2015年8月24日月曜日

今日のツイート 2015/8/24

最近ツイートに画像や動画を添付したものが増えているが、これもそう。

この意味がよく分からないが(基本ナンセンスなのかもしれない)、江戸の文化が現代のハイテクに勝る・・・といったニュアンスなのか知らん。

と、元を見たら
葛飾北斎「富嶽三十六景 礫川雪ノ旦」 「ミグ29かしら。」おてんば姫は今日も戦闘機を墜落させます。雪の日の朝でした。
となっていました。

2015年8月22日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2015年8月23日(日) 午前10時30分


朗読箇所 ガラテヤ 3:1-5
説 教 題 「御霊と肉」
説 教 者 小嶋崇 牧師

教会史遡行(7)
 宗教改革・・・マルチン・ルター(1483-1546)

今日のツイート 2015/8/22

あれま!

米国遊学を終えて帰国したのが1989年2月。

それからあれよあれよという間にこんなになっちゃったんだ。

学んだ学校の一つから送られてくる同窓生ニュースに掲載されている写真を見ながら「毎回、あちゃー」とは思っていたが・・・。

2015年8月21日金曜日

(5)雑想「いくさ」について思うこと

安保法制論議に直接関わらないが、その傍系の論議の一つについて。

いくつかあるが、先ずすぐ思いつくことから始める。

近代戦争における「いくさ」の非人間化

(1)破壊兵器の技術的進歩は何を目的とするのか

 確か第一次大戦からであったろうか、戦闘機が導入されたのは。

 大量破壊兵器と位置づけられるのかどうか知らないが、第二次大戦での重爆撃機B-29による無差別爆撃を考えると、短期間で、なるべく味方の損害を増やさないうちに、一方的優位を勝ち取って、相手を降伏に追い込むための「武器」という考え方が「いくさ」のやり方として最重要な問題になって来ているのではないか。

 もちろん、本格的な戦争に入る前の「小競り合い」というのはあり、その場合は相互に「計算されたダメージ」の応酬をしている間に、何とか政治的決着を図る・・・というのが「いくさ」のやり方の一つとしてある。

 だから様々なレベルの武器が必要とされるのだろう。

 しかし流れとしては「戦闘員と非戦闘員の区別」がつかない争乱・戦争の方向が強まっているのではないか。

(2)ハイテク武器の意味すること

 大量破壊、無差別攻撃、の次に思うのは、レーダーやハイテク機器の発達で、戦闘員が敵を生身の人間として見たり、相対することなく、殺戮できるようになってきたことである。

 ここ数年ドローンによる偵察や攻撃がかなり使われるようになってきた。

 特に民主主義国が戦争に関わる場合、人的な損害を最小に抑えるために、このような「非人武器」利用の増加は避けられないだろう。

 GPSの利用で敵ターゲットをピンポイントで攻撃でき、市民の巻き添えを避けることができる武器、と考えられているが、やはり戦闘員の「非身体化」という点で、大きな疑問が残る。

 戦は望んで行うものではなく、回避できなくて取る「悪」という位置づけであっても、相互に身体的ダメージを確認し合いながら停戦を探っていた時代に比較し、このままハイテク機器が進歩し、それが大々的に「いくさ」で使われるようになると、「戦争悪」の深い反省がどれだけできるだろうか。


第二次大戦を「終結させた」と理解されている原子爆弾使用を人類的な悲劇として反省するまでにかかった(まだ進行中だが)時間はどれだけか・・・。

民主主義国家の戦争は、職業エリート軍人と一定期間軍人(戦争後に退役)でなされるが、そうであっても実際の戦闘によって(理由は様々あろうが)精神的トラウマを受け、かなりの数の自殺者を出している。

民主主義国家は、基本的に「普遍的人類意識」を持つ傾向にあり、たとえ国益だとしても他国の軍人・市民を殺戮するための道徳的ハードルは高い。(分かっていても、教育されても、人を殺すことは簡単ではない)だから基本厭戦である。


ということで、味方の損害を最小限に抑えるという理由で大量殺戮兵器が進歩し、戦闘員の「非身体化」を助けるために武器のハイテク化が進んでいくと、戦争を遂行するための道徳的矛盾は激化・複雑化し、それを解決するための精神的スタミナがギリギリまで試され、磨耗・疲弊させられる傾向にある、といえないだろうか。


