2016年7月30日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年7月31日(日) 午前10時30分
 
朗読箇所 ルカの福音書 24:36-49
説 教 題 「聖書はわたしについて」
説 教 者 小嶋崇 牧師

聖書の一大ナラティブ

2016年7月29日金曜日

今日のツイート 2016/7/29

数日来この事件(相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件)についていろいろ考えていたところだ。



連ツイの最後三つだけを紹介したので、文脈を補足すると、この記事に対する批判の必要を感じてのものであることが連ツイの初めに断られている。

筆者の方の「いろいろ」の一つは、事件の重大さ・深刻さを鑑みて速やかに表明されるべき(であった)「アラーム(覚醒)」が明瞭に出なかった、ということ。

事件を起こした個人の特殊状況その他を考慮に入れても、今回の事件が「人間の尊厳」に対する挑戦であることは免れないだろうからだ。

しかしその面に関しての「アラーム(覚醒)」は海外のメディアの方が速かったように思う。

フェイスブックではある「ドイツ在住日本人」女性の方の投稿がこの面に注意を向けるようアッピールしていた(と記憶する)。


かつて『酒鬼薔薇事件』のときであったか、「なぜ人を殺してはいけないのか」に「どのように答えたらいいのか」という問いが立てられた。

学校その他で「いじめ」によっていのちがなくなると「かけがえのないいのちを大切にしましょう」と繰り返される道徳訓のひ弱さ。

直接には繋がりはないが、「いのち」や「人間の尊厳」を根底で支える教えを道徳的権威とともに言明することが躊躇われる何か、が背景の一つのように思われるのだ。

あるノーベル賞作家が、その理由を「人間として守るべき暗黙の了解」のような道徳的価値観(大前提)を「口にしなければならないことへの恥ずかしさ」のようなものを表現していたように思う。

(道徳的であるべき)「人間はそこまで退化してしまったのか」、「そのような悪びれもせず人のいのちを奪うことの出来るような人間を社会は生み出してしまったのか」という改悛に沈んだまま沈黙してしまいたくなる敗北感・・・のような。

そんなムードが感じられた。

今回の事件に際して人々の心の中にある「道徳感度計」が何度を表示するか、「道徳針(モーラル・コンパス)」が何を指すか、はまだまだ見守る必要があるのだろう。



2016年7月23日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年7月24日(日) 午前10時30分
 
朗読箇所 ルカの福音書 11:1-4
説 教 題 「御国が来ますように」
説 教 者 小嶋崇 牧師

いのり(6)


 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。 (ルカ11:2、新共同訳)
 

 「御国が来ますように」と祈るとき、幾らかでも「御国」についての具体的なイメージが浮かぶでしょうか・・・。
 20 世紀以降の西洋キリスト教では、近代化の問題に対応する中で「社会正義と平和」に取り組むリベラル派、それに反発して「個人的救霊(伝道)」を強調する保守(福音)派に分裂してきました。その分裂は「福音」の理解、「福音書」の読み方にもそのまま反映されてきたようです。
 その結果福音書の「神の国」は「この世」での社会正義・平和実現に、「十字架」は「あの世/天国」へと個人を救済する、と二分したメッセージのまま、日本に、そして現在へと、引き継がれてきたようです。

 

2016年7月19日火曜日

(5)オープン神論サイドノート②

をアップした後は泣かず飛ばずの「オープン神論」サイドノートになっています。

理由は幾つか考えられますが、大きな方の理由の一つは内容の低調さ・・・もあるかも知れません。

筆者はどちらかというとオープン神論の方に共感を覚える、くらいな程度ですから、ことさらに肩を持つわけではありません。

そもそもが「神論」を論ずる「プローズ(prose)」の面で「オープン」に反対する(異端呼ばわりする)側のことばに「リジディティー(rigidity)」を感じてしまうのです。

それはもちろん(リフォームドの)神学的システムから派生してくるものだと思うのですが、しかしそれでももう少し言い方があるだろうに、と思ったりするのです。

と云うわけで今後もこのシリーズを継続するだけの「関心度」が維持できるかどうかは分かりませんが・・・。

今回紹介する動画は、ダラス・バイブル・チャーチの トム・スティガル牧師のものです。(たまたまです。別に特別いいとかそう言うわけでもありません。)



・「オープン神論者」が福音主義者の中に「侵入して来た」だけでなく、大勢を占めつつある・・・みたいな言い方をしています。(福音主義神学会での2004年、ピノックたちが締め出されそうになった経緯からの変化を見て。20分前後くらいのところ)

・「内輪もめ」の雰囲気が強く感じられるのですが・・・。やはり「オープン神論」の影響力を阻止しよう、と云う目的での「「オープン神論」についての学習ビデオになっています。

・その面では割合良くできているのではないでしょうか。講師自体はそれほど頭に血が上っているわけでもなく、落ち着いて「オープン神論」の(反対者から見ての)間違いを指摘しています。



(次回もあれば、続く)

今日のツイート 2016/7/17

いろいろな教訓が・・・


・「プールサイドは滑りますので走らないでください」
 ・「後方注意を怠りなく」
 ・「自分がして欲しくないことは人にもするな」
御覧ください、彼らは悪をみごもり/災いをはらみ、偽りを生む者です。
落とし穴を掘り、深くしています/仕掛けたその穴に自分が落ちますように。
災いが頭上に帰り/不法な業が自分の頭にふりかかりますように。(詩篇7:15-17、新共同訳)

注意!

