2018年9月3日月曜日

(3)「次世代教会」を展望して、6

一応このシリーズの「6」としましたが、実際には「5」の「付け足し」、そして今日のツイート 2018/8/31の「解説」みたいなもんです。

Danté Stewart (Stew)さんはご覧のようにアフリカ系アメリカ人の方のようです。 彼のツイートで引用されている画像の文章の作者は、ある福音派系神学校卒業生ですが、その方が、「世界大にキリスト教の遺産を保存したのは、白人西洋・ヨーロッパ社会のクリスチャンたちだ」 と主張しているんですね。
彼はそれを「人種差別的発言」と受け取られかねないことを承知の上でどうも「白人」と云う部分をあえて強調しているみたいです。

詳細な文脈は分からないので、多分にアバウトな論評から入ってしまいますが、この方には客観的な歴史から見て
(1)正統的キリスト教を保守し、
(2)原語(ヘブル語、ギリシャ語)での旧新約聖書の保存し、
(3)プロテスタント諸派が米国そして世界の隅々に広まる
のに貢献したのは「白人・西洋・ヨーロッパ」のキリスト教社会だ、というわけです。

確かに大雑把な物言いであればこのような見方にそんなに目くじらを立てる人はいないでしょう。問題は「白人」ですね。これが不必要に人種差別トークの印象を強めたと思います。
案の定、このツイートに延々と付けられた「リプ」は人種差別的であることに対する非難と反論です。

しかしここからが本論なのですが、「大雑把な物言い」と云うのはその発言をする人がその「知識分野」についてどれだけ広範で詳細な情報を把握しているかで「信頼性」は全然違ってきます。

私も含めてそうですが、つい関心あるトピックだと話題を拡げるために生半可な知識で大風呂敷なことを言ってしまうもんです。
その後トピックのテーマや内容を絞り、より確実な範囲に意見交換を狭められれば、最初の大風呂敷な物言いも「導入」として許されるのだと思います。

さてこのツイートの後にグレン・パッキャム牧師(英国ダラム大だったと思いますが博士号を取得したばかりです)が反論を試みますが、「礎(ファウンデーション)」という部分を捉えて(白人)ヨーロッパ中心主義的なキリスト教史に楔を打とうとしています。

即ちキリスト教が世界大に進展する歴史を源流まで遡れば、初期数世紀は北アフリカ地域や東方教会の歴史があるわけです。だから新約聖書の時代、使徒パウロのキリスト教から一挙に宗教改革者(ルターやカルヴァン)に飛躍してしまうような神学校の教育は改められるべきだ、というような主張になっています。

さて前回5」で「教会史」の学びは「神学」より優先するのでは、と言いましたがそれはやはり「今」の時代の文脈をどう捉えて神学教育をデザインするかという問題です。

たとえ日本と云うローカルの場で、そしてさらに小グループ信徒伝道者・指導者のための神学教育であっても、わざわざ何十年遅れで「西洋キリスト教」の「神学テキスト」を翻訳して使っていていいのか、という問題です。

現実的には簡単に解決できる問題ではありませんが、「ヨーロッパそして北米」もポスト・キリスト教時代に突入し、キリスト教の勢いが「アフリカ・南米・アジア諸国」に移っている歴史的文脈を考えると、問題意識は持つ必要があるかと思います。

さてこれ以上大風呂敷な発言は控えることにして、上記のツイートに付けられたリプの中から「面白い教材」がありましたので、それを紹介しておきましょう。

マイケル執事(Michael the Deacon)
Michael the Deacon was a deacon in the Ethiopian Orthodox Church in the 16th century A.D.[1]
In 1534, Michael the Deacon travelled to Wittenberg and met with Martin Luther, the founder of the Lutheran Churches and leader in the Reformation.[2][3] During the meeting, the two compared the Lutheran Mass with that used by the Ethiopian Orthodox Church and found that they were in agreement with one another.[1][4] Michael the Deacon also affirmed Luther's Articles of the Christian Faith as a "good creed".[3][1] As such, the Lutheran Churches extended full communion to the Ethiopian Orthodox Church.[5][1]
エチオピア正教会のマイケルさんが、1534年にルターに会いに来たというエピソードです。つまり「新しく出来たルター派教会」と「聖餐」についての神学的共通性を確認しようとした、いわば「エキュメニカルな働き」だったようです。

へー、そんなことあったんだ。全く知らないことが多いです。

(続く)

 

0 件のコメント:

コメントを投稿