2015年2月2日月曜日

(5)マルコ7章16節はなぜ「抜けている」のか、③

さて、ここまで

マルコ7章16節はなぜ「抜けている」のか①
マルコ7章16節はなぜ「抜けている」のか②
とダニエル・ボヤーリンの動画を紹介してきた。

しばらく前、図書館からダニエル・ボヤーリンの『ユダヤ教の福音書』を借りてきた。


既にこの本についてはこの記事で紹介していました。
ようやく手中にしたわけです。

(実はある人との会話で、この本を凄く推薦されたので、購入しようと思っていました。ところがそんな時この動画に出会い、そして購入しようかどうか迷っているうち図書館にこの本を見つけたので先ず借りて読んでみようと思ったのです。)

結論から言うと、「早くこの本を読んでおけば、こんなに悩まなくてよかったのに・・・。」

かと言ってすべての疑問が解けたわけではないのですが。


この動画で解説されていることは、この「ユダヤ教福音書」の(第3章)『イエスは(コシェルを守って)法規定に照らして適正な食物を食べていた』、でより十分に取り扱われているので、その分「なるほど」は増えたましたが・・・。

では先ず肝心な「『コシェル』な食物規定と、それとは別に『浄・不浄』規定がある」と言う指摘の箇所を引用しておきましょう。
 ある食物をコシェル(適正、清浄)と呼ぶことは、(旧約)聖書と後代のラビ文献に照らしてユダヤ人がそれを食べてもよいこと(あるいは食べてはいけないこと)を意味する。・・・ある食材の処理法とそれが他のどのようなものと接触した可能性があるかによって、コシェルであるか否かにかかわらず、どのような場合に食物が清浄であるか否かに関して、別個の一連の規定がある。(123-4ページ、強調は筆者)
引用は長いので、一息つくために中断します。
お読みのように「コシェルを実践しているユダヤ人でないと混乱するような箇所がマルコ7章だ」と言う指摘のようです。

マルコの7章を理解するには、
 『コシェル』な食物規定と、
 『浄・不浄』規定の、
 二つの関連するが異なる規定がある
ことを認識するのが肝心だ、と言うわけです。

筆者ももちろん大してよく分かっていないので混乱したままになっているわけですが・・・。


と言うわけで認識のために、二つの規定のうち、先ず「コシェルとは何か」について記述しているところを引用しましょう。
 一方でトーラーは、決して食べてはいけない様々な種類の鳥や魚や海洋生物や陸上動物の名前を列挙している。
 トーラーはまた坐骨神経を食べること、他の点ではコシェル(適正)な動物のある種の脂肪分の摂取、血を飲むこと、子ヤギをその母の乳で煮ることをも禁止している。
 これらの規制をまとめたものがユダヤ教の食物規定(コシェルの規則)を構成している。
 前記のようにそれらはどこでもいつでもすべてのユダヤ人にあてはまる。(125ページ、強調は筆者)
今引用した部分は、理解のためにわざと改行したのですが、『コシェル』な食物規定
 ①動物の種類、
 ②動物の部位、
 ③処理(調理)法、
の少なくとも3段階で考えられている、と言うことですね。

次に『浄・不浄』規定について説明している部分を引用します。
 浄と不浄ないし汚染[ヘブル語省略] は、これとは異なる生活領域に関わる規則と規制からなる全く別個のシステムで、人間の死体や、人間の死体に触れた後で適切な仕方で身を清めていない人間と接触した様々な物に関する法規と、皮膚病や経血と精液(糞尿は除外)といった体液の流出のような不浄をもたらすその他の原因(これらはトーラーによれば人を「不浄」な状態にするが、道徳的倫理的な非難は招かない)に関する法規からなる。(125ページ、強調は筆者)

さて、この後いよいよマルコ7章、イエスとパリサイ派の論争の「文化・時代的背景」を説明するわけですが、長くなったので次回に譲ることにします。

※またまた終わらなくてすみません。 

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