2018年3月8日木曜日

(4)自伝的「新約聖書学」最近研究状況レポート、 N・T・ライトを中心に

まもなく「2011.3.11」から7年が経ちます。

たまたま昔書いた(雑誌に寄稿した)小論がちょうど7年前であったことを思い出しました。

この小論は『リバイバル・ジャパン』誌、2011年3月20号の「シリーズ 神学交歓」コラムに掲載されたもので、N.T.ライト読書会ブログ で「ライト入門、のようなものをアップしました」記事でリンクを貼っていたのですが、今はリンクが切れてしまったままになっています。

これを機会に全文をこちらに転載することにしました。
新約聖書学に興味のある方に、そしてN.T.ライトに関心ある方に、何かの手助けになればさいわいです。


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 自伝的「新約聖書学」最近研究状況レポート、

N・T・ライトを中心に

巣鴨聖泉キリスト教会牧師 小嶋崇
 
1 はじめに

「新約聖書学」のようなアカデミックな領域について一アマチュアに過ぎない筆者などが報告するのは些か分不相応な気がします。

筆者が敢えてこのような小論を試みるのはN・T・ライト(Nicholas Thomas Wright)に関することなのですが、その著作や講演の欧米での影響の広範さ、深さにも拘らず、日本語圏での紹介は、訳書にせよ(筆者の知りうる範囲では一冊のみ)、評論にせよ圧倒的に少ないという現状です。ライトの著作を英語で読める方々の中には、主に論争家(特にプロテスタントの『義認論』の伝統的解釈を脅かす人物)としてのライトが念頭にあるようで、警戒のためかあまり紹介してくれません。しかし後述しますが、ライトの著作の重要なものは「新約聖書神学」を巨視的・学際的・包括的にアプローチする『キリスト教の起源と「神」問題』シリーズです。(三巻目まで刊行されています。)こちらの方を優先的に取り上げて論評し、ライトに相応しい評価を下すべきだと思うのです。

ですからこの小論の目的は、日本の一般読者にN・T・ライトの主要著作を簡単にですが紹介することにあると思っています。(幾分詳しい紹介は拙ウェッブサイト「N・T・ライト読書会」をご参照ください。何本かライトの論文も翻訳してあります。

2 N・T・ライトとの出会い

筆者が初めてN・T・ライトの名前に接したのは1999年です。牧師の家庭に育ち、大学生の時に“救い”を受け、大学卒業後、献身して米国の神学校に学び、10年余に亘った留学を終えて父の牧する母教会の副牧師になって10年が経っていました。

大学生時の“回心”以来、「自覚的クリスチャン」として過ごしたその約20余年間、決して順調でも安定していたわけでもありませんでした。様々な葛藤・疑問・迷いがありました。しかしそれらは基本的に、小さい時から育てられ、“回心”時から持っていた所謂「福音信仰」の深化という「応用問題」であり、「福音信仰」の根底まで揺さぶるような問題ではありませんでした。

しかし副牧師として説教を始めて暫く経ち、最初は漠然と、しかし次第に深く、「私が保持してきた福音理解で大丈夫なのだろうか?」という不安・疑念が心を占めるようになってきました。説教をしている自分のコアで「何かが足りない」「根拠が弱い」と感じるようになっていました。

そのような時に、ある友人から贈られた1冊の本を通して一筋の光が差し込んできました。ジョージ・B・ケアードの『新約聖書神学』です。この本を端緒にして、次々と福音書の最近の(英文)研究書に触れるようになっていきました。それまでは神学校で学んだ聖書学の貯金を切り崩しながらやっていたような状況で、最新の聖書学を学ぼうという姿勢は全くありませんでした。その暫く後、別の友人からN・T・ライトの名前を聞くことになり、彼の著作を次々とのめり込む様に読むに至りました。

この頃だったと思いますが、福音書を読んでいて、ある“気付き”をしました。それは小さな気付きですが、その後の聖書解釈の取り組みに意識的な変化をもたらすものでした。ちょうど受難の箇所を読んでいた時のことです。イエスが十字架で死を迎えた時、福音書にはその死の意義を説明する、特に私が育てられた「福音信仰」の中核表現である「刑罰代償死」説のような「贖罪論」的説明が一切ないことに愕然として気が付かされたのです。

著作年代から言えば初期パウロ書簡よりかなり後に書かれたと思われる福音書に、なぜ十字架の救済的意義の説明が挿入されていないのだろうか。却って福音書の実際の叙述は弟子たちが師の十字架刑を前にして逃げ去ったことを記しているのです。 

