2021年9月25日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2021年9月26日(日)午前10時30分
 
朗読箇所  ヨハネの福音書 11:25
説 教 題  「わたしはいのちです
説 教 者  小嶋崇 牧師

※8月以降中止していた会堂での礼拝を9月19日から再開しました。参加する方はマスク着用をお願いします。

2021年9月18日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2021年9月19日(日)午前10時30分
 
朗読箇所  ヨハネの福音書 10:1-6、9
説 教 題  「わたしは門です
説 教 者  小嶋崇 牧師

※8月以降中止していた会堂での礼拝を再開します。参加する方はマスク着用をお願いします。

2021年9月11日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」中もあり、9月12日の会堂での礼拝を中止します。 

2021年9月12日
自宅礼拝ガイド

賛  美  主よわが主よ  567番
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「主よわが主よ(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=WMQ67Vrk_Fo

聖書交読  詩篇66:10-15
使徒信条  (賛美歌の表紙裏)
聖書朗読  ヨハネ第一の手紙 3:16-18
   イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。
   そのことによって、わたしたちは愛を知りました。
   だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
   世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、
   どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。
   子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
    (Ⅰヨハネ 3:16-18、新共同訳)

静思祷告
黙  想  「愛のイニシャティブ」
主の祈り (賛美歌の表紙裏)

【解説】
今年は「9.11(米国同時多発テロ)」から20年。米国のアフガン軍事支援も終わり、タリバン政権が成立したようです。
9.11に端を発したテロ征伐は、多様な犠牲を支払ったにもかかわらず、徒労に終わった感があります。

アフガニスタンといえば日本人には中村哲さんのことが思い浮かびます。危険を冒してさまざまな民間支援を繰り広げました。

私たちの人間関係は様々な次元で「贈り物」や「好意」や「配慮」を駆使して良好な関係を築こうとします。
しかしよく見てみるとそれらは自分への「利益誘導」を計算に入れたものではないでしょうか。 

打算を排した「無私」の好意は、やはり「自分の利益」を超えたところから出てくるものではないでしょうか。
キリスト教ではそれを「愛」と言い、キリストの犠牲にその具体的姿を見ます。

自己中心になりがちな私たちが、はたして、自分への「利益誘導」を超えた「愛」に生きるなんてことができるのでしょうか。 

ヨハネは「できる」というより、そのように「生きるべきだ」と勧めています。
そのカギとなるのは、やはり私たち自身がどれだけ愛されたか、愛されているかを自覚できるかにかかっているのではないでしょうか。
 

2021年9月4日土曜日

明日の自宅礼拝ガイド

※「緊急事態宣言」中もあり、9月5日の会堂での礼拝を中止します。


2021年9月5日(日)

自宅礼拝ガイド

賛  美  主のことばの光のうち  527番
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「主のことばの光のうち(歌詞表示なし)」のピアノ伴奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=i6Qj1ynNnJI

聖書交読  詩篇66:5-9
使徒信条  (賛美歌の表紙裏)
聖書朗読  ヨハネの福音書 8:12

   イエスは再び言われた。
   「わたしは世の光である。
    わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、
    命の光を持つ。」
    (ヨハネ 8:12、新共同訳)

静思祷告
黙  想  「暗闇の中を歩かない」
主の祈り (賛美歌の表紙裏)

【解説】
新型コロナ・ウィルスは英語で、COVID-19といいます。
19はこのウィルスが発生した2019年を指します。
身近で騒がれ出したのは2020年の2月初め頃でしたか、あのダイアモンド・プリンセス号での集団感染からです。
あれからもう1年半が経過しましたが、依然としてパンデミックの収束は見えません。
コロナに関しては、私たちは何か出口の見えない暗いトンネルの中にいるような気がします。

私たちの人生は、標識のない道を歩くように、先行きが見えないことが色々あります。
それでも、手探りしながら、道なき道を進んでいかなければなりません。

ヨハネ福音書には、「イエス様の自己紹介」がいくつもあります。
そのうちの一つが、「私は世の光」です。
どんな意味でしょう。
人生の「道案内」のようなものでしょうか。
それもあるでしょう。
でもきっとそれ以上だと思います。
イエス様は私たちと「一緒に住んでくださる」「一緒に歩んでくださる」ということではないでしょうか。

私たちが「暗闇の中を歩かない」でもいいように、私たちは、イエス様を信頼してついていくのです。

   主のことばのひかりのうち ゆくもののこころに
   主はしたしくやどりたまう ただきみにまかせよ
   まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん