陸でのキリスト教の発展・形成を、ルターやカルヴィンの宗教改革遺産の保持ではなく、個人的・体験的な方向にシフトしたイノベーターということになるわけです。

洗礼と結びつく「義認論」と「教会論」の関係でいうと、ハートの論文が示唆する重要なポイントは、新大陸におけるキリスト教が聖霊による直接的な恵みとして「個人の救いの体験」を強調することによって、(カルヴィンやルターが保持していた)制度的教会がサクラメントによって媒介する神の恵みという視点を弱めたということ。

つまりサクラメントである洗礼の意義がキリスト者の体験において弱められることによって、教会論と義認との繋がりは弱まり、個人の救いを明確化する「救いの順序」救済論との関係が強められるようになった(のではないか)ということです。


※英語で読むのを厭わなければ、ハートの論文はネットにて読めますので一読をお勧めします。

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