2016年6月22日水曜日

(3)藤本満『聖書信仰』ノート、1

このブログでは時折「福音主義」や「聖書・聖書解釈」などについて書いている。

いわゆる「福音派(evangelicals)」にとって聖書がかなり重要であり、特に宗教改革以降のグループの信仰箇条等の形成において一段とその「権威性」が増した傾きがあり、その功罪・副産物様々を含めて今日に至っている。

ジェンダー・イシューズ(性差問題) でも触れたが、「聖書の権威」を高調し、あらゆる「真理問題」を聖書を基にして(ニュアンスの幅はいろいろありますが)解決したい、そう福音派の方々が思うならば(別に筆者はそうではないと言っていません。まがりなりにも筆者が属する教会連合は日本福音同盟のメンバーですし、筆者自身も日本福音主義神学会のメンバーです。)、「聖書信仰」の原則を有効に、建設的に、活かして行くには以下の三つ(三つ目はちょっと高望み過ぎかもしれませんが・・・)がかなり必須条件となるように思います。

 (1)全般的聖書リタラシーの向上

 (2)解釈論的視野の訓練

 (3)討論におけるリアリスティックな達成目標設定

 今ここでは一つ一つのポイントについて解説しませんが、少なくとも教会指導者・神学者の方々で、「聖書を権威的に使用する」必要のある方々はかなり自覚的にこれらの条件を理解して運用して行かないと、「『聖書信仰』の将来には(今までに勝るとも劣らない?)途方もない困難が待ち構えている」ように個人的には案じています。


 さて前置きはそこまでにして、今回は藤本満『聖書信仰』を取り上げた動機・理由・背景に関わることを書いてみます。

 実は「あとがき」にもありますが、本書の背景に多少なりとも筆者が関わっている、そう言うことが一点。(その縁で本書を贈呈して頂きました。ということは「書評」ででもお返しできればいいかな、とも思ったわけです。)

 幾つか書評やブログ記事(これ、や、これ、や、これ) もあるが、まだまだ取り上げられてもいいように思うのです。

 というのも本書は「聖書信仰」を題材にしていますが、それを巡っての神学史の概説的な面があり、言及される神学者や著作が多い上、その大多数は訳されていないと思われます。

 筆者のようにある程度英語圏で神学教育を受けた者にとっては「スタンダード」的なものが散見されるとはいえ、それ以外にかなり多くの専門書があります。

 インデックスでも作ってみれば明白と思いますが、一般読者が「名前だけでも知っている」というものさえかなり少数ではないかと想像します。

 もっと割り切った言い方をすれば、「書評」を書くにはちょっと面倒なほどサブ・トピックが多い、と感じます。(何しろ章数が多い。)

 ※しかし、まず「概略」を一挙にまとめたことで、今後「参照」的な用い方には便利だと思います。

ということで、筆者が採用する方法は、

 (1)一章ずつ(目安)内容に目を通し、その中から目に付いた「トピック」「人」「著作」等を取り上げ、(全く個人的な関心から)好きなことをコメントする。

 (2)上記のように選択した事項の中で、筆者が補足できるような情報があれば提供する。
 
 (3)最初に書いた、三つの必須条件に関することに繋げてコメントしてみたりする。

 以上極めて我侭で、行き当たりばったりの「道草ノート」になるとは思いますが、やってみたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