実際は「一昨日のツイート」というべきなのですが。
詩篇の引用を付けてから考えました。
あまりいい趣味ではないかと思いアップするのはやめておこうか、と。

最初はただのプールサイドの悪ふざけが目に留まっただけなのです。
しかし注意して見たら、先日のトルコの軍事クーデター未遂事件に引っ掛けたものでした。
ちょっと笑ってられない事態です。

しかし、「ユーモア」の問題提示としてアップします。
と言うのも、拾ったのはあるキリスト者、しかも新約聖書学の博士課程の学生がRTしたものでした。

欧米ではユーモアは好まれます。しかし「テイスト」というのもあるわけで、これは文化によっても個人によっても基準は変わってきます。時に失敗や行き過ぎから学ぶこともあるでしょう。
個人的には、そう言うわけで「ちょっとねー」という感じです。

「面白いとすぐRT」をしてしまうことへの自戒も込めて。

2016年7月16日土曜日

(3)「イチオシ!」の入れ替え、2016

大体年一回のペースで更新しているイチオシ!です。

 2014年・・・水村美苗『日本語が亡びるとき』
 2015年・・・金鎮虎『市民K、教会を出る』

毎回ジャンルが変わると言われそうですが、今年はこれです!!

エリック・ブリニョルフソン『ザ・セカンド・マシン・エイジ』(2015年7月)


どこで評判を聞いたかはもう覚えていない。

昨年7月の発刊だからもう1年経つわけである。

毎度のことながら自分で本書を購入して読んだわけではない。

図書館で借りて読んだ。(『日本語が亡びるとき』はその後古本を購入したが。)

予約者が多く確か2ヶ月くらいは待ったと思う。

そして、一回では読み終えられず、その後2回借りた。(その2回とも again 予約待ちだった。)

そして明日返却となった。まだ10-20ページくらい残っている。

でも大体内容は掴めたと思うので、記事にしてもいいだろう。


デジタル技術によって「人間の労働」が肉体労働だけでなく、知能労働もどんどん取って替わられる近未来社会をいろいろな角度から検討している。

まずコンピューターのもたらす「革新」が人類が経験してきたものとしては「産業革命」に続く広範なものであり、そのスピードもある時点を越すとナントカ数的ものになるそうだ。

一昔前コンピューターがチェスの世界チャンピオン破った事件があったが(今年だったかチェスと比較するとはるかに複雑で暫くはまだ人間を負かせないだろうといわれていた囲碁でもついに何勝かしたのが今年だった、かな・・・。)AI(人口知能)の進歩が加速度的に進むだろう、そして労働市場その他の経済の様相を大きく変えそうだ、という予測にかなり焦点を当てている。

個人的にはこのような「技術革新」がもたらす文明的問題については、過去に何冊か興味深く読んだことがある。

大雑把な印象だが、それらの「未来予想」本が現実をどの程度予測したかと言われると(その途上のものが殆どだが)それほど目を見張るようには実現していないような・・・。

だからといって、このザ・セカンド・マシン・エイジ』も眉唾で読んだらいいとは思わないのだ。

人間に取って替わる「自動化」技術はデジタルの前からあり、長い歴史の延長線にある技術の問題であり、ただデジタル技術というほぼ無限にコピーすることができる、量的制限を撤廃する技術がもたらす革新的変化の予測がかなり大きいとはいえ見通せないところが難しいポイントのようだ。


教会の牧師として一番関心が向く問題が、「人間の尊厳」である。

以前どこかで書いたかもしれないが、大学は経済学部だったが、原論で「マルクス経済学」の基礎を叩き込まれた。

労働者の「労働」が生んだ商品価値が資本家によって搾取される構造を理論化したのがマルクス経済だ。

つまりそこでは「労働」とは人間の価値を端的に表すものだった。

しかし未来社会では「疎外」は「労働者と商品」ではなく、自動機械が人間の労働機会をどんどん奪っていくという構図なのだ。

人間の価値は、人間の尊厳は「働く」ことにあるとすると、これはやはり大きな危機となりうるわけだ。

その辺の展望や対策についても本書はいろいろ書いているのだが、基本的に経済学畑の人なのだろう、このような問題の「精神性」の側面はそれほど深められていない、と云う印象だ。

広範な(事務・頭脳労働も含む)単純労働者の仕事が取って替わられたり、所得格差が大きくなったりと自動化社会への移行過程でも難しい問題が出てくるし、既に出てきている。


まっ、そういった事柄に関心のある方にお薦めしたい。

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年7月17日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 2:1-23
説 教 題 「キリストと共に死んで」
説 教 者 小嶋崇 牧師

コロサイ(30)/パウロ書簡の学び(147)


あなたがたは、キリストと共に死んで、世を支配する諸霊とは何の関係もないのなら、なぜ、まだ世に属しているかのように生き、「手をつけるな。味わうな。触れるな」などという戒律に縛られているのですか。
これらはみな、使えば無くなってしまうもの、人の規則や教えによるものです。これらは、独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、知恵のあることのように見えますが、実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです。 2章20-23節、新共同訳)