2013年4月25日木曜日

つけ麺文化

教会のブログとしてはかなり大外れな記事ですね。

とは言え毎月「食の日」でコイノニアの一端を形成している教会としては少しは関係があるかも。(少々こじつけ)

昨日テレビを見ていたらアメリカ発の「つけ麺」が新横浜ラーメン博物館に逆輸入されたとかやっていた。
IKEMEN HOLLYWOOD
と言う店。

番組によると今では全米で300の「RAMEN」店があるそうだ。

見るからに太そうな麺。
これでまた思った。

日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。

筆者は麺類は子供の頃から何でも好きだった。
たまに上京して(その頃は仙台にいた)ご馳走しに連れて行かれても、注文するのは「もりそば」で「なーんだ、そんなのでいいの」とがっかりさせたものである。

米国に遊学に出て最初の頃は夢で(味噌)ラーメンが食べたくなった。
当時は周りに日本食料品店などなかったので、小麦粉を捏ねてモップの柄を麺棒にして伸ばし、仲間の日本人留学生にふるまったこともある。

さて1984年一時帰国した折、とにかく食べられるだけ食べよう、と言うことで山本益東京 味のグランプリ (1984)」をガイドに食べまわった。

特に思い入れが強かったのが「ラーメン」だ。
何軒か食べまわった中で、その後帰国してからも通い続けるようになったのが、東池袋・大勝軒だ。
いつも行列ができていたが、その頃はまだ近くのビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生くらいだった。(待ち時間は大体20分程度と記憶している。)

大勝軒は「元祖つけ麺」となっているが、店内では「特製もりそば」となっており、普通に水にさらしたものの他に、再度熱い湯に潜らせた「あつもり」というのもあった。
大勝軒は当時ではまだ珍しく「自家製麺」だった。

麺の太さは現在主流となった太麺と比較すればかなり細い。
と言うかインスタントラーメン程度の太さ。
この麺が何しろ打ちたて、茹でたてで、シコシコ、チュルチュル、の舌触りでおいしかった。

とにかく客の大半が、ビジネスマン、タクシーの運ちゃん、学生連中だから、麺の量は通常の1.5-2倍程度あっただろう。
ラーメンの場合、食べ終る前に麺が伸びてしまうのである。
それで「もりそば」がメニューとして生まれたのではないか、とひそかに思っている。


さて、その後大勝軒は度々テレビ取材に取り上げられるようになり、客層が増え、行列は異常に長くなり、ついに行かなくなってしまった。

その後地域の再開発で2007年に閉店したが、初代店主の山岸さんから受け継いだ二代目が新・大勝軒を構えている。

先に「日本のラーメンはどんどん間違った方向に向かっている。」 と書いたが幾つかポイントを挙げて結論としておこう。

①基本は熱い中華そば
 どんぶりの中で麺とスープと具のバランスが取れている中華そばがスタンダードだと思う。もりそばは、副のメニューだと思う。大勝軒の麺のように大量で食べ終る前に伸びてしまうようなケースで出てくる工夫だと思う。

②スープはシンプルに
 最近のラーメンのスープは出汁の種類がめちゃくちゃ多く、加えて調味料も濃過ぎで、味が何だか分からない位だ。「濃厚」と言えば聞こえはいいが、要するに作ってる方も、食べてる方も、味覚が麻痺してきているか・・・と思うほどだ。スープの味が分からないほど調味料が多かったり、脂その他で味を濃くしていくやり方は本末転倒。

③麺の太さや縮れ加減に懲りすぎるな
 特につけ麺に言えるが、太過ぎ!! ぼそぼそした食感の麺が多すぎる。基本は表面に湿り気が残るようなしなやかな麺、がうまい。縮れのあるなしはさほど関係ない。麺がスープとよく絡むのは麺自体の性質よりも、食べる人の食べ方の問題だ。 

以上どうでもいいことを書き連ねました。  

0 件のコメント:

コメントを投稿