ツイッターから直接というより、フェイスブックで「シェア」されていたのをピックアップしたわけですが・・・。
[12,000シェア]東大学長の「新聞を疑って読め」という入学式メッセージを読売新聞が「新聞を読もう!」に要約してまさしく言葉通りの事態に | netgeek https://t.co/TSsCACmldv— netgeek (@netgeek_0915) 2016年4月15日
ネットによって「情報」に対し一面よりフラットな状況が出現した・・・と見えますが、実態としては「デジタル情報リタラシー」の観点から言うと様々な「情報格差」も現れてくる、というわけでしょうか。
ネット・ギークはそんな「情報のズレ」的なところを衝いているのでしょう。
東大学長自身が気づいた「情報のズレ」は「国内外での報道内容の違い」というかなり古典的なもののようですが、スマホ世代の「ネット情報を自在に活用している」かに見える新入学生に対して老婆心ながら「情報というのは立体的に扱わないとだめだよ」、と諭している図に見えます。
その一例として「新聞報道記事を批判的に読む」ことをアッピールしているわけでしょう。
「新聞からの情報を鵜呑みにするな」、との警告の背景には、最近の「政府による干渉」やマスメディア側の自主規制のことがあるいは念頭にあったのかも知れません。
読売新聞記事は「新聞を読む」(だけ?)を切り取って、東大学長が(殆ど新聞を読まなくなった)世代に向けて「もっと新聞を読もう」・・・としたのだとすると、それは「マーケティング」関心からステマ的記事、ということになりかねません。
しかし、問題は「我田引水的でいい加減な記事」であることにとどまらず、東大学長のスピーチの肝要点である「批判的性格」から目を逸らせる「改変を加える」、「情報を操作する」、「ステマする」といった様相もありそうな・・・と妄想に拍車がかかってしまいそうです。
新聞に限らず活字情報を「読まなくなった」と云われる世代に「新聞記事を鵜呑みにするな」は馬の耳に念仏かもしれませんが、「デジタル化」と「ネット」により「情報拡散」がこれほど簡単にスピーディーなった世の中で、「リタラシー」教育を今後どのように洗練して行くべきか、という問題はやはり大事なものではないか・・・と「読売新聞記事の東大学長スピーチの扱い方」を通じて思ったことでした。
・・・とかように「ネットに浮遊する情報」を断片的に取り扱かってこのような文章を書くことはますます軽薄化に寄与することになるやも知れず、頭が痛い。
・・・とかように「ネットに浮遊する情報」を断片的に取り扱かってこのような文章を書くことはますます軽薄化に寄与することになるやも知れず、頭が痛い。
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