2016年12月28日水曜日

(3)藤本満『聖書信仰』ノート、7

久し振りの今回は・・・

「5 理性の時代の聖書信仰」(74-85ページ) 、となります。


 本書は時代の進行に沿って概観されています。

 前章4章は「プリンストン神学の時代」でした。大体19世紀後半です。

 一章先を見ると6章は「ファンダメンタリズム論争」を扱います。1920年代です。

 この時代的移行の前に17世紀のデカルトから発する「基礎づけ主義(「我思う故に我あり」で有名ですがこのリンク先の説明も参考になるかも)」やスコットランド常識哲学という保守的聖書論に影響を与えた「哲学的前提」を5章で扱っているわけです。
※ この辺の事情を保守派・福音派(アブラハムやグレンツなど)が自己批判的に分析できるようになったのが「ここ20-30年の動き」ということなのだろうと思います。


 「プリンストン神学の聖書観の背後にある哲学的前提、あるいは思想的潮流」

 (A)基礎づけ主義
 十九世紀を振り返ると、リベラル神学も保守主義も同じようにこうした「基礎づけ」 的認識論の上に成り立っていたことが分かる。リベラル神学は、当初、教会が作り上げた神学という建物を一旦脇にどけて、近代聖書学を土台としたキリスト教真理を再構築しようとする。・・・保守主義は、デカルト的土台を無誤であると信じる聖書に求めた。(75ページ)
 (B)スコットランド常識哲学と理性主義

 こうして、本来カルヴァンによる、「聖書が神の言葉であることは、聖霊が信仰者の心の中に与える証しによる」という神秘的・心的・主観的側面は影を潜め、聖書の無誤性が客観的事実であることを論証するという理性的側面の強調へと聖書信仰が方向を転じたことになる。(78ページ)
[脚注] 宇田も同様に論じる。本来の改革派の神学は、聖書の無謬性を信仰者が聖霊の内的証しによって悟るものと考えてきた。ところが、スコットランド常識哲学の影響により、聖霊の内的証明は「あらゆる外的な証拠をとおして」人々のうちに確信を与える、という証拠の積み上げによる確信へと変化した、と。



 以上19世紀後半に展開されたプリンストン神学 を支えた「哲学的前提」が聖書解釈を理性主義的な方向に導いた、という部分を引用してみました。

この章の部分を読んで記事にしようと書き始めて大分時間が経ちました。色々逡巡しました。一つの理由は「詳論がないことに関してコメントを書くのは難しい」ということです。

しかし、著者の見識を差し置いて、「プリンストン神学」周辺のことをパパッとネットで検索して得た「インスタント知見」で何か書くこともまた難しい。

ということで以下の二つのポイント(と、一つの蛇足)にまとめてみました。

(1)スコットランド常識哲学の評価の仕方
 
 啓蒙主義をどう捉えるかどう評価するか、という問題は依然として「いまの問題」であると思います。

 プリンストンにこの新風を吹き込んだジョン・ウィザスプーン、根付かせたA・アレキサンダー、受け継いだC・ホッジ・・・の全体の流れを文脈として評価することが大事なように思います。

 啓蒙主義のネガティブ・サイドを代表するデカルトやD・ヒュームに対抗した形で出たと思われるスコットランド哲学は、プリンストン神学にとって「特別啓示」にも「一般啓示」にも、どちらにも楽観的な認識論的態度を提供するものとして(ネガティブな認識論より)ベターな選択であった、と考えることも出来るかと思います。

(2)理性主義のポジティビスティックな性格の捉え方

 19世紀初頭において「科学に対する楽観的態度」が支配的であり、そのような空気をプリンストン神学の基礎を築いた方たちも吸っていたとしても、それ自体では「科学的な態度に対する自信過剰」にはならないと思います。

 2011年に出されたC・ホッジの伝記の「序」やその紹介記事などをかいつまんで読んでみると、プリンストン神学の祖はどうも「新しい空気」に敏感でありながら、しかしカルヴィニズムの伝統を重んじることにも意識が強い人であり、その中にはカルヴィン来の「堕落した理性に対する顧慮」と「神の言葉」である聖書に対する先見的な主張依然強かった印象が強い。(この記事などほんの少し参照しました。)

 かつてボンヘッファーがバルト神学を「聖書啓示のポジティビズム(revelational positivism)」と呼んだらしいが(E・ベートゲ)、それと比較すると神学的洗練はないかもしれないが、根本主義の「聖書啓示のポジティビズム」に繋がるものがプリンストン神学の聖書観にあったとしても、それがよりポジティビスティックな性格を帯びるのは、やはりリベラリズムとの敵対的対決を経過してのことではないか、と勘ぐる次第。

《蛇足》
 より平均的(大衆的)アメリカ・キリスト教に対するスコットランド常識哲学(楽観的科学主義のような傾向)の影響も同時に押さえておくのも大切ではないか。

 19世紀、アレキサンダー・キャンベル(1788-1866)が祖の一人とされる「キリストの教会」の伝統として語られる「救いの計画(The Plan of Salvation)」にもこの理性主義的傾向は見られるのではないか、と既に指摘しました。

 さらにこのような回復運動がより「大衆的キリスト教」性格を帯び、(思弁的神学を嫌って)反知性主義的力学も加わって、「聖書記述を事実」としてそのまま受け取っていく「聖書解釈原則」の方向に働いたことも、その後の根本主義の背景として考えられるのではないか、と愚考します。


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