このように福音書を少しずつ“歴史的”に読み解いていくと、自分が育った「福音信仰」における十字架の救済的意義の説明は抽象的・予定調和的に聞こえるようになりました。使徒たちの信仰は、実際にはもっと複雑な歴史的経路を辿って達したものなのではないか。私たちはどこかでその歴史的複雑な部分を捨象し、自分の“個人的な救い”の理解に都合の良い部分だけを掬い取っているだけなのではないか、と思い至りました。特に福音理解の「根拠」部分で、今までの自分の信仰に欠落していたのは「復活」であることを思い知らされました。それまでの「福音」は「十字架贖罪」一辺倒であったと思い至ったのです。

このようにキリスト教信仰の起源を“歴史的視点”から丹念にアプローチする訓練を提供してくれたのがライトの著作だったのです。

3 「史的イエスの探求」

最近の新約学の中でも「史的イエスの探求」は充実した時期を迎えているように思います。近代における「史的イエス」研究は、啓蒙主義の理性主義的キリスト教批判の道具となった「批評的聖書学」の影響に左右されてきた観があります。それは教会歴史の中で「キリストの神性」が強調されることによって見失われがちだった「キリストの人性」、すなわち「ナザレのイエス」という歴史上の人物に対する関心という反動的結果とも言えます。「歴史的関心」という近代理性がもたらした一定の評価がある反面、啓蒙合理主義に影響された新約学は、奇跡の否定も含めて、「事実と信仰」「自然と超自然」「歴史学と神学」「歴史のイエスと信仰のキリスト」等、新約聖書学、特に福音書研究に二元論的な思考を導入し、「ナザレのイエスは弟子たちによって神格化されたただの人」を当然の様に主張するに至りました。

アルバート・シュヴァイツァー、ヴィルヘルム・ヴレーデらによる研究が現在展開中の「史的イエス第三の探求」の起点となっているようですが(ブルトマン、そしてその後のケーゼマンらによる「新しい史的イエスの探求」が間に挟まり)、その約百年の間に外典・偽典研究、死海文書の発見やヨセフス研究、アレキサンドリアのフィロ研究、ラビ文書の研究などが累積してきて、「史的イエス」の背景となるいわゆる「第二神殿期ユダヤ教」研究が分厚くなりました。それで「史的イエス」研究の裾野はかなり広がり、研究者も多士済々の状況が出現しているようです。ベン・ウィザリントンは『ジーザス・クエスト』(1995,1997年)でその研究状況の多様性を七つに分類して紹介していますが、その基本的分類法は各研究者がナザレのイエスをどのような人物プロフィールでアプローチしているか、というものです。

筆者が特に「史的イエス」の問題と関わるようになったのは、共観福音書の講解説教をやるようになってからです。しかし最初は「共観福音書の神学的大テーマは『神の国』である」とおぼろげながら見当を付けたくらいで始まりました。ですからせいぜい『神の国』のワード・スタディーを中心にした手探りのような学びに終始していました。まだまだ「史的イエスの問題」までは視野に入っていなかったのです。

先ほどのウィザリントンは「第三の探求」を“現代”の史的イエス探求として、その研究者たちの中に「ジーザス・セミナー」の者たちまで加えますが、ライトの場合は、特にシュヴァイツァーが提唱した「イエスを終末的預言者」として探求する研究者たちに「第三の探求」を限定します。

筆者の場合、講解説教をしながらたとえ話、奇跡、パリサイ派との論争など、福音書記事を個別に釈義してその現代的適用を模索する説教ではなく、福音書が描写するナザレのイエスがどんな「意図」で行動し、どんな「目的」で十字架を目指したのかという「一貫した視点」でイエスを捉えようとする、ライトのような意味での「第三の探求」に次第に惹かれるようになりました。

この面におけるライトの著作では『キリスト教の起源と「神」問題』シリーズ第一巻目の『新約聖書と神の民』が方法論的問題の整理と、第二神殿期ユダヤ教、そしてそこから出現したキリスト教を「世界観的枠組み」で再構成した「大きな絵」を提示します。「史的イエス研究」(パウロ研究も)の序論的考察です。第二巻目の『イエスと神の勝利』が「史的イエス研究」プロパーで、この「大きな絵」を背景に「終末的預言者イエス」像を「ことば」と「行い」と「象徴」の角度からアプローチし、その十字架の死に至る道程を《統合された意味関連》として解明しようとします。「史的イエス」の再構成は、資料的には共観福音書に限定され、ヨハネ福音書は使用しません。また「復活」も『イエスと神の勝利』では扱わず、第三巻目『神の子の復活』で包括的に扱います。

