2016年12月23日金曜日

明日のイブ礼拝案内

クリスマス・イブ
キャンドルライト礼拝
12月24日(土) 夕7時~
 ※礼拝は1時間弱。その後軽食パーティー。
 ※この礼拝が年内最終集会となります。 
 降誕節第一主日
 2016年12月25日(日)
は巣鴨聖泉キリスト教会での礼拝はありません

新年は・・・
2017年1月1日(日)の元旦(主日)礼拝がスタートとなります。
時間は通常と同じ、10時30分~


以上年末年始の主日礼拝は不規則となりますのでご了承ください。

巣鴨聖泉キリスト教会
牧師 小嶋崇

2016年12月17日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第四主日 クリスマス 礼拝

2016年12月18日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ルカ福音書 2:1-7
説 教 題 「彼らには泊まる所がなかった」
説 教 者 小嶋崇 牧師

  ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。                  (ルカ2:6-7、新共同訳)

2016年12月12日月曜日

(3)「イチオシ!」の入れ替え、2016 [追記]

イマイチお奨め(イチオシ)の本の評判を聞かないが、AI(人工知能)については既にお茶の間に浸透していると思う。

まだ皮膚感覚でその影響は感じていないが、近い将来にありそうな予感はかなりの人が感じているのではないか。

そんな中間もなく任期を終える米国オバマ大統領と、MITメディアラボの伊藤穰一氏との対談がWIREDという雑誌に掲載された。



国家のトップとして意外に先端技術に明るい・・・とTLで取りざたされている。

同ツィッターではフォローする東大大学院の伊東乾氏と「AI(人工知能)と倫理問題」について少しツイートを交わしたことがあった。


一読をおすすめ。

2016年12月11日日曜日

(5)新カルヴィン主義動向、5

また「新カルヴィン主義」に関連する動きが出てきましたので記事にします。

(※既にシリーズとして1~4を書いています。リンクはこちらの記事を参照してください。)

新しい動きとは南部バプテスト連盟にあって、新カルヴィニズム台頭の動きに歯止めをかけようとしている、あるいは「伝統的バプテストの立場」を保守しようとする動きのことです。

この動きに気がついたのは、ジーザス・クリード(ブログ)のこの記事です。

記事中のリンクが示されていた、リック・パトリック牧師のサウスウェスタン・(南部)バプテスト神学校チャペルでの説教を興味を持って聴きました。

ちょっと我ながら意外な感じがしたのですが、「雄弁」さを感じさせる40分でした。
終始一貫、新カルヴィニズムに対して「伝統的バプテスト(神学)の立場」を弁護しています。

早速調べてみると、このリック・パトリック牧師は新興勢力(新カルヴィズム)に対して伝統的立場を守るべく「コネクト316」 を立ち上げた発起人の一人で事務局長のような立場で指導者となっている方でした。

幾つかメモしておきたいポイントがあるのですが、この「対抗的動き」が

(1)(元々「告白神学(コンフェッショナル)的でない・・・筆者の印象)バプテストが「教理的部分」にこだわることによって「神学内容」を意識化する方向に行くのだろうか、と云うのが先ずあります。(アルミニアン・ウェスレアニズムはそのような対抗的動きの一つでしたが・・・。)

 コネクト316のサイトにある「宣言序文」の中に以下のような部分があります。
exclusively Calvinistic understanding of salvation, characterized by an aggressive insistence on the "Doctrines of Grace" ("TULIP"), and to the goal of making Calvinism the central Southern Baptist position on God's plan of salvation
伝統的立場を表すのが「神の救いの計画」であり、それがカルヴィン主義の救済論(チューリップで代表される)によって塗り替えられることに対する神学的抵抗運動、みたいないいっぷりになっています。

(2)「異質なもの」(と感知される)を排除するのではなく、伝統的なバプテストの立場を認めさせた上での「神学的な解釈」として共存していくのかどうか、分離とか分裂に展開して行くのかどうか、が今後注意して見て行く必要があるようです。

 リック・パトリック牧師の説教後にサウスウェスタン・(南部)バプテスト神学校学長のペイジ・パターソンがしたコメント(「新カルヴィニズム」を奉ずる者たちはその立場の教派に移ればよい・・・みたいなニュアンスの発言が説教に抗議してチャペルを出て行った学生たちに対して向けられた、云々)については、後日パターソン学長が釈明と云うか説明している記事があります。


以上まだまだ正確なところはよく分からないのですが、一応レポートしておきます。 

2016年12月10日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第三主日礼拝

2016年12月11日(日) 午前10時30分

朗読箇所 イザヤ書 9:1-7
説 教 題 「シオンに据えられた礎石」
説 教 者 小嶋崇 牧師
  それゆえ、主なる神はこう言われる。「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石/堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。
  (イザヤ28:16、新共同訳)

2016年12月3日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第二主日礼拝

2016年12月4日(日) 午前10時30分

朗読箇所 イザヤ書 9:1-7
説 教 題 「
神の慈しみと厳しさ
説 教 者 小嶋崇 牧師
 

だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。
  (ローマ人への手紙11:22、新共同訳)      

今日のツイート 2016/12/3

今年の流行語大賞にノミネートされてたことでまた話題になっている。



 (社会学者)古市氏のツイートは「死ね」という過激なコトバを誰がどの文脈で使うかによっては「擁護」できる、という趣旨のようだ(と筆者は理解したが)。

 これに対して殆どの反論ツイートは「死ね」というコトバの「比喩」使用の無制限濫用の危険性、のような反応の仕方になっている。(「死ね」を比喩的に使うならば許されるのなら、ヘイトスピーチのような形で拡大してしまう・・・みたいな。)

 津田氏のツイートは「本来政治の文脈での現状への不満、改善申し立て」に集約される方向で「意見(ツイート)百出」が表現されれば・・・という意見のようである。

 筆者もどちらかと言えばそのような「正論」的議論に収まった方がよろしいと思うが、「民主政治が様々な不満を回収して政策に反映する」ことがなかなか出来ない(却って政治不信・諦めが進行する)現状では、この「個別の過激表現」を「流行語」祭りで「通路として」様々な人がそれぞれの「一過的怒りを爆発させる」現象(↓)自体を観察する必要があるのかな・・・という印象である。

 「じこぼう」さんのツイートはそのような(メディアによるガス抜き?)現象を「(後期資本主義社会)における消費」の視点で批判的に見るよう示唆している感じだ。

 インターネット・メディアが「政治と世論操作」の問題にどう関わっているか・・・はまだそれほど表立って問題になっていない印象だが・・・。


※少し蛇足かもしれないが、これも今朝のツイートなので追加しておこう。