2016年8月31日水曜日

(3)藤本満『聖書信仰』ノート、6

「4 十九世紀とプリンストン神学」(59-72ページ)

プリンストン神学に入る前にイントロ的に扱っている「教義神学から独立させる」聖書神学のことについてちょっと。

「1787年、ヨハン・ガーブラー・・・」と言及されている部分ですが、この「神学と聖書学」の分離が端緒となって「聖書無誤」のような神学的前提を排除した実証的な歴史学としての聖書理解のスタイルが定着していった、とあります。

つまり「プリンストン神学」が「聖書無誤」の前提で神学構築される背景としてこの「神学と聖書学の分離」のような動きがあったということでしょうね。

 プリンストン神学について第一世代(C・ホッジ)と第二世代(A・ホッジとウォーフィールド)で「聖書の啓示性と真理性」についての信頼が楽観的から次第に(脅威に対する)防衛的へと変化して行く過程を要約しているようです。

(1)楽観的理性主義

 神の啓示は「言葉」を客観的媒体として「知性」に伝達され、魂全体に作用する。

 「真理は感情の中には与えられず、知性によって発見され解明される。・・・」

 「そのような啓示の真理は、科学の世界同様に検証され、確実に認識できるという。こうして聖書の預言や歴史的データをさかんに検証し、その真理性を証明し、その上に神学を構築しようとする試みを積み上げていった。」(チャールズ・ホッジ)

 「聖書は神の言葉を記しているのではなく、それ自体が神の言葉である。したがって、すべての要素や言明は絶対的に無誤であり、私たちはそれを信じ、それに従うことが求められている。」(A・A・ホッジ、B・ウォーフィールド) 

(2) 脅威に対抗するア・プリオリな無誤論

 「しかし、ここに来て進化論的世界観やドイツの高等批評学が聖書を解体分析していく中、彼らはトゥレティーニなどの逐語霊感説よりも綿密に、またそれを超えた無誤論を考え出して行く。」

 「このような危機感は、十七世紀には存在しなかった。また一世代前のチャールズ・ホッジよりも、息子A・A・ホッジとウォーフィールドが、より強烈に実感していたものである。」

 「ところが、リベラリズムの脅威をより強く意識した次の世代のウォーフィールドは、矛盾を矛盾として認めようとはせず、・・・、解釈困難な箇所はそのままにして、すべてが真理であるとみなされるべきである、と主張する。言うならば、 ア・プリオリな真理はア・プリオリなままで信ずるべきであるとして、無誤性を完璧に守ろうとしたのである。」

 「こうして十九世紀末から自由主義の圧力が増大していく中で、聖書の無誤論は、聖書批評学への道を閉ざし、保守派の防波堤として重んじられた。」

 「言い方をかえると、この時代のプリンストン神学において、聖書信仰はキリストや十字架に並ぶような信仰箇条になってしまった。福音主義の組織神学の書物があれば、聖書、神、キリスト・・・・・・の順に記されるようになる。」 
以上、(1)と(2)で目立ったポイントを引用列挙したが、筆者として要約すると次の二点が重要化と思う。

 (一)聖書の啓示に対する科学並みの「客観性」の要求

 それによって打撃を蒙ったのは「聖書テクスト」との「正直な距離感」ではなかろうか。

 「言葉=データ」というナイーブな実証主義的態度が、本来「聖書テクスト註解」を基礎にすべき神学を席巻しまった感がある。

 (二)聖書批評学アレルギー

 これは現在まで続くmalaise であるが、そして筆者の乏しい理解でもこのように言っていいと思うが、宗教改革者は基本的にその時代の聖書批評学者であり、歴史的文書としての聖書テクストの側面を忘れなかったと思う。(聖書を原語から翻訳したり、原語で註解するということは「聖書テクスト」との「正直な距離感」を常に保持することだと理解する。

 プリンストン神学にとっての聖書テクストの解釈困難な箇所の意義と、宗教改革者たちにとってのそれとは大分違ったものになっている、といっていいだろう。(ノート、3の「(テクストの)明瞭性(パーピスキュイティー)」問題参照)   
  
(次回に続く)

2016年8月27日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年8月28日(日) 午前10時30分
 
