今朝たまたまYahooのニュースを見ていて眼に入ったのがこのニュースだった。
Guam Catholic Church sees a "perfect storm" of controversy
実は目に留まったのは「パーフェクト・ストーム」という表現だった。(カトリック教会内の問題ではなかった。 )
というのも、この4月から「N.T.ライトFB読書会」では『シンプリー・ジーザス』を読み始めたのだが、その3章に「パーフェクト・ストーム」と題が付けられているのだ。
それで、こちらのYahooニュースの場合はどのようにこの比喩表現を使っているのだろう、と興味が湧いたのだ。
読み進めるとすぐ、the Neocatechumenal Way lay group(以後 The Wayなどと略称が用いられている)、というのが出てくる。
はて、初耳なのかなー、と調べずにそのまま読み進めたが、このグループ/運動が世界大でカトリック教会内に様々亀裂や混乱をおこしているらしいことが感じ取れた。
では日本ではこの動きはどのように紹介されているのだろう・・・と先ずは「Neocatechumenal Way」の訳語を探してみた。
定訳なのかどうかは分からないが、「新求道期間の道=新求道共同体」、が求める訳語らしかった。
検索して幾つか記事を読んでみたが、その中で「カトリック高松教区の問題」がどうやら様々な記事の震源地らしいことが分かった。
問題が起こった期間司教であった「深堀司教」から、問題解決のため後任となった「溝部司教」への経緯を次ぎの二つの記事(説教スピーチ?)からうかがい知った。
・『お別れの言葉』
・『溝部脩司教様基調講話』
特に溝部司教のまるで「プロフェッショナル 仕事の流儀」ばりの「ミッションを遂行する」明晰さに感じ入った。
へーこんな人がいたんだ。もっと早く知っていればなー・・・と思って今度は「溝部司教」をターゲットに検索して行くと色々面白いことが分かった。
溝部司教は最後に京都で「望洋庵」という施設を作り、特に青年たちを指導した、ということ。
その間「京都新聞」の『ソフィア』というコラムに何本か短いエッセイを寄せていること。
もう一度行きたい土地(2012年12月23日)
「共同体」に燃えた青春(2013年9月1日)
出会いは偶然か、必然か(2013年12月20日)
面白い出会いがあった日であった・・・。
「大和郷にある教会」を拝見しました。私は、溝部司教から「旅人司祭」と称して、教区外生活を求められ、長くローマの神学校で務めていました。同司教も今は故人ですが、私はその司教様のもとで、苦しい日々を送りました。
返信削除私は、折に触れてブログを書いています。
今回の題は
《教皇フランシスコに盆栽献上》です。
→ http://blog.goo.ne.jp/john-1939
これを見ていただくと、およそのことがおわかりになれます。
よろしかったらどうぞ。