2017年1月29日(日) 午前10時30分
朗読箇所 ヨハネの黙示録 3:7-13
説 教 題 「固く守るべきもの」
説 教 者 小嶋崇 牧師
わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。
(黙示録3:11、新共同訳)
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
Public service announcement: neo-Calvinism and "new Calvinism" are not the same thing. YRR: new Calvinists; Kuyperians: neo-Calvinists— Tom Hicks (@TomHicksJr) 2016年12月21日
そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。(3章11節、新共同訳)In this new humanity there is no question of "Greek and Jew," or "circumcised and uncircumcised," of "barbarian, Scythian," or "slave and free." The king is everything and in everything. (KNT)この新しいいのちに生きる者には、国籍、人種、教育、社会的地位の違いなどは、全く問題ではありません。そんなものには何の意味もないのです。大切なのは、キリスト様を、しっかりつかんでいるかどうかです。そして、キリスト様を自分のものにする機会は、だれにも平等に与えられているのです。(リビングバイブル)
Ordinary citizens searching for the convenient satisfaction of immediate necessity are Donald Trump’s unwitting allies in an unseen war on democracy. It’s difficult to blame them. Most Americans are busy leading frenetic lives. In sound bites, they receive what passes for news; there’s no time to confirm its veracity. Politicians like Trump tell them what they want to hear; it pleases them. But quick solutions displace efforts to understand complicated challenges for which there are no easy answers.
東京なう。車内でずっと先日の上智大学での講演テープ起こしのゲラリタッチ。40分もしゃべったので、話の長いこと。講演は話しておしまいで終わらずに、あとでこの仕事が付いてくるのがつらいです。また講演では「言わなくてもいいこと、言わない方がいいこと」ばかりしゃべるのです。— 内田樹 (@levinassien) 2017年1月10日
ラポート: 心が通い合って[互いに理解し合って]いる状態.「・・・講演では『言わなくてもいいこと、言わない方がいいこと』ばかりしゃべる・・・」のは、ラポートを求めすぎて脱線しやすい、ということもあるかも。
(1)メリット、デメリットを判定している基準は何か。
(2)分裂・分離した後「キリストの教会の一体性」をどうするのか。
あるブログで「信仰進化」というカテゴリーで記事を書き出したのですが、MH氏もこのカテゴリーで書ける「動く標本」(失礼!)のような印象です。
有給聖職者を置かないキリスト集会派ゆえのメリットもあるし、とは言え、専門教育を受けた者がいないゆえのデメリットもあるなぁと。多くのプロテスタント教会における牧師と信徒という関係ゆえのプラスもあるけれど、専門家に任せておけばいいという甘えや専門家ゆえの権威主義といったマイナス面も起きかねないことも感じます。
それは、従来の福音派においては、「救済」においても「敬虔」においても個人的で主観的な視点が強いため、「福音」を正しく伝承し保守するために不可欠な「聖礼典」「職制」、いわゆる「教会の外的しるし」を中心とする伝統的「教会論」がかなり弱体化していることです。
伝道が実を結ぶためには、「福音」の明証性ともに、福音の伝承を媒介する制度的教会に対する正しい見識が必要ではないでしょうか。
(1)神の言葉を正しく説教する、が思いがけなく「義認論」で浮上してきたのだが(それについての経緯はここでは書かない)、聖職者制(職制と普通呼んでいるが)のメリット、デメリットが云々される文脈だと、突き詰めれば、この「真の教会のしるし」の議論に繋がっていく必要があるのではないかと思った次第。
(2) 聖餐を正しく執行する、
これだけでは少しお腹が満ちないので、宿の近くにあった肉屋のコロッケを買って食べました。 (次回に続く) |