朗読箇所 マタイの福音書 6:5-15
説 教 題 「天と地を繋ぐ」
説 教 者 小嶋崇 牧師

いのり(6)


御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。
                                           (マタイ6:10、新共同訳)
 

2016年8月24日水曜日

今日のツイート 2016/8/24

生活の細部に(も)宿る「美」を垣間見るには・・・。
 一日の仕事を終えて帰宅する。その日、起こった物語を話す。テレビやラジオでさらに物語に耳を傾ける料理をしたり。食卓を整えたり、家族のために何百と行う、単純でしかも深みのある儀式のことである。そして言う。「これが私たちだ。」「(独身であれば)これが私だ。」「ここがまさに私たちが私たちである場所だ」と。そして一輪の花を飾り、家をきれいにする。折々にそのすべての意味を語り合う。(N.T.ライト『クリスチャンであるとは』第4章「美」から)

2016年8月20日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年8月21日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 3:1-17
説 教 題 「上にあるものを求めない」
説 教 者 小嶋崇 牧師

コロサイ(31)/パウロ書簡の学び(148) 



さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。
あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。3章1-4節、新共同訳)
 

今日のツイート 2016/8/20

映像「プラス」SNSの世紀・・・ということだろうか。


この映像が(世界中の?)人々の同情を誘った、と云うのは一つ。
それが「ヴァイラルした」のはまた一つ。

その間の(何かしら構造的な)連関を分かろうとすることに多分意味があると思う。

2016年8月13日土曜日

明日の礼拝はお休みです

巣鴨聖泉キリスト教会での明日、
8月14日の主日礼拝はお休みです。

どうぞお間違えありませんようにお願い申し上げます。

※今年は比較的過ごしやすい暑さですが、熱中症等 健康にはくれぐれも留意してお過ごしください。

2016年8月6日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2016年8月7日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ヤコブの手紙 3:1-4:10
説 教 題 「思いとことばと行い」
説 教 者 小嶋崇 牧師

こころ(8)

わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。

上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。

(ヤコブ3:9-10、17-18、新共同訳)

※次週、8月14日の主日礼拝は休みとなります。

2016年8月2日火曜日

(3)藤本満『聖書信仰』ノート、5

「3 敬虔主義と信仰復興運動」(45-57ページ)

今回の部分は筆者にとっては自派(ホーリネス・メソジスト)と深い関わりがある時期なので、前回とは逆にかなりファミリアリティーがあり読んでいてもほとんど違和感はない。

(1)敬虔主義

本書では先に福音主義・ウェスレーが紹介されているが)17世紀の「プロテスタント正統主義」との関係で次のように説明されている。
ドイツ敬虔主義の父と言われるシュペーナーは、プロテスタント信条・信仰告白に対抗して、あらためて聖書を掲げた。聖書は、教理・教条の源ではなく、信仰者の霊性と生活の源となるべきである。教条主義の中で、神の御言葉は聖霊と信仰体験から離れて、知性のために読まれるようになり、御言葉の生ける力が失われていったという。(52)
ここから引き出される「対立図式」は以下のようになる。
「信条・信仰告白」「聖書(のテクストそのもの)」
(聖書の主たる目的)「教理・教条の源」「霊性と生活の源」
(聖書の読まれ方)「知性的」「ハート」
(2)福音主義・ウェスレー

 ここでの注目点はウェスレーの福音的回心体験にみられる(頭の知に対して)「心の知」、そしてそれは「個人的に体験される」ものとしての(聖書の)福音のメッセージである。

(3)信仰復興運動

 ここでの注目点は(制度的)教会の内外に「個人的に体験される福音」を語る情熱とそれを支える革新的手段(パンフレット大量印刷・大衆伝道)の採用である。

 そしてそのバックストーリーとしての制度的教会の時代に対する硬直性であろう。教派信条はこちらに整理される。


(感想)
17世紀から18世紀へと西洋キリスト教が、社会の変化に対応して起こした「一つの進展」として「敬虔主義・信仰復興運動」は捉えられるのではないか。

上記に掲げた「対立の図式」で二分された要素は必ずしも二者択一であった必要はなく、却って相互補完的な関係と捉えられるかもしれない。


以上かなり宙ぶらりん状態のまとめで今回は終わることにする。


(次回に続く)