2016年6月9日木曜日

(5)新カルヴィン主義動向、その後

もう2年近く前になりますが、「新カルヴィン主義(※1)動向」と云うタイトルで4本連載しました(※2)。
 ・その1
 ・その2
 ・その3
 ・その4

 ※1・・・上記の連載でも、new Calvinism、等の訳語として「新カルヴィン主義」とタイトルにつけましたが、それほど定着したレッテルではないようです。今回は統一のため変えずにそのままにしておきます。
 ※2・・・その後連載が終了したとも告知せずにいましたので、中途半端になっていたかと思います。今回は「追記」程度と受けとって頂ければよろしいかと思います。

今回その4で紹介したジョナサン・メリット記者(Religion News Service)が新たに関連記事を書いたものを紹介しておこうかと思います。

The Gospel Coalition and How (not) to Engage Culture (2016年6月6日)
今回メリット記者がターゲットにしているのは、「福音連盟(ゴスペル・コオリション)」という新カルヴィン主義の主要人物(主に牧師)たちが論説等を寄稿している一大ウェブサイトのことです。

記事が主張しているのは、「福音連盟」が是としている「文化との交渉(によって文化を変革する)」と、サイトの行動は矛盾していないか、というものです。

具体的には、「福音連盟」に批判的なコメントをしたり、批判的な立場から福音連盟の記事などを問い質すと、「ブロックされる」というのです。(※3)
※3・・・ツィッターのフォローを防止すること。
こう言う行動パターンが、単にたまたまではなく、「福音連盟」関係者の「心理」に根ざすものではないか、とメリット記者は指摘しています。

「(ウェブサイトを通して)あれだけ口数多くトークを繰り返しているのに、彼らは聴く耳を持たない」 と批判しています。

実は今回のメリット記者の記事は殆どその4で展開した主張と同一線上にあります。

ただ「福音連盟」が多大な影響力を持ちながら、一般読者はまだしも、ジャーナリストであるメリット記者ともコミュニケーションを取ろうとしない、ということであれば、いささか残念な対応だと思います。

「連盟(コオリション)」と自称しながら、そのグループ的性格はどういうものか、メリット記者は「福音連盟は結局同好会のようなもの」と結論します。
The word “coalition” is defined as “a combination or alliance, especially a temporary one between persons, factions, states, etc.” But the structure of TGC allows for almost no diversity among its members–certainly none that would be noticeable to anyone who is not a Christian insider. So, technically-speaking, The Gospel Coalition is not a coalition at all; they are a club.(強調は筆者)
「福音連盟」の社会的性格について、数年前ですがディヴィッド・フィッチ(牧師は神学者か、3で彼の「機能的神学者論」を紹介しました。)が少し書いています。
David Fitch: The Gospel Coalition: Reprise and In Retrospect

Will TGC be a force for coalition or expedition

「福音連盟」は結束のためなのか、新規領域開拓のためなのか、とフィッチは問います。

「コーリション」は敵に対抗して領地を守るために結ぶ同盟のイメージ。片や「開拓」は未開地に進出した新たな領地を獲得するイメージです。

フィッチの分析では「福音連盟」のアプローチは、ポスト・クリステンダム、ポストモダンの西洋キリスト教において前者の性格のものになるだろう、と分析しています。

メリット記者の分析とも多分に重なるのですが、どうも構図が「自由主義対根本主義」の焼き直しのような部分を持っている、そんな印象です。


《附記》
メリット記者が「福音連盟」に対して、「文化との交渉」を考えるなら、と言って推薦した本の一つ、James Davison Hunter’s “To Change the World,”を実際取り上げていました。そしてその「エンゲージメント」の結果をウェブサイトで公表しています。(ここ


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