と、そんなことを考えている。


2015年8月20日木曜日

(4)タカ牧師のセブンー5

残暑お見舞い申し上げます。


さて今回の「セブン」は『アメリカと宗教』といった感じのものを多く集めてみました。

1. Americans and God(ニュー・ヨーク・タイムズ、2011年12月11日)
  『アメリカ人と神』

 キリスト教国アメリカは、キリスト教の退潮著しい西洋において「例外」といわれてきましたが、ここ数年数的な減少が露になり、ついにアメリカも脱キリスト教か、と取りざたされるようになりました。
 この記事ではそのような表面的「アメリカ人のキリスト教退潮現象」は一時的なもので、余りにも「政治と宗教が絡んでしまった」ことに対する嫌悪感情から来ているのではないか、と指摘しています。

2. Evangelicals' Claims of Conservative Supremacy Are Overstated(ハッフィントンポスト、2015年5月14日)
  『保守派隆盛との福音派の主張は言い過ぎ』

 つい最近まで、北米キリスト教諸教派の動向は、主流派の衰退と福音派の伸張の対比で理解されてきましたが、最近のピュー宗教調査で、その構図は崩れた、と指摘します。今や主流派も福音派も殆ど関係なく退潮傾向にあると。

3. Book Review: American Apocalypse: A History of Modern Evangelicalism by Matthew Avery Sutton
  『書評、マシュー・エイブリー・サットン「アメリカ黙示録ー近代福音主義の歴史」』

 詳細についてはコメントできませんが、アメリカ宗教(キリスト教、特に福音主義)史の指導的研究家であったジョージ・マースデン以降の若手研究家が次々輩出しているようです。サットンもその一人で、最近100年くらいの福音主義運動を、前千年期再臨説に立つ終末論によって特徴付けられる、という解釈を提示しているようです。

4. Waning of Apocalyptic Thinking among Evangelicals?
  『福音派の中で黙示的終末思考は衰退しているのか』

 これもサットンの本の書評ですが、お馴染みスコット・マクナイトのブログ記事です。歴史家の大局的解釈に対して「ちょっと違うんでないの」と批判しています。確かに影響は大きかったが福音派をひっくるめてのものではない、と指摘しています。

5. Interview with Matthew Avery Sutton
  『インタヴュー:マシュー・エイブリー・サットン』

 このインタヴューで、サットン自身が、本に著したようなアポカリプティックなキリスト教の環境で育ったこと、それが後の歴史研究に繋がっていると答えています。

6. オープンダイアローグって何だ?

 去年から「カウンセリング」の機会が増えました。いわゆるセラピーと名のつくものは少なくとも大体名前を知っていたりはしますが、カウンセリングの実際でそれら様々な理論や説の実効性や妥当性を考える機会はありませんでした。現在実地研修中ですが、この新著はかなり革新的なアプローチを取っているもので興味深いです。

7. 「こころ教」のガラパゴス

 イスラム地域研究者、東大の池内教授のブログです。「こころ教」とは「浄土真宗の僧侶で仏教学者でもある佐々木閑氏」 の説で、現代仏教の分析に用いられているキーワードですが、佐々木氏がそれを現代イスラム教にも応用しようとしている点に鋭く批判しています。


 以上でした。

 実は上記3、4、5で取り上げた、マシュー・エイブリー・サットン「アメリカ黙示録ー近代福音主義の歴史」については独立したブログ記事を書きたかったのですが、今のところできていません。

 関心のある人にはよだれが出るような研究機運が「ジョージ・マースデン以降の福音主義の歴史研究」でみられます。

 その代表的な歴史家とその著作を紹介している記事を以下に挙げておきます。

 Nathan A. Finn, Evangelical History after George Marsden: A Review Essay (リンク)

2015年8月17日月曜日

今日のツイート 2015/8/17

きょうはこれ。


新約聖書は最初「オーラル・ヒストリー」だったものが、初代のイエスの弟子たちから第三世代になる頃になって文書化されたもの、というのが一応の仮説だ。

現代ではメディアは様々あるし、デジタルにもなったわけだが、この漫画シリーズは第二次大戦の惨禍について伝える「オーラル・ヒストリー」な風合いがある。

2015年8月15日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2015年8月16日(日) 午前10時30分


朗読箇所 コロサイ人への手紙 1:24-29
説 教 題 「秘められた計画」
説 教 者 小嶋崇 牧師

コロサイ(20)/パウロ書簡の学び(137)