詳述はできませんが特に筆者が目を開かれたと思うライトの福音書ナレーティブの釈義的論点は以下のようなものです。

先ず初歩的なことですが、ライトの「史的イエス」解釈のまとめ方の大事な点は、イエスの預言者的性格から再構成しているところにあると思います。(クリスチャンが福音書を読む場合、史的イエスではなく、三位一体の第二位格の神を読み込みがちではないかと思います。)

次に、「たとえ話」「警告のメッセージ」といった《言葉の要素》と「癒し」「悪霊の追い出し」「罪人・取税人との食卓の交わり」等《行いの要素》が、断片的エピソードとして味わわれ理解されるのではなく、イエスの歴史的宣教の全体像を構成するよう関連付けられていることが大事だと思います。

イエスの宣教は、洗礼者ヨハネの「終末の預言者」的活動を継続するものでした(「神の国」の到来を宣言)。十二人の弟子を召され「新しいイスラエル」を再構築する一方、イエスはイスラエルに対し繰り返し警告を発しました。それはヨハネの警告を踏襲しただけでなく、「この時代の内に」悔い改めなければ滅びるとの緊急性を帯びた警告でした。当時のイスラエルが待ち望んでいた「主の日」の審きは、イスラエル民族の敵であるローマに対して下されるのではなく、(先ず)イスラエルの悔い改めない者たちの上に臨む、との警告でした。それは個々人を含みますが民族の誇りの象徴であるエルサレムと神殿の上に破壊がもたらされることを、激烈な絵画的表現であるアポカリプティック(黙示あるいは黙示文学的)なメッセージを用いてなされたのでした。

十字架に架けられる最後の一週間、エルサレム入城からイエスのメシヤ的象徴行動はより明瞭になってきます。「神が王」となって「突然、その神殿に来る」(マラキ3・1)、ヤハウェが「エルサレムに戻られる」(ルカ19・44、『神の訪れの時』)、つまり「神の国」の訪れがクライマックスに差し掛かっているのに、イスラエルは気がつかなかったのです。従来「宮きよめ」と呼ばれる神殿での行動も、神殿への神の裁きを象徴するものと捉えられます。そして「人の子」が敵に引き渡された後に栄光を受けるというダニエル7章の預言を背景とした終末的、アポカリプティックな出来事として、イエスは十字架に架けられる道を「メシヤの召命」として受け入れたのです。

換言すれば、福音書の記述は、イエスの復活後の福音書記者の神学的考察によって創作されたのではなく、基本的にはイエスご自身の旧約預言成就の道筋を深く洞察した上で、自己への召命と理解し適用した結果であり、その意味でイエス自身が「神学者」であったとの理解がライトの解釈に反映されています。

さて「復活」の問題はライトの『キリスト教の起源と「神」問題』シリーズにおいて一つの中核的主題を構成しているように思います。福音派の大衆的福音説教は十字架贖罪一辺倒で復活はどこか付け足しのような感が否めない、と述懐しました。十字架は史実問題としては殆んど論証の必要がないほど明らかです。福音説教はその神学的意義の説明に集中する傾向があります。しかし復活はというと、近代の破壊的聖書批評学の影響もあって、史実としてきちんと論証されないままその意味について様々な解釈が一人歩きしてきました。福音派はと言うと、復活の意味を暗黙の了解的に「死に対する勝利」としてイースター説教で声高に叫ぶ程度です。復活の史実性は新約聖書証言の信憑性を強調するだけで、歴史的論証までには掘り下げられずに来たように思います。

ライトはイエスの復活を当時のユダヤ人の期待していた「神の国」の実現のシナリオとはかけ離れた形で、つまりメシヤの死と復活という形で実現した終末的・黙示的出来事として浮き彫りにします。ライトのこのような聖書神学的な解釈は、ルカ24章の弟子たちに対する「聖書全体」からの「イエスの十字架と復活において実現した神の国」の説明を跡付けるものと言えるでしょう。ライトは、このような解釈が使徒たちの「神の国」実現の理解となり、「神の国」は「イエス・キリストの福音」に集約された意味で解釈されている、と見ていると思います。

4 「パウロ研究の新パースペクティブ」

最近の新約学で特に大きな動きがあるのが「パウロ研究」と言えると思います。特にN・T・ライトもその一人に数えられる「パウロ理解のニュー・パースペクティブ(以下NPPと略称)」と呼ばれる論者たちが主張している研究動向です。

