2025年8月16日土曜日

原爆投下の倫理性

ちょうど8月15日の敗戦日に近いこともあったのか、オックスフォード大の倫理学教授ナイジェル・ビガー氏が80年前の広島と長崎への原爆投下の倫理性についてコメントしているのを目にした。



過去ビガー教授は原子爆弾投下の倫理性を否定していたようだがツイートにあるエヴァン・トーマス氏の『The Road to Surrender』を読んで見方を変えたのだという。(ヤフー・ニュース

Which of these hypotheses best fits the facts of the bombing of Hiroshima and Nagasaki is a matter of historiographical controversy. When I last wrote on this topic — to mark the 70th anniversary in 2015 — I said this: “For what it’s worth, my own amateur impression is that … the intention in dropping the bombs was more ‘political’ (or terroristic) than military. If that is so, then they shouldn’t have been dropped.” Now, however, having read Evan Thomas’ detailed account of the decision-making processes in both Washington and Tokyo (Road to Surrender: Three Men and the Countdown to the End of World War II [London: Elliott & Thompson, 2023]), I’ve changed my mind.

ビガー教授ほどの人が見方を変える本とはどんなものなのだろう、とまず興味を覚えた。

意外だったのはビガー教授が原爆投下に至る「意思決定」の倫理性に限定して「見方」を変えたらしいことだ。

1945年当時の米国大統領の意思決定の倫理性の是非を論じること自体には異論はないが、戦後70年、80年を経過する中でそのような限られた文脈でだけ論じるだけでいいのか、それで倫理学教授としての意見表明は済ませられるのか、というのが私が抱いた率直な違和感と疑問点だ。

何かもっと広い文脈で論じられるべきではないか、そのような文章はないだろうか、と少しネットを探していて見つけたのがこの記事だ。
Can nuclear war be morally justified?

記者はリチャード・フィッシャーというBBCの人らしい。

フィッシャー氏は原爆の問題を広く扱おうとしている。その一つの要因は日本の哲学・倫理学者である森岡正博氏が提唱する「死者・被害者の視点」である。

またフィッシャー氏はモーラル・ファウンデーションという用語を紹介して、個人の倫理判断が異なる倫理基準に左右されることを指摘している。

people’s “moral foundations” – how they decide what is right and wrong – are more complex, and crucially, differ according to background, culture and political ideology.

All this suggests that it’s impossible to answer whether the use of nuclear weapons is inherently right or wrong – whether they should be taboo or allowed under some circumstances – because it depends on the moral framework of the individual.
最後に現段階での原爆の規模から考えて、「戦争終結遂行に適しているかどうか」次元の問題から、人類滅亡可能性を左右する段階になっており、根本的な実存に関わる問題として捉えるべきことを指摘して記事を終えている。
“We stand poised on the brink of a future that could be astonishingly vast, and astonishingly valuable,” Ord writes. Yet our power to destroy ourselves – and all the generations that could follow – is outpacing our wisdom. In Ord’s view, the morality of nuclear war looks quite different if you consider it as an existential, species-level threat, rather than through the lens of national conflicts.
いずれにしても原爆についての議論は投下と被爆の当事者国ではかなり開きがあることは無理からぬことだろうが、原爆の道徳性を論じるには広い視野が求められるのではないかと感じている。

【追記 2025/8/19】
こちらの元記事をご覧になるとコメント・セクションも読めます。書いているのは(予想通り)ほぼ全員男性のようです。戦いについて議論するのがジェンダーで差があるのは何か理由があるのだと思います。

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年8月17日(日)午前10時30分

朗読箇所  
ピリピ人への手紙 2:16-18
説 教 題  「共に喜ぶ
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年8月9日土曜日

明日の礼拝はお休みとなります

巣鴨聖泉キリスト教会での明日、
8月10日の主日礼拝
はお休みとなります。

※次の主日礼拝は8月17日となります。
どうぞご了承ください。

2025年8月2日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年8月3日(日)午前10時30分

朗読箇所  
マルコの福音書 11:15-17
説 教 題  「祈りの家
説 教 者  小嶋崇 牧師

※次主日(8月10日)の礼拝はお休みとなります。

2025年7月26日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年7月27日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ヘブル人への手紙 11:30-12:1
説 教 題  忍耐強く走り通す
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年7月19日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年7月20日(日)午前10時30分 

朗読箇所  マタイの福音書 6:9-10
説 教 題  「神の国と全被造世界の刷新
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年7月12日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年7月13日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ピリピ人への手紙 2:12-16
説 教 題  「
健全な共同体のための訓練
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年7月5日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年7月6日(日)午前10時30分 

朗読箇所  マルコの福音書 4:1-9
説 教 題  「
社会の変化と教会の活動
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年6月28日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年6月29日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ヘブル人への手紙 11:28-29
説 教 題  「出エジプトの試練
説 教 者  小嶋崇 牧師

 

2025年6月21日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年6月22日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ヨハネの福音書 1:1-3、14
説 教 題  「
全被造物と新天新地
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年6月14日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年6月15日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ピリピ人への手紙 2:6-11
説 教 題  「
あらゆる名にまさる名
説 教 者  小嶋崇 牧師

 

2025年6月7日土曜日

明日の礼拝案内

ペンテコステ主日礼拝

2025年6月8日(日)午前10時30分 

朗読箇所  使徒の働き 19:1-7
説 教 題  主イエスの名による洗礼
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年5月31日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年6月1日(日)午前10時30分 

朗読箇所  マルコの福音書 10:13-16
説 教 題  「
教育的伝道
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年5月27日火曜日

「福音」とは何か?

