2018年1月27日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2018年1月28日(日) 午前10時30分

朗読箇所 マタイの福音書 6:24-34
説 教 題 「神の国とその義を第一に」
説 教 者 小嶋崇 牧師

説教テーマ 教会総会を迎えて

2018年1月24日水曜日

(4)ムーディー聖書学院(騒動)、その①

某オンライン・クリスチャン情報誌が『ムーディー聖書学院、学長ら3人が辞任・退職 』を伝えたのは1月21日。

その6日前に

のツイートで(シカゴ大神学部)マーティー名誉教授がその辞任騒動に言及していたのでリンクされたCT記事(1月10日)には一応目を通していた。

で、今日(1月23日)になるまでCT(クリスチャニティー・トゥデー)誌が伝えたように(某オンライン・クリスチャン情報誌の記事内容も基本CT記事と同じ)、辞任・退職の背景は単なる「金銭面での不適切な取引」に端を発する幕引き(陣容一新)事件と思っていた。

そうしたら今日RNS(Religion News Serviceなど)のジョナサン・メリット記者が同校での10年に及ぶ「人種差別問題」との取り組みが辞任騒動の背景にあることを伝えた。
How White Privilege Is Destroying One of America’s Oldest Bible Colleges: Students and faculty at Moody Bible Institute report more than a decade of white aggression and resistance to diversity initiatives.
たまたまなのだがこの記事を読む直前、あるインタヴュー番組(ネット配信)を聞いていた。(もしこの番組で多少とも人種問題の根深さに敏感になっていなければ、へーそんなもんか・・・で終わっていたかもしれない。)

そのインタヴューとはクリスチャン・ピチオリーニという元ネオナチ・グループで暴れていた若者が、後に更生して自伝を書き、同様の若者たちがネオナチのようなグループに取り込まれないよう活動についてだった。

これもたまたまなのだが、このクリスチャン・ピチオリーニ氏も(ムーディー聖書学院がある)シカゴの人であった。

番組の終わりの方で「ピチオリーニ氏が関わる人種差別問題への啓蒙活動への政府援助」がオバマ大統領からトランプ大統領に代わった途端「打ち切られた」ということが話題に挙げられていた。

なぜ打ち切られたのかの「説明はなかった」という。(憶測だがトランプ支持のオルト・ライト層を意識してのものではなかったか、と述べていた。)

実はこの部分と、メリット記者の上掲記事の最後の方にある部分とが結構ピタリと重なった(ように感じた)。

メリット記事によると辞任したポール・ナイキスト元学長は、人種差別問題に対して(少なくとも)以前より「前向きに取り組んでいた」という。

しかし、以下に引用するように人種(的)な差別が「給付金」という形で存在しており、ナイキスト元学長はこの問題の存在についても認め対応に取り組んでいたことを示唆している。
Pendleton says that Nyquist’s engagement on these issues went well beyond mere sentiment. After Pendleton took over leadership of Embrace, he realized that leaders of all but two student groups received stipends from Moody—all except Embrace and the Jewish student group, Kesher. Though Pendleton “never made a big issue of it,” he received an unexpected email from Nyquist apologizing and offering Embrace leaders a stipend like the others.
メリット記者の記事は全体として、米福音派がこれまで人種問題について社会一般ほど意識が高くなく、(進歩的な側から見ると)問題に積極的に取り組んでこなかったことを炙り出そうとしているように読める。

果たして今回の辞職騒動がどの程度この問題を大きな背景としているかどうかについては簡単には言えないだろうと思うが、少なくとも「不適切な金銭取引」のような不祥事(?)だけが引き金ではないだろうと考える。

生徒数の減少で経営難に陥っているらしいことも要因にあるだろうが、資金面での支援者たちの意向が絡んでくることから言えば「人種問題との取り組み」のような進歩的ポリシーのナイキスト元学長と政治的保守層を背景にしている学校支援者との対立、という要因も示唆されるのではないかと考える。

