このブログでは時折「福音主義」や「聖書・聖書解釈」などについて書いている。
いわゆる「福音派(evangelicals)」にとって聖書がかなり重要であり、特に宗教改革以降のグループの信仰箇条等の形成において一段とその「権威性」が増した傾きがあり、その
功罪・副産物様々を含めて今日に至っている。
ジェンダー・イシューズ(性差問題) でも触れたが、「聖書の権威」を高調し、あらゆる「真理問題」を
聖書を基にして(ニュアンスの幅はいろいろありますが)解決したい、そう福音派の方々が思うならば
(別に筆者はそうではないと言っていません。まがりなりにも筆者が属する教会連合は日本福音同盟のメンバーですし、筆者自身も日本福音主義神学会のメンバーです。)、「聖書信仰」の原則を有効に、建設的に、活かして行くには以下の三つ
(三つ目はちょっと高望み過ぎかもしれませんが・・・)がかなり
必須条件となるように思います。
(1)全般的聖書リタラシーの向上
(2)解釈論的視野の訓練
(3)討論におけるリアリスティックな達成目標設定
今ここでは一つ一つのポイントについて解説しませんが、少なくとも教会指導者・神学者の方々で、「聖書を権威的に使用する」必要のある方々はかなり自覚的にこれらの
条件を理解して運用して行かないと、「『聖書信仰』の将来には(今までに勝るとも劣らない?)途方もない困難が待ち構えている」ように個人的には案じています。
さて前置きはそこまでにして、今回は藤本満『聖書信仰』を取り上げた動機・理由・背景に関わることを書いてみます。
実は「あとがき」にもありますが、本書の背景に多少なりとも筆者が関わっている、そう言うことが一点。(その縁で本書を贈呈して頂きました。ということは「書評」ででもお返しできればいいかな、とも思ったわけです。)
幾つか書評やブログ記事(
これ、や、
これ、や、
これ) もあるが、まだまだ取り上げられてもいいように思うのです。
というのも本書は「聖書信仰」を題材にしていますが、それを巡っての神学史の概説的な面があり、言及される神学者や著作が多い上、その大多数は訳されていないと思われます。
筆者のようにある程度英語圏で神学教育を受けた者にとっては「スタンダード」的なものが散見されるとはいえ、それ以外にかなり多くの専門書があります。
インデックスでも作ってみれば明白と思いますが、一般読者が「名前だけでも知っている」というものさえかなり少数ではないかと想像します。
もっと割り切った言い方をすれば、「書評」を書くにはちょっと面倒なほどサブ・トピックが多い、と感じます。(何しろ章数が多い。)
※しかし、まず「概略」を一挙にまとめたことで、今後「参照」的な用い方には便利だと思います。
ということで、筆者が採用する方法は、
(1)一章ずつ(目安)内容に目を通し、その中から目に付いた「トピック」「人」「著作」等を取り上げ、(全く個人的な関心から)好きなことをコメントする。
(2)上記のように選択した事項の中で、筆者が補足できるような情報があれば提供する。
(3)最初に書いた、三つの
必須条件に関することに繋げてコメントしてみたりする。
以上極めて我侭で、行き当たりばったりの「道草ノート」になるとは思いますが、やってみたいと思います。