このブログでも度々紹介してきたスコット・マクナイト『福音の再発見(The King Jesus Gospel)』に関わる話題です。

米国のゾンダーヴァン出版社が刊行する「カウンターポイント」というシリーズがあります。論争になっているような様々なイシューに対してフォーラムを提供し、複数の著者から異なる視点で寄稿してもらい一つの本にまとめるという試みです。これまでに40冊くらいのシリーズ著作が出ているようです。

その中の一冊で今年6月に出版予定になっているのが

Five Views on the Gospel

です。

発売を前にした促販企画のようなウェビナーが(日本時間で)5月23日の朝ありました。
この本を編集した二人がモダレーターとなり「5人」の寄稿者(うち一人、ジュリー・マが欠けましたが残る4人)がパネリストとして登場しました。

  • The Reformation Gospel (Michael Horton)
  • The King Jesus Gospel (Scot McKnight)
  • The Wesleyan Gospel (David A. deSilva)
  • The Pentecostal Gospel (Julie C. Ma)
  • A Liberation Theology Gospel (Shively T. J. Smith)

これから書くのは主にその感想というか印象なのですが、マクナイトを除くとそれぞれの教派や神学伝統から見た「福音」を5-10分で語りました。
一番流麗にまとめていたのが「ウェスレヤン」を語ったデシルヴァと「解放の神学」のスミスで一番歯切れの悪かったのが「宗教改革」のホートンです。

特にホートンは改革派のレッテルを貼られることに多少神経質になっていました。というのも一番最初に語ったマクナイトが『福音の再発見(キング・ジーザス・ゴスペル)』でも新カルヴィン主義のジョン・バイパーを批判していたように、正面切った「福音とは何か」というテーマからいうとホートンが代表する立場が対立・衝突の矢面に立たされることを予感していたからでしょう。

ところでマクナイトを除いた他の3人はすべて教会史的に現れてきた教派的立場や神学的主張から見た「福音」ということであり、実質的にはそれぞれの立場の特徴点(distinctives)を語っているにすぎない部分が多いわけです。かならずしも「オリジナル・ゴスペル」とは何であったか、そのオリジナル・ゴスペルに対して各自の神学的特徴点はどの程度オリジナル・ゴスペルを反映しているのか、あるいは発展させているのか、といった思索には欠けていました。

各自のプレゼンの後、4人の間での意見の交換の時間があったのですが、やはりマクナイトがそもそも「福音とは何か」という定義の問題や「どのように定義するのか」という方法の問題が取り上げられていないということを問題提起していました。
マクナイトはそれらの問題を既に『福音の再発見』でかなりなスペースを用いてまとめているので、他の3人のパネリストたちが素通りしてしまっていることに違和感を感じているようでした。

またマクナイトは「意見の対立」を際立てるために(自著で指摘していた)ジョン・パイパーの「イエスは『義認』の福音を語った」というポイントを持ち出し、はたして義認は福音そのものなのかそれとも福音がもたらす益(benefits)なのか、と福音それ自体と福音がもたらす益を区別する必要があるのではないかとパネリストたちに問いかけていました。

さてこのウェビナーは都合90分のプログラムでした。おそらくアーカイブされて視聴可能になるのではないかと思いますが、『福音の再発見』が提起した問題を今後も深めていくために、参考になるのではないかと思います。

以上ブログ再開後の第1弾でした。

《広告》スコット・マクナイト『福音の再発見』新装改訂版(キリスト新聞社、2020年9月)を個人販売しています。




2025年5月24日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年5月25日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ヘブル人への手紙 11:24-27
説 教 題  「
見えない方を見ているように
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年5月17日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年5月18日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ヨハネの福音書 1:1-5、9-10、14
説 教 題  「万物とキリスト
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年5月10日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年5月11日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ピリピ人への手紙 2:6-11
説 教 題  「
神の御子の従順
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年5月3日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年5月4日(日)午前10時30分 

朗読箇所  使徒の働き 18:24-26
説 教 題  「
シナゴグと家の教会
説 教 者  小嶋崇 牧師

 

2025年4月26日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年4月27日(日)午前10時30分 

朗読箇所  コロサイ人への手紙 1:15-20
説 教 題  「
宇宙大のキリスト
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年4月23日水曜日

