2012年7月7日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

7月8日 午前10時30分

朗読箇所 使徒の働き 3:11-26
説 教 題 「神の宣教」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《説教シリーズ》「遣わされて」⑥

※昼食会があります。

2012年7月3日火曜日

ブログ開設二周年

去年も「ブログ開設一周年」と言う記事を投稿した。
今年も過ぎし一年を振り返ってみたい。

一年目、二年目、と投稿数は確実に減少傾向にある。
内容は、と言うとだんだん短くなってきているような気がする。

今年に入り、「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログへの記事と、フェイスブック上のN.T.ライトの「How God Became King読書会」進行役が新たに加わり、こちらのブログが手薄になってきてしまった。
現在少々アップアップの状態。
どれも中途半端になりかけている。
「二兎を追う者一兎も得ず」、ではないがちょっと手を広げ過ぎてしまった感じだ。

さて軽く数字でのまとめをしておこう。

①総ページビュー・・・55,400を越えたところ。
この一年で33,800増えたわけだ。
月平均で2,800余、日平均94弱はどうなんだろう。
ただ最近は減少傾向。投稿数が減っているからねー。

②人気投稿
一位『北川東子(さきこ)と教養』がダントツで総ページビュー数1,580となっている。
二位の『牧師と言う職業』の総ページビュー数は841だ。
『北川東子と教養』は教会のブログには余り縁のないトピックなのだが、ツイッターでリツイートされた影響でここまで数字が伸びたようだ。

さあ、また新たな一年が始まるわけだが、意気込みはすこぶる低い。
あまり肩に力を入れて・・・どころの話ではない。
何とか存続していけるよう、青息吐息でも粘り強く行こう。

2012年7月2日月曜日

オウム真理教その②

先日「オウム真理教への一視点」と題して一文書いた。


オウムについての著書を一冊紹介するのと、NHKによるドキュメンタリー構成された「オウム真理教問題」を振り返る番組を引き金にして書いた。

(※筆者の住む豊島区の図書館には紹介した本がないのでまだその本は読めていない。
その間に久保木牧師のブログでその本の読書感想が紹介されている。先を越されてしまった。)

事件から16-7年経って特別指名手配容疑者が次々逮捕され、一応の区切りが付いたところで事件を改めて振り返る動きが少し出ている。
筆者も改めて「オウム真理教」とは何だったのか、考え始めている。

そんな折、7/1朝日の朝刊の『ニュースの本棚』で中島岳志による「一から読むオウム」と題した書評文が出ていた。
「オウム」に対するこちらの感覚が少しずつ先鋭になりつつあるところだったので興味を持って読んだ。
オウムに関する本を幾つか紹介してくれたのは有難いのだが、内容的にもう一つぐっと掴むものがなかったような気がする。

取り上げられた本を順に紹介すると、

森達也「A3(エースリー)」 (2010年)
サリン事件の原因を麻原個人の特質に求める傾向に対し、森は麻原に従った「弟子たちの暴走に着目する」。「森は麻原を免罪しているのではない。麻原に罪を還元することで、オウムを他者化してしまうことを恐れるのだ。」

島田裕己「オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」 (2001年)
「島田が言うように、オウム事件は日本社会に生きながら、社会の在り方に違和感を持つ人間の無意識の願望を象徴するものだった。しかし、それがなぜ殺人という暴力に行きついたのか。プロセスは理解できても、その構造は不明瞭だ。」

宮台真司「終わりなき日常を生きろ」 (1998年)
「宮台曰く、ハルマゲドンのような大きな変革など、もうやってこない。大切なのは永遠に輝きを失った世界の中で、パッとしない自己を抱えながら、腐らずにまったりと生きていくスキルである。輝かしい未来への幻想を捨て、終わりなき日常を戯れながら生きる知恵こそが必要とされる、と。」

この他にも簡単な紹介つきだけの本が三冊ほど紹介されているが省略する。

中島の感じではこれらの本はそれなりにオウム事件を解析する示唆を与えてくれるが、(中島にとって最も関心の高い、そして筆者の関心とも重なる)なぜ殺人にまで至ったかの構造的解明は与えられていないようだ。

オウムを生んだ(宮台が指摘した)社会的空気は依然としてある。オウム事件は更に追及されなければならない。「オウムは未決のまま、漂流している。、しかし、事件は風化し、忘却の淵に追いやられる。私たちは、もう一度、オウムと向き合う必要があるだろう。」、と中島は結んでいる。

かつてハンナ・アーレントは「アイヒマン裁判」から『悪の陳腐さ』と言う観察を報告した。
オウム事件はまだその「悪の正体」を見据えようとするところまで解明の射程は届いていないように感ずる。

疑問に思う側が納得できるような「サリン等による『大量殺戮』を意図し、実行した者たちの意思」を論理的、構造的に解明しきることは期待できるのかどうか分からない。
しかしどこまで出来るかは別にしてそれはなされなければならないだろう。

2012年6月30日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

7月1日 午前10時30分

朗読箇所 ヨハネの福音書 13:1-20
説 教 題 「イエスとの関係」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。

2012年6月26日火曜日

61ha 絆

最近「映画を見る」機会はめっきり減った。
映画館はもちろん、テレビやDVDでも。
時間的に集中力がなくなったからだろうか。

そう言う訳だが、昨年6月に鎌仲ひとみ監督ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を見た(ブログ記事)のに続いて、今年もまた6月、昨日25日サロン上映会「61ha 絆」を見てきた。


