2016年4月22日金曜日

(5)現代の英語圏神学者⑤、ダイアナ・バトラー・バース

このシリーズ、スタンリー・ハウアーワス 1、(ハウアーワス 2 ハウアーワス 3)、クリスチャン・ワイマン、そしてディヴィッド・ガシージョン・B・コッブ Jr. と既に4人取り上げた。

実は適当な女性神学者はいないかなー、と5人目の候補を探していた。

神学者として「ヘビー級」な方を念頭にしていたが、路線変更して「ポピュラー」な方にした。


というのもこの方、ダイアナ・バトラー・バース はデューク大で博士(宗教学、アメリカ宗教史)をやった方ですが、既に著作数も多くあちこち講演にも招かれているポピュラーな方なのです。

特にヨーロッパに続いて、今や数値的には北米もキリスト教が(ということは宗教も)衰退を始めているとの観測が強まる中で、自分のアカデミックな背景(大覚醒運動史、あるいは『信仰復興運動』史)を用いながら、かなり楽観的というか、積極的な未来を描いて伝えているからです。(だから講演者として引っ張りだこなのでしょう。)

現代(あるいはポストモダン)においては、「(既成)宗教」対「スビリチュアリティ」と対立的構図で捉えられる傾向にありますが、彼女は両方ともヴァイタルな要素として捉えようとしているように思います。


彼女の「アメリカ宗教/霊性に対する楽観的観測」のベースになっているのは継続して繰り返される「信仰復興(リヴァイヴァリズム)」の歴史ですが、数年前に出版された 
Christianity After Religion: The End of Church and the Birth of a New Spiritual Awakening


の種本になっているウィリアム・マクラフリンの Revivals, Awakenings, and Reform に基づいた観察・観測のようです。

このブログでは余り書かなくなった英国新約聖書学者のN.T.ライトも『クリスチャンであるとは』第2章<隠れた泉を慕って>で書いているように、本来人間の宗教性・霊性は「世俗化」のような歴史的変化によって一方的に消えるようなものではなく、(むしろ啓蒙主義体制によって公共空間から人工的に隔離され見えなくなった状態にされてきた)様々な形で「噴出している」と見ています。


今では啓蒙主義思想を継承するドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスも、この「脱世俗化」の動向に注意を払っています。(この記事この記事をどうぞ)

しかし「政教分離政策」が徹底してきた近代(主義)国家では、公共空間に「聖性・宗教性・霊性」がいきなりカムバックするということは難しいでしょう。(世俗主義とのせめぎ合いが続くと思います。)



少し脱線してしまいましたがバースに戻ると、彼女の関心は「公共空間における宗教・霊性の回復ありやなしや」の方面ではなく、どのような宗教性・霊性として「再解釈」されるのか、と云う問題です。

彼女の最新著作Grounded: Finding God in the World-a Spiritual Revolution


では「『神』の概念構造」の変革をめぐって発言しているのですが、これまたライトの提示する「ポストモダンキリスト教」とある部分呼応するところがあります。

ライトが『クリスチャンであるとは』で導入している「天と地が重なり合う/インターロックする」ような《神観》を提示するのに対し、バースは「(近世までの「『天』と云う最上階層に遠く離れた神」に対して)「ここに、わたしたちと共におられる神」を提示しようとします。

バースの提示する神観は恐らく「リベラル神学」の伝統に由来するものと思われますが、しかしポストモダンの状況を捉えて発信されているニュアンスを聴き取ることが大事ではないかと思われます。


実はバースは(どちらかというと)福音主義的信仰で育ったようですが、ご他聞に漏れずその信仰内容に関して言うと「遍歴」してきたことを自著でも語っていたように思います。

この「信仰遍歴」と云うテーマは筆者の見るところ「現代神学」を語るときに不可欠な要素になって来ているように思います。
(かような理由で《宗教と社会 小コロキアム@巣鴨》ブログで新研究トピック: 信仰進化と題した記事をアップしました。)

[追記 2016/8/10]

 神学者の書斎が見られるのは面白いと思うので、最近アップされたので紹介。



ではダイアナ・バトラー・バースの紹介はここまでにして、別の連載シリーズ「霊性を神学する」で彼女の「神観」を取り上げたいと思います。

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