巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2025年6月21日土曜日
2025年6月14日土曜日
2025年6月7日土曜日
2025年5月31日土曜日
2025年5月27日火曜日
「福音」とは何か?
このブログでも度々紹介してきたスコット・マクナイト『福音の再発見(The King Jesus Gospel)』に関わる話題です。
米国のゾンダーヴァン出版社が刊行する「カウンターポイント」というシリーズがあります。論争になっているような様々なイシューに対してフォーラムを提供し、複数の著者から異なる視点で寄稿してもらい一つの本にまとめるという試みです。これまでに40冊くらいのシリーズ著作が出ているようです。
その中の一冊で今年6月に出版予定になっているのが
Five Views on the Gospel
です。
発売を前にした促販企画のようなウェビナーが(日本時間で)5月23日の朝ありました。
この本を編集した二人がモダレーターとなり「5人」の寄稿者(うち一人、ジュリー・マが欠けましたが残る4人)がパネリストとして登場しました。
- The Reformation Gospel (Michael Horton)
- The King Jesus Gospel (Scot McKnight)
- The Wesleyan Gospel (David A. deSilva)
- The Pentecostal Gospel (Julie C. Ma)
- A Liberation Theology Gospel (Shively T. J. Smith)
これから書くのは主にその感想というか印象なのですが、マクナイトを除くとそれぞれの教派や神学伝統から見た「福音」を5-10分で語りました。
一番流麗にまとめていたのが「ウェスレヤン」を語ったデシルヴァと「解放の神学」のスミスで一番歯切れの悪かったのが「宗教改革」のホートンです。
特にホートンは改革派のレッテルを貼られることに多少神経質になっていました。というのも一番最初に語ったマクナイトが『福音の再発見(キング・ジーザス・ゴスペル)』でも新カルヴィン主義のジョン・バイパーを批判していたように、正面切った「福音とは何か」というテーマからいうとホートンが代表する立場が対立・衝突の矢面に立たされることを予感していたからでしょう。
ところでマクナイトを除いた他の3人はすべて教会史的に現れてきた教派的立場や神学的主張から見た「福音」ということであり、実質的にはそれぞれの立場の特徴点(distinctives)を語っているにすぎない部分が多いわけです。かならずしも「オリジナル・ゴスペル」とは何であったか、そのオリジナル・ゴスペルに対して各自の神学的特徴点はどの程度オリジナル・ゴスペルを反映しているのか、あるいは発展させているのか、といった思索には欠けていました。
各自のプレゼンの後、4人の間での意見の交換の時間があったのですが、やはりマクナイトがそもそも「福音とは何か」という定義の問題や「どのように定義するのか」という方法の問題が取り上げられていないということを問題提起していました。
マクナイトはそれらの問題を既に『福音の再発見』でかなりなスペースを用いてまとめているので、他の3人のパネリストたちが素通りしてしまっていることに違和感を感じているようでした。
またマクナイトは「意見の対立」を際立てるために(自著で指摘していた)ジョン・パイパーの「イエスは『義認』の福音を語った」というポイントを持ち出し、はたして義認は福音そのものなのかそれとも福音がもたらす益(benefits)なのか、と福音それ自体と福音がもたらす益を区別する必要があるのではないかとパネリストたちに問いかけていました。
さてこのウェビナーは都合90分のプログラムでした。おそらくアーカイブされて視聴可能になるのではないかと思いますが、『福音の再発見』が提起した問題を今後も深めていくために、参考になるのではないかと思います。
以上ブログ再開後の第1弾でした。
《広告》スコット・マクナイト『福音の再発見』新装改訂版(キリスト新聞社、2020年9月)を個人販売しています。
2025年5月24日土曜日
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2025年4月23日水曜日
ブログ記事 再開の辞
長らくいわゆる「記事」の投稿をしていなかった。特に理由があったわけではない。特に断筆宣言のようなことは書いていないし…。
段々と記事を書くのを大変に感じていたことは(今思うと)あったに違いない。書かなくなって楽になりそのまま現在まで放置するに至った次第。
再開の理由は特にない。
ただある方から何度か再開をサジェストするよう進言があった。しかしいまさら何について書くのか…。
2020年のコロナ騒動以降の大きな変化と言えば、コロナ自体とは直接関係ないが、ほぼ紙の本を買わなくなったことだ。以前から日本語の本はキリスト教書でもあまり買わなかった。本ブログでも何度も記事にしてきたようにアマゾンで洋書(英書)を買うことが殆どだった。しかし最近では電子書籍を除けば洋書でさえほとんど買わなくなった。
その要因らしきものを考えると…、
①体調がいまいちで読書のための集中力が足りない。
②興味をそそる本が少ない。
特に②の理由を考えてみると、筆者の視野が狭くなった、アンテナの感度が下がったことがその大きな原因かもしれない。
ぐっと飛躍しますが、日本の福音派という狭い世間の話になります。
それにしても、日本の福音派の出版事情は日に日に寂しいものになりつつあるような気がしてなりません。
とにかく本格的な本の出版が少ないように思います。
「イチオシ!」(←)に挙げたチャールズ・テイラー『世俗の時代』(名古屋大学出版会)
とまでは言いませんが、多少でも「歯が立たない」と思えるような固い本が欲しいですね。二三人がかりで取っ組んで読むような(つまり読書会が必要な)本のことです。
鈍った「本のアンテナ」をSNSで広げながら目ぼしい本を探してはいるのですが、こと福音派系の出版物を観察していると、内輪では評判になっていても、内容的には生煮えのような議論が盛られているような本が目立つような印象です。
タイトルや章立てを見ても「これじゃだめだなー」と購入意欲が減退し、読んだ人の読後感想を読んでも「仲間内評」ばっかりで余計興ざめというか…。
何か知的関心領域が狭まったというか…。内輪で喜んでいるだけ、自己満足で終わっているだけ、そんな印象が強いのです。
自戒も含めて、もっと「視野を広げよ」「関心領域を拡大せよ」、と言いたいですね。
では、一応今後の記事投稿ですが、あまり無理をしないで、雑感(ランブリングスramblings)(マンブリングス mumblings)のようなものでも続けられたらいいなと思っております。