瀬戸内海にある大島にあるハンセン病療養所「大島青松園」で暮らす東條高・康江夫婦の日常を追い続けた記録映画だ。
康江を軸として、その人生を写真や字幕で説明しながら映画は進む。

強制収容とは知らずに「3年で出られる」と言われて祖母に連れられて島に来た。
別れの切なさ。
結婚。

失明。その後は夫高の甲斐甲斐しい世話を受けながら生きて来た。

康江は島に来て何時頃かキリスト教に入信する。
食事のシーンでは「食前の感謝祈祷」が入る。
康江の病気をきっかけに後から入信した
きた高の祈りも記録されている。

自分の運命が知らない糸に操られるように生きて来た康江の心の底には言い知れない思いがあるに違いないが、普段の姿からは恙無い生活への「感謝の言葉」以外に余り見当たらない。
時々の思いは短歌に表現されてはいたようだが。


教会での礼拝シーンが二度だか出てくるが、二回とも「主の祈り」が捧げられるシーンを含んでいる。心なしか主の祈りの中の「赦したまえ」ということばが、彼女の人生の様々な困難や不条理に対する一つの回答として響くように聞こえるのだ。

ハンセン病問題に対する社会派的ドキュメンタリー映画ではなく、背負わされた環境の中でたんたんと生きる夫婦の物語りである。


監督:野澤 和之
撮影:堀田泰寛
インタナシヨナル映画 製作 ©2011年
「 61 ha 絆 」製作委員会
文部科学省選定 青年向き・成人向き
助成 文化芸術振興費補助金 

サロン上映会
日程:2012年6月21日(木)~6月27日(水)
上映時間:14:00~/19:00~(いずれも30分前開場)
会場:カーサ・モーツアルト(東京都渋谷区神宮前1-10-23)
最寄駅:地下鉄千代田線・副都心線明治神宮駅5番出口
JR原宿駅表参道口
会費:1,500円
(予約制090-6527-1490/61ha.info@gmail.com)

2012年6月23日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

6月24日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 6:1-10
説 教 題 「キリストの律法」
説 教 者 小嶋崇 牧師


《講解メモ》
パウロ書簡の学び(84)
ガラテヤ人への手紙(72)
・6:1-10 御霊によって歩む兄弟姉妹
(A) 6:1-5 重荷を負いあう 
(B) 6:6-10 善を行なう

2012年6月19日火曜日

神学遍歴④

前回アズベリー神学校での最初の「神学的思索」として「受肉と贖罪」に関する小論文について書いた。

ところで話は逸れるが、神学校を大学院レベルであることを指摘したいのか「神学大学院」とする方もいる。訳としてはそれでもいいのかもしれないが何か筆者には神学校の方がしっくり来る。

大学院レベルでの神学教育も幾つかあって、セミナリーのように大学から独立している場合と、大学に属している場合がある。前者では福音派ではフラー、老舗ではプリンストンなどがある。
後者は有名どころではハーバード大学やデューク大、シカゴ大学などはDivinity Schoolと呼んでいる。あるいはボストン大学やエモリー大学のようにSchool of Theologyと呼ぶところもある。

さて話を神学教育制度から「神学者」に移そう。

ある程度神学校での学びも進んで行くと、単にクラスで選ばれたテキストとして読む本ではなく、自分がこれぞと思って読む神学者の本が登場する。

筆者の場合そんな神学者の中でも初期の頃から心に留まったのは、H. Richard Niebuhrだった。
お兄さんがラインホルド・ニーバーでアメリカの20世紀政治思想にも一定の影響与えた神学者として有名である。
弟のリチャードは著名度の高さでは兄に譲るが、神学者の神学者として玄人好みの人であった。
一群の弟子を輩出した点でもその影響力の強さがうかがい知れる。

で、筆者はこの頃からこれだと思った人の本を重点的に買い集める(出来ればそれらを読む)傾向があった。

リチャード・ニーバーの著作と言えば幾つかすぐ名前を挙げられるが、自分が読んだ本に限って言えば、
  • The Social Sources of Denominationalism (1929)
  • The Kingdom of God in America (1937)
  • The Meaning of Revelation (1941)
  • Christ and Culture (1951)
  • The Purpose of the Church and Its Ministry (1956)
  • Radical Monotheism and Western Culture (1960)
  • The Responsible Self (1962)
あたりだろう。

この中でその後の自分の神学形成に一定の影響を及ぼしたものとしては「キリストと文化」だと思う。

リチャードの神学的思索には純然たる神学と言うより「社会学」と「倫理学」的な思索が加わっている著作が多い。
その後筆者が「社会倫理」や「宗教社会学」の方向に進んだのも、もしかしたらリチャードの神学思考的傾向が影響しているのかもしれない。

リチャードの本は割合短いのが多い。文章は練られていて余分なことは言わない。
その分よく読みこまないと理解できない。

上記に挙げた著作の中で最も衝撃的出会いだったのは「啓示の意味」だろう。
小さな本だがアンダーラインやマーカーの跡が沢山残っている。
余白に残したメモも多い。

そのころは集中して読めた時期だったのだろう。
何と言っても「神学」と言うものにまだ慣れていなくて、読むのに一生懸命だったのだろう。
今じゃその頃のような「吸収力」はない。

とにかく「啓示の意味」には勉強させてもらった良い思い出がある。
具体的にどこまで自分の中に消化されたのかは分からないが・・・。