とにかくこの辺の軋轢や対立はムーディー聖書学院一校だけの事情では決してなく、ここ二つの大統領選(オバマそしてトランプ)での対立軸が米福音派を襲い、指導層が選択を迫られて(その結果)分断を露呈してきたようにも見えるのだ。


※次回、(余裕があれば)問題の所在と云うか性格について、もう少し例証を使って言及してみたいと思う。




2018年1月21日日曜日

(3)最近購入した本 2017~8年

「最近購入した本」というタイトルで過去に2度記事をアップしている。

2012年11月11日 最近購入した本
2014年5月10日 最近購入した本とか

他にも似たようなタイトルの記事や、おもに本を紹介する記事などいくつもあるのだが、今回は単に購入した本を紹介するだけでなく、どのような購入方法を使っているか、についても書いてみたいと思う。


ご存知の方も多いと思うのであらためて説明は必要ないと思うが、筆者が購入する本の大半は洋書(英語のみ)である。

その理由は購入ジャンルが神学が殆どだからということになる。

それで説明にならなければ、キリスト教神学書というのは目下のところ外国語で書かれた本の翻訳が多いということ。日本人著者が書いたとしても、多分に外国語で書かれた本、つまり近代日本にとってキリスト教文明の先進国であったヨーロッパや米国の言葉で書かれたものを下敷きにしているものが多いということになる。

もっと言えば、翻訳書は値段が高くなる傾向にあり、もっと言えば下敷きとなっている外国語(特に英語)のキリスト教神学の本は圧倒的に値段が安い傾向にある。

ここからはより個人的事情になるかもしれないが、米国遊学時代さんざん中古本を買い(そのジャンルはキリスト教神学を越えて多岐に渡る)、それらを殆ど読んでもいないのに帰国後必要に応じて買い足した(洋)書籍でもはや書棚が溢れているので、新たに購入するのがますます難しくなっているのだ。

ここ1~2年の傾向としては、以前購入に使っていた「アマゾン・コム」とはすっかりご無沙汰している。(キンドル本を除いてということだが)

その代わりにもっぱら「クリスチャンブック・コム」を多用している。主な理由は「ディスカウン書籍」が多く、掘り出し物みたいな本を購入する楽しみがあるからだ。

掘り出し物と言っても、本の価値は読者の様々なニーズに左右されるので何とも言えないが、キリスト教神学に限って言えば、日本語に翻訳されるものは評価の定まった著名な著者のものがどうしても多くなるわけだが、英語のものだとキリスト教神学関連の出版点数が多いため、結構内容的に優れた本と思われるものでも、どんどん在庫整理されるようなのだ。