ブログ記事 再開の辞

 長らくいわゆる「記事」の投稿をしていなかった。特に理由があったわけではない。特に断筆宣言のようなことは書いていないし…。

 段々と記事を書くのを大変に感じていたことは(今思うと)あったに違いない。書かなくなって楽になりそのまま現在まで放置するに至った次第。

 再開の理由は特にない。

 ただある方から何度か再開をサジェストするよう進言があった。しかしいまさら何について書くのか…。

 2020年のコロナ騒動以降の大きな変化と言えば、コロナ自体とは直接関係ないが、ほぼ紙の本を買わなくなったことだ。以前から日本語の本はキリスト教書でもあまり買わなかった。本ブログでも何度も記事にしてきたようにアマゾンで洋書(英書)を買うことが殆どだった。しかし最近では電子書籍を除けば洋書でさえほとんど買わなくなった。

 その要因らしきものを考えると…、
  ①体調がいまいちで読書のための集中力が足りない。
  ②興味をそそる本が少ない。
 特に②の理由を考えてみると、筆者の視野が狭くなった、アンテナの感度が下がったことがその大きな原因かもしれない。

ぐっと飛躍しますが、日本の福音派という狭い世間の話になります。
それにしても、日本の福音派の出版事情は日に日に寂しいものになりつつあるような気がしてなりません。
とにかく本格的な本の出版が少ないように思います。
「イチオシ!」(←)に挙げたチャールズ・テイラー『世俗の時代』(名古屋大学出版会)

とまでは言いませんが、多少でも「歯が立たない」と思えるような固い本が欲しいですね。二三人がかりで取っ組んで読むような(つまり読書会が必要な)本のことです。

鈍った「本のアンテナ」をSNSで広げながら目ぼしい本を探してはいるのですが、こと福音派系の出版物を観察していると、内輪では評判になっていても、内容的には生煮えのような議論が盛られているような本が目立つような印象です。

タイトルや章立てを見ても「これじゃだめだなー」と購入意欲が減退し、読んだ人の読後感想を読んでも「仲間内評」ばっかりで余計興ざめというか…。

何か知的関心領域が狭まったというか…。内輪で喜んでいるだけ、自己満足で終わっているだけ、そんな印象が強いのです。

自戒も含めて、もっと「視野を広げよ」「関心領域を拡大せよ」、と言いたいですね。

では、一応今後の記事投稿ですが、あまり無理をしないで、雑感(ランブリングスramblings)(マンブリングス mumblings)のようなものでも続けられたらいいなと思っております。

2025年4月19日土曜日

明日の礼拝案内

イースター主日礼拝

2025年4月20日(日)午前10時30分 

朗読箇所  マルコの福音書 16:1-8
説 教 題  「
不思議な結末
説 教 者  小嶋崇 牧師

※礼拝後、食事会があります。

2025年4月12日土曜日

明日の礼拝案内

棕櫚の主日

主日礼拝

2025年4月13日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ピリピ人への手紙 2:6-11
説 教 題  「
自分を無にして
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年4月5日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年4月6日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ヨハネの福音書 13:1-21
説 教 題  「
模範を遺す
説 教 者  小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。

2025年3月29日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年3月30日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ルカの福音書 11:5-13
説 教 題  「
受け継ぐべきものは何か
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年3月22日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年3月23日(日)午前10時30分 

朗読箇所  コリント人への手紙第一 13:1-13
説 教 題  「
信仰・希望・愛
説 教 者  小嶋崇 牧師

 

2025年3月15日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年3月16日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ローマ人への手紙 12:10-16
説 教 題  「
共同体、期待と失望
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年3月8日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年3月9日(日)午前10時30分 

朗読箇所  コロサイ人への手紙 1:15-20
説 教 題  「
創造主、和解主
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年3月1日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年3月2日(日)午前10時30分 

朗読箇所  ピリピ人への手紙 2:5-11
説 教 題  「
キリストの者として
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年2月22日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年2月23日(日)午前10時30分 

朗読箇所  使徒の働き 1:8、9:31
説 教 題  「
真の共同体のしるし
説 教 者  小嶋崇 牧師

 

2025年2月15日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年2月16日(日)午前10時30分 

朗読箇所  マタイの福音書 28:16-20
説 教 題  「聖書は壮大な物語」
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年2月8日土曜日

明日の礼拝案内

礼拝

2025年2月9日(日)午前10時30分
 
朗読箇所  
出エジプト記 19:3-6 
説 教 題  「十年という区切り
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年2月1日土曜日

明日の礼拝案内

礼拝

2025年2月2日(日)午前10時30分
 
朗読箇所  
ピリピ人への手紙 2:1-4
説 教 題  「利己心からの解放
説 教 者  小嶋崇 牧師

2025年1月25日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2025年1月26日(日)午前10時30分

朗読箇所  使徒の働き 6:1-6
説 教 題  「祈りと奉仕」
説 教 者  小嶋崇 牧師