元旦礼拝
2013年1月1日(火) 午前10時30分
朗読箇所 コロサイ人への手紙 3:1-17
説 教 題 「時を分ける」
説 教 者 小嶋崇 牧師
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2012年12月31日月曜日
2012年12月21日金曜日
年末・年始の集会(休会)のご案内
ただ今教会の集会案内以外は更新をお休みしています。
・12月23日(日)礼拝はお休みします。
クリスマスイブの集会
キャンドルライト礼拝
12月24日(月)夕7時より
・12月30日(日)礼拝はお休みします。
元旦礼拝
2013年1月1日(火)午前10時30分
・12月23日(日)礼拝はお休みします。
クリスマスイブの集会
キャンドルライト礼拝
12月24日(月)夕7時より
・12月30日(日)礼拝はお休みします。
元旦礼拝
2013年1月1日(火)午前10時30分
2012年12月15日土曜日
2012年12月8日土曜日
2012年12月7日金曜日
N. T. ライトを学ぶクラス
2年前にホィートン大学(Wheaton College)の神学会議で「N. T. ライト」の業績を評価するイベントがあった(音声及び動画はここから入手できる)。
まだ現役バリバリの学者を神学会議の主題に据えると言うだけでも異例とも思うが、とにかくN. T. ライトはそのような対象になるだけの影響を既に残していることを例証する。
で、今度は「N. T. ライト」 が主題の大学院レベルのクラスが開講される。
The Ecumenical Institute of Theology at St. Mary’s Seminary & Universityの
アナウンスはこのコースを教えるマイケル・ゴーマン教授のブログに掲載されている。(ここをクリック)
クラスの概要は次のようになっている。
ちなみにコース必読書の中に、 For All God’s Worth: The Worship and Calling of the Church.が入っている。
どんなコースになるか実際始まったらブログでレポートしてくれないかな。
まだ現役バリバリの学者を神学会議の主題に据えると言うだけでも異例とも思うが、とにかくN. T. ライトはそのような対象になるだけの影響を既に残していることを例証する。
で、今度は「N. T. ライト」 が主題の大学院レベルのクラスが開講される。
The Ecumenical Institute of Theology at St. Mary’s Seminary & Universityの
BS/ST509/709 The Writings of N.T. Wright
Thursday, 6-9 p.m., January 14-March 21 (3 graduate credits) というクラスだ。アナウンスはこのコースを教えるマイケル・ゴーマン教授のブログに掲載されている。(ここをクリック)
クラスの概要は次のようになっている。
An exploration of some of the biblical, theological, and pastoral writings of the contemporary British Anglican scholar N.T. Wright, with attention to the significance of his work for the life of the church.新約聖書学者、神学者としてだけでなく、教会人としてのライトの影響も加味されているところが味噌かもしれない。
ちなみにコース必読書の中に、 For All God’s Worth: The Worship and Calling of the Church.が入っている。
どんなコースになるか実際始まったらブログでレポートしてくれないかな。
2012年12月6日木曜日
神学遍歴⑥
依然としてアズベリー・神学校時代のこと。
三年生の冬、主任教官のクーン博士のクラスのことを話してみよう。
主任教官というのは勝手な命名だが、アズベリーでは前二年にある程度の成績を取った者には三年目の履修クラスをその生徒の希望する分野に集中できる特典を与えていた。
筆者は留学生の先輩に是非そのような成績を取って自分の専門領域を開拓する勉強をした方がいいよと勧められていた。
暢気な性格で余り欲も深くないのだが、この先輩の発破のおかげで一念発起学業を頑張り、何とかそのような成績を取ることができた。
それでキリスト教倫理をある程度自分の専門と考え、クーン博士 (the late Dr. Harold B. Kuhn) のクラスを多く取るようになったのであった。
三年生の秋学期、クーン博士のクラスはキリスト教社会倫理だった。
戦争や貧困など幾つかの問題群の中から一つを選んで課題論文を書くクラスだった。
筆者が選んだのは遺伝子操作技術(リコンビナントDNA)。
科学にはめっぽう弱いのになぜこれを選んだのか、残念ながら殆んど覚えていない。
もしかしたらクーン博士の方から「やってみないか」のような促しがあったのかもしれない。
ところでこの問題を取り上げたことで筆者が知るようになったキリスト教思想家(倫理学者)がジャック・エリュール(ウィキ記事)である。
特に「技術社会」から学ぶことが多かった。
何を学んだか一言で言うのも難しいが、「技術」と言うものをニュートラルなものとしてではなく、自律的で、特に現代にあってはデモニックなまでに人間存在を規定する勢力、として描出しようとしていたように記憶する。
その後はエリュールの著作を色々購入した。
「都市の意味」や「暴力」「プロパカ゜ンダ」などなど。
全部読んだわけではないが一時期「はまっていた」と言えるだろう。
アズベリーのような保守的な学校ではエリュールは前衛的な思想家だといえる。
もちろん当時はそんな思想的背景など分かって読んでいたわけではないが。
とにかく当時の筆者にとってはエリュールは非常に刺激的な思想家だった。
ところで課題論文を仕上げるのに、友達の家でタイプライターを借りながら奮闘していた。
1980年12月8日夜、たまたまテレビを目にしていた時に「ジョン・レノン逝く」のニュースが流れた。
今でもその時の記憶はかなり鮮明に残っている。
三年生の冬、主任教官のクーン博士のクラスのことを話してみよう。
主任教官というのは勝手な命名だが、アズベリーでは前二年にある程度の成績を取った者には三年目の履修クラスをその生徒の希望する分野に集中できる特典を与えていた。
筆者は留学生の先輩に是非そのような成績を取って自分の専門領域を開拓する勉強をした方がいいよと勧められていた。
暢気な性格で余り欲も深くないのだが、この先輩の発破のおかげで一念発起学業を頑張り、何とかそのような成績を取ることができた。
それでキリスト教倫理をある程度自分の専門と考え、クーン博士 (the late Dr. Harold B. Kuhn) のクラスを多く取るようになったのであった。
三年生の秋学期、クーン博士のクラスはキリスト教社会倫理だった。
戦争や貧困など幾つかの問題群の中から一つを選んで課題論文を書くクラスだった。
筆者が選んだのは遺伝子操作技術(リコンビナントDNA)。
科学にはめっぽう弱いのになぜこれを選んだのか、残念ながら殆んど覚えていない。
もしかしたらクーン博士の方から「やってみないか」のような促しがあったのかもしれない。
ところでこの問題を取り上げたことで筆者が知るようになったキリスト教思想家(倫理学者)がジャック・エリュール(ウィキ記事)である。
特に「技術社会」から学ぶことが多かった。
何を学んだか一言で言うのも難しいが、「技術」と言うものをニュートラルなものとしてではなく、自律的で、特に現代にあってはデモニックなまでに人間存在を規定する勢力、として描出しようとしていたように記憶する。
その後はエリュールの著作を色々購入した。
「都市の意味」や「暴力」「プロパカ゜ンダ」などなど。
全部読んだわけではないが一時期「はまっていた」と言えるだろう。
アズベリーのような保守的な学校ではエリュールは前衛的な思想家だといえる。
もちろん当時はそんな思想的背景など分かって読んでいたわけではないが。
とにかく当時の筆者にとってはエリュールは非常に刺激的な思想家だった。
ところで課題論文を仕上げるのに、友達の家でタイプライターを借りながら奮闘していた。
1980年12月8日夜、たまたまテレビを目にしていた時に「ジョン・レノン逝く」のニュースが流れた。
今でもその時の記憶はかなり鮮明に残っている。
2012年12月1日土曜日
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