さらに「クリスチャンブック・コム」の場合はほんのちょっとだけ体裁に損傷(slightly imperfect)があるような本の在庫整理も結構あるようだ。

さて前置きが長くなってしまった。以下がここ1~2年に「クリスチャンブック・コム」から購入した(主に)バーゲンセール本だ。

 (1)The Mission of God's People: A Biblical Theology of the Church's Mission -- eBook
 2)Who's Afraid of Relativism?: Community, Contingency, and Creaturehood
 3)A Cross-Shattered Church: Reclaiming the Theological Heart of Preaching
 4)Amazing Grace: God's Pursuit, Our Response (Second Edition)
 5)Liturgy As a Way of Life: Embodying the Arts in Christian Worship
 6)Thinking about Christ with Schleiermacher
 7)Who Is Jesus Christ for Us Today? Pathways to Contemporary Christology
 8)Common Roots: The Original Call to an Ancient-Future Faith
 9)Confessions of a Christian Humanist
10)Renewing the Center, 2nd edition - Slightly Imperfect
11)Bonhoeffer as Youth Worker: A Theological Vision for Discipleship and Life Together - Slightly Imperfect
12)Introduction to Messianic Judaism: Its Ecclesial Context and Biblical Foundations
13)Turning to God
14)Paul Unbound: Other Perspectives on the Apostle - Slightly Imperfect
15)Truly Divine & Truly Human: The Story of Christ and the Seven Ecumenical Councils - Slightly Imperfect
16)The Later New Testament Writings and Scripture: The Old Testament in Acts, Hebrews, the Catholic Epistles, and Revelation - Slightly Imperfect
17)What on Earth Do We Know About Heaven? 20 Questions and Answers About Life After Death
18)The Story of Christmas
19)On God's Side ITPE
20)101 Questions and Answers About Weather and the Bible
21)The Drama of Living: Becoming Wise in the Spirit
22)Raised with Christ: How the Resurrection Changes Everything
23)John Stott: Pastor, Leader, and Friend
24)Fight: A Christian Case for Non-violence
25)The Kingdom and the Cross
26)Theology Remixed: Christianity as Story, Game, Language, Culture
27)The Monastic Way
28)Paul & the Religious Experience of Reconciliation: Diasporic Community and Creole Consciousness
29)Perspectives on Israel and the Church: 4 Views
30)Wrestling with Angels:Conversations in Modern Theology
31)Qumran and Jerusalem: Studies in the Dead Sea Scrolls and the History of Judaism
32)What Did the Ancient Israelites Eat? Diet in Biblical Times
33)Commanding Grace: Studies in Karl Barth's Ethics
34)The Challenges of Cultural Discipleship: Essays in the Line of Abraham Kuyper

この中から「お徳」本を列挙してみる。しかし全部読んだわけではないので、少し読み始めて「食指が動いた」本を先ずは「お徳」認定とした。

14)Paul Unbound: Other Perspectives on the Apostle
これはいわばポストNPP(パウロ研究の新しい視点)の動向を紹介する論集で、この中で特にマーク・D・ナノス(Mark D. Nanos)の『パウロとユダヤ教、というより、パウロのユダヤ教ではないか?』(Paul and Judaism: Why Not Paul's Judaism) が読み応えがあった。(実際117-160ページとかなりの紙数。)
15)Truly Divine & Truly Human: The Story of Christ and the Seven Ecumenical Councils
筆者のようなこの方面の素人には古代教会の公同信条の神学的展開を概観する好著と思う。
16)The Later New Testament Writings and Scripture: The Old Testament in Acts, Hebrews, the Catholic Epistles, and Revelation
スティーブ・モイスが新約聖書各巻の旧約聖書言及を調べてその神学的背景などを簡潔に紹介している本。自分でいちいち調べ始めたら大変時間がかかると思うので、このようなサーベイは同種のリサーチのとき最初に手に取るのに便利だと思う。
 筆者はモイスの福音書(Jesus and Scripture) の方は持っているので、後パウロ書簡(Paul and Scripture)を入手すれば3巻揃いとなる。
21)The Drama of Living: Becoming Wise in the Spirit
デーヴィッド・フォードというケンブリッジ大の神学者による本で、何と言うか肩肘張ってない、文学を読むような感じの神学書。いろいろ筆者の関心領域に触れてくるので思わず「おっ」という感じの箇所が発見されなかなか嬉しい。
34)The Challenges of Cultural Discipleship: Essays in the Line of Abraham Kuyper
フラー神学校の学長だったリチャード・マウによるカイパー学統の流れに連なる論集。筆者のカイパーに対する(多少の)偏見を矯正してくれそうなちょっとした洞察が散見されて心地よい。今一番手に取る回数が多い本。

※以下の本は別の記事で既に紹介した。

 8)Common Roots: The Original Call to an Ancient-Future Faith
 (12)Introduction to Messianic Judaism: Its Ecclesial Context and Biblical Foundations
 






2018年1月20日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2018年1月21日(日) 午前10時30分