第一世紀ユダヤ教研究が進展するにつれ、キリスト教にとっては背景に過ぎなかったユダヤ教に関して歴史的により正確な理解がなされるようになりました。特にパウロ神学の中心的教義であると見られる「義認」の背景となるパリサイ的「律法主義」の見直しがなされるようになりました。

NPPの主要貢献の一つは、それまで主導的であった教義学的釈義の見直しであり、より歴史的に正確な『一世紀ユダヤ教』理解への関心です。この流れに先鞭をつけたのは、NPPが論議されるより約20年近く前です。Krister StendahlThe Apostle Paul and the Introspective Conscience of the Westが代表的です。NPPが論議されるようになった決定的な本は、E. P. Sanders, Paul And Palestinian Judaism (1977)です。名称としてNPPが一般的に用いられるきっかけとなった論文がJames D. G. Dunn, The New Perspective on Paul (1983)です。

NPP以前、パウロ神学は、その中心が『義認』なのか『キリストにある』なのか、と議論されるのが一般的だったようです。どちらにしても『義認』という宗教改革神学原則をパウロに読み込む〝神学的解釈〟優先の問題がありました。プロテスタントの義認解釈の父祖であるルターは、当時のユダヤ教を宗教改革当時の功徳を重んじたカトリシズムに見立てた解釈をしたわけですが、このような解釈はカリカチュアであることをE・P・サンダースの研究が実証しました。

このようにNPPの指導的研究者は、研究対象となる歴史的人物(パウロ、また史的イエスも同様)の歴史文化的背景となる「第二神殿期ユダヤ教」を歴史的に分厚く再構成することで、パウロ神学の新解釈の地平を切り拓いて行ったと言えます。

NPPの主要貢献二つ目に、「パウロ神学のナレーティブ構造理解」を挙げることができるでしょう。
パウロ神学理解に重要な視点を切り開いたサンダースでさえ、それを十分に活かしきれず、まだまだ伝統的神学解釈(『義認』か『キリストにある』か)に回帰する傾向がある、とライトは指摘します。

ライトはNPPを“新鮮な” と言う意味でのNP(ニュー・パースペクティブ)と言い換え、パウロ神学のナレーティブ構造と、その解釈技法を推進するヘイズの業績を高く評価します。Richard B. Hays, “The Faith of Jesus Christ (1983)や”The Echoes of Scripture in the Letters of Paul (1989)など。

パウロのより〝神学的〟な叙述が展開されるローマ、ガラテヤ、ピリピ、エペソなどは、表面上は「教理」と「倫理的勧め」のように、その後発展した「組織神学的叙述」構造のフィルターで解釈されて来ました。そのような解釈では、(旧約)聖書箇所引用はランダムに、プルーフ・テキスト的に見えます。しかしヘイズは、そのような〝神学的〟叙述構造を持つように見える箇所でさえ、実は絶えずその引用テキストが言及する大小の「ナレーティブ(創造、イスラエル、イエス、に関するストーリー)全体の余韻」を含めて喚起しようとするものであることを指摘し、その余韻や響きを「エコー」や「インターテクスチュアリティー」と名づけています。(ヘイズの場合は現代文学批評で用いられる『ナレーティブ』分析手法をかなり参照しています。)

NPPの主要貢献三つ目に、「パウロ神学の政治的コノテーションへの着眼」を挙げることができるでしょう。

近年、発展途上国の国際債務問題に新約学者ライトが度々言及します。啓蒙主義が提唱する「政治と宗教の分離」に対抗する意味もありますが、その背景には、史的イエス研究から出てくる近代的意味での「宗教家」の枠に収まらない「イエス像」も影響しています。神の国の福音は霊肉二元論では片付けられない現実政治へのコノテーション(含意)が確認されるからです。パウロ神学においても当時の政治的現実への視点が掘り起こされ、パウロの福音には「反・ローマ皇帝イデオロギー」の含意があることが主張されるようになってきました。復活したメシヤ・イエスの主権が皇帝に対抗する政治的意義があることを、パウロ宣教の中に見ようとする研究が進展しています。

5 結びにかえて
 この小論で簡単に取り扱った「史的イエス研究」を咀嚼した福音書説教や、「パウロ神学の新視点」以降の「義認論」で論議されている個人救済的な義認理解を拡大する「キリスト論的」「教会論的」枠組みを視野に入れたロマ書講解やガラテヤ書講解はなされているでしょうか。一般の牧師の説教においてこれらの知見が参照されて行くよう期待します。
 

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