朗読箇所 創世記 28:10-22、35:1-15
説 教 題 「祭壇と記念碑」
説 教 者 小嶋崇 牧師

説教テーマ 結婚の「誓約」考

2018年1月13日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2018年1月14日(日) 午前10時30分

朗読箇所 エペソ 1:1-14
説 教 題 「神がほめたたえられますように」
説 教 者 小嶋崇 牧師

エペソ書講解(1)

2018年1月10日水曜日

(3)新年近況報告

当ブログも、漸減というかなんというか、最近更新回数が減っています。

シリーズものの記事も幾つかあるのですが、ストップしたまま2018年を迎えました。

雑多な内容が入り乱れますが、新年挨拶がてらまずは近況報告です。

(1)巣鴨聖泉キリスト教会の2018年標語聖句
従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。(エペソ2:19-22、新共同訳)
の特にオレンジ色部分が標語聖句となります。

取られたのはエペソ書ですから自ずからテーマは「教会」ということになるわけですが、
21世紀のグローバル化して行く世界でどのように「教会」を捉えて行くか考えて行きたいと思っています。

(2)イスラエルの問題、民族の問題

 昨年後半に4回に分けて書いた 宗教改革を越えて 最近の読書に見る流れ というのがありました。(1234)そこで触れたように、今浮上している一つの意義深い神学の問題は「教会」の問題であり、それは歴史的に言うと宗教改革の起こった16世紀ではなく、(まだ「キリスト教」とか「ユダヤ教」というような用語も認識もなかった)1世紀が焦点だ、ということです。

 キリストの教会が誕生した1世紀からコンスタンチヌス帝のミラノ勅令の4世紀まで、ユダヤ教シナゴグとキリスト教エクレシアはある種ある程度共生関係にあったのではないか・・・。言い換えれば、「parting of the ways」はまだ明確に確立したものではなかった(のではないか)。

 そういう展望からあらためて1世紀の(あえて使うと)“キリスト教”というものを見直す必要があるだろうと思い始めています。

 そうするとパウロが手紙を書いた教会における「ユダヤ人」と「異邦人」の関係の問題がより一層活き活きしたもの(live issue)に捉えられるように思います。

 キリストの教会が、ローマ帝国下にあって、キリストを主とするグローバルなヴィジョンを内包する信仰共同体として息づいていたことをより具体的に想像できるし、その際、一世紀ローマ帝国の多民族社会の統合原理・方法論に(かなり意識的に)対抗しながら、民族・性別・社会経済階層等の壁を乗り越えようとしていたのではないかと思えてきます。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、
 ユダヤ人もギリシア人もなく、
 奴隷も自由な身分の者もなく、
 男も女もありません。
あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
   (ガラテヤ2:27-8、新共同訳)
そこには、もはや、
 ギリシア人とユダヤ人、
 割礼を受けた者と受けていない者、
 未開人、スキタイ人、
 奴隷、自由な身分の者の区別はありません。
キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
   (コロサイ3:11、新共同訳)
小アジア「エペソにあった教会」(コロサイ教会と地理的に近い)について言えば、
標語聖句のある2章11-22節がピンポイントに取り上げている「民族間の壁」はユダヤ人と異邦人です。

 そしてこの構図、イスラエル対諸民族の関係、は「福音」が初めから視野に入れていた問題です。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。   (ガラテヤ3:8、新共同訳)
それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。 (ガラテヤ3:14、新共同訳)
しかし、問題は二十一世紀のキリストの教会がこのような「福音」をどのようにグローバル化している多民族社会で実現して行くのか。その辺りのことも視野に入れて学んで行きたいと思っています。

今年もよろしくお願いします。

2018年1月6日土曜日

明日の礼拝案内

(降誕節第二)主日礼拝

2018年1月7日(日) 午前10時30分

朗読箇所 エペソ 2:11-22
説 教 題 「教会のイメージ」
説 教 者 小嶋崇 牧師

 そのかなめ石は キリスト・イエス御自身です。
     (エペソ 3